鶴岡・レオニダス・潤 13-3
正和一二七年、一月十日。
逢坂県、あいさか市、葵区、某貸会議室。
時刻は午前十時。
この時刻にこの場所まで辿り着くこと自体が、既に試験の一部であった。
国際警察機構及び警視庁のホームページには、グリプス資格取得試験のページがあり、次回の試験は一月十日という日程が記載されている。
しかし、情報はそれだけである。
受験者にはまずこのホームページから、試験そのものが何時にどこで行われるのかを調査することから求められているという寸法だ。
クラッキングは基本的にNG。
侵入を試みたと同時に逆探知され、インディを乗っ取られた上にハードディスクのデータはデリートされる。
それはウイクラスの技能者であっても例外ではない。
このトラップを仕掛けたプログラマー自体が、恐らくは冠位壱位に相当するサポータータイプのグリプス、もしくは元賞金首などの札付きなのだろう。
正解は、ホームページの画面上に存在する、小さな扉をクリックすること。内部プログラムを解析できない以上、その小さな扉を探すことは手動で行うのだが、アイコンがほんの少しでもズレれば開かない微小な扉だ。仮に正解を知っていたとしても開くのは容易ではない。
そして扉を開けた先に現れるのがパスワード認証。
この認証に解析ソフトを使用すると、その場合も逆探知の上、自機を破壊される。
こちらの正解は、ストレートにパスワードを入手すること。
入手法は様々で一つではない。公安の情報屋が持たされており適切な関係を築き上げると明かされるものや、某大手製菓企業のホームページにクラッキングした先にある小部屋に隠されているものや、はたまた迷い犬捜索の依頼で保護した犬の首輪に仕込まれているものなど、受験者の得意分野によって入手法が変わるよう設計されている。
ようやく扉を開いたその先に暗号化された試験情報が埋め込まれており、その暗号を解くためにもまた様々なアクションが要求されるのだが、こちらもパスワード同様に受験者の特性に合わせて取るべき行動は変化してくる。
ウイのようにコンピューターに強い者であれば、数時間から数日で解析は可能だし、アクティブタイプの人間であれば現実空間で足を使って暗号の解析ソフトを入手することも可能。その場合は数日から数週間はかかるのだが。
とにかくである。
様々な障害を乗り越え、この日この時間のこの場所に辿り着いた者のみが、サポーター枠のグリプス資格取得試験に参加が許されるという、非常に性格の悪い応募要項をクリアしたからこそ、
鶴岡・レオニダス・潤はこの椅子に座っているのだ。
ーーーなんの変哲もない普通の貸会議室。壁に掛かった前衛的と言うか、エキセントリックな絵画が印象的です。室内には横三列、縦五列に折りたたみテーブルとパイプ椅子が並べられておりますが、椅子はテーブルに一つずつ。つまり、この試験の定員は十五名ってことですね。
『一般の身体能力系のグリプス試験は誰でも受けられるけど、こっちは受験資格取得自体の難易度が高いから、年間でも五、六十名くらいしか受験者が出ないんだよね』
耳の後ろに貼りつけた、磁気治療シールみたいな骨伝導式イヤホンを通して、ウイちゃんの声が聞こえてきます。と言うかまるで脳内に流れ込んでくるみたいです。
『うちの時は十人にも満たなかったから、今回の方が少し優しい障害だったってことかな?』
部屋をグルりと見渡してみると、空いている席は四つ。それ以外には、なんか分かりやすく頭の良さそうな分厚いメガネをかけて学者風の白衣を着た人とか、逆に頭良さそうにはまるで見えないパンクロッカーみたいなヒャハーって叫びそうな人とか、昔の映画とかに出てくる顔を黒塗りにするガングロヤマンバメイクという化粧を施した古風な人とか、普通のスーツに七三分けの髪をビシッと決めた大人のサラリーマンとか、そんな人達が僕を睨みつけています。
『うーん。人はみかけじゃないから何とも言えないけど、そのメンバーの中で解答をきちっと理解してそうな人はいなそうだね。こりゃ、スパイはいない方向で考えるべきかな』
これはあれです。
ウイちゃんから事前に聞かされていた、予め運営側が仕込んでおく、カンニングされる対象のことを言っていますね。受験生に紛れて完答の解答用紙を仕上げる係の人のことだそうです。
確かに、他の受験者を威嚇するように睨みつける行為なんて、真面目に試験を受けに来た人しかしませんよね。
「それでは時間になりましたので、試験を開始します。制限時間は二時間です。それぞれ手元にある問題用紙に取りかかって下さい」
そうこうするうちに、試験官の男性からの号令が発されました。
とりあえず僕は問題用紙を捲ります。
そしてとりあえず問題に目を通します。
【問一】tan1° は有理数か?
は?
僕は止まりました。
いや、問題はウイちゃんが解くんです。
僕が目に入れているコンタクトレンズ型極小カメラを通してウイちゃんに送られた問題を、ウイちゃんが解いて、それを僕に教えてくれるんです。
とは言えですよ。
こんな意味不明な問題、ウイちゃん、解けるんですか?
『うおぉ……のっけから中々な難問』
どうやらウイちゃんでも難しいらしいとか、そりゃ僕が見てもイミフですよね。
『解きやすそうなとこから行くから、とりあえず全部の問題見せて』
試験の鉄則、解ける問題から解くやつですね。
指示に従って次の問題に視線を移します。
【問二】この答案用紙何枚で地球の全表面を被えるかを計算せよ
『うおお……数学の次は物理……ジャンルごった煮とか……』
ううん。やはり僕にはさっぱり……と言うか、まぁ時間をかければ答えられそうな問題ですが、相当な時間はかかるでしょうね。二時間の制限時間を考えるとけっこう厄介な問題かも。
そんな感じで一通りの問題に目を通し終えると、徐々にウイちゃんの言葉は僕に投げかれられるものから、ただの独り言へと変わっていきます。
ここから僕は、ボーッとしてるだけですね。
軽く息を吐きました。
ーーーそれは、あの日の夜のことでした。
「ねぇ、レオくん。諦めるの? かーちゃんのこと」
僕は尼沢家の二階にあるウイちゃんの部屋に呼び出されていました。
「ううん。嫌だ。絶対に」
僕の心はもう決まっていますから、答えも一つ。迷わずそう言いました。
「だよね。じゃなきゃ、うちが君を殺してるから」
「物騒!」
「あのね、今から君が体や技術を鍛えて、グリプス試験に合格するには、やっぱり何年かはかかると思うの。レオくんの運動神経はうちと同レベルに低いと思うから。てか、一生合格できないかも」
「失礼!」
「だからね、もう最短で試験に合格する方法は一つしかない」
「サポーター枠? ってこと?」
「そう。元々目指してたのはそこだったでしょ。うちが全面的にバックアップすれば、今最も現実的で確率の高い方法だから」
「で、でも、それじゃあ実力では……」
「四の五の言ってる暇あるの? 少しでも早く合格しなきゃ、かーちゃんの期待には応えられなくなるんだよ?」
「そ、そうだよね。そう……だよね」
ーーー僕はぼんやりと壁に掛かった絵を眺めてました。
なんか、色んな色が規則正しく叩きつけられてるみたいな、変な絵です。一体何を書いてるのかもよく分からないやつなんですが、とりあえず何となく引き込まれるものはあります。つまりは、名画的なものなんでしょうかね? 人を惹きつける魅力があるんですから。
『問三の答えはオニヤンマだね。で、問四が……』
ウイちゃんが答えを伝える中、僕は、その問の解答を書きます。【陽子線】と。
『え? 何? 何で分かったの?』
その解を見たウイちゃんの不思議そうな声が聞こえてきます。
ですが、僕はそのまま次の解も書き込んでいきます。【柱状節理】【メネラウスの定理】【アセノスフェア】と。
『え? え? 嘘でしょ? レオくん、どうしたの? え? そんな早く? うちより全然早いよ?』
困惑するウイちゃんに僕は答えることができません。だって、声を出したらカンニングがバレてしまいますから。
でも、それでも確かに、僕の答えが合っていることは、ウイちゃんの反応で分かりますから。
僕は見つけてしまったのです。
あの絵画の奥に隠された、この試験の全ての解答を。
立体視できるようにステレオグラムで描かれた、あの絵画の奥の解答を。




