共犯者=羽衣 10-2
一気に恐怖が襲ってきた。
怖い。
怖くて仕方がない。
羽衣は、家族を失ってからこれまでの二年間、心身を喪失していた。
死は怖くない。
むしろ、死を望む節すらあった。
ただその前に、全ての頭のおかしな犯罪者を皆殺しにしてやりたかった。
不条理に他人の命を奪う、その不条理そのものを殺してやりたかった。
その為には自分の命を投げ出す意思はあったし、何よりも、命などというものに尊さなんか感じなかった。
利用できるものは全て利用し、全て殺す。
むしろそれが生きてる証ですらあった。
他者を利用するのは自分がそいつよりも秀でている証拠だから。
自分が誰よりも高みにいる人間であると証明し、その自分だからこそ、不条理に立ち向かう資格がある、と。
その想いだけが、彼女を彼女として生かす唯一の方法だった。
だが、怖いのだ。
今、羽衣は、とてつもなく怖い。
そして気がつく。
うちは、心身を喪失していた振りをしていただけなのだ、と。
それは全ての防衛反応だった。
心が壊れないよう、自分を守り、自分を讃え、そして、自分を鼓舞する。
復讐心に寄りかかり、倒れないよう立つのに必死だった。
じゃないと、誰もうちを見てくれないから。
それが彼女の作り上げた彼女の幻影。
しかし、感じてしまった恐怖。
彼女の虚構は崩れ去る。
だってそうでしょう?
うちの作り上げた強い韮崎羽衣は、たった一つの切っ掛けで掻き消えてしまったのだから。
また、戻ってきてしまってんだから。
たった一つの切っ掛けで。
昔の、弱くて、何もできない、うちが、また戻ってしまったんだから。
たった一つの切っ掛けで。
うちは、戻ってしまった。
たった一つの切っ掛けで。
うちは、
目の前にいるこの人を、
もう失いたくない。
たった一つの切っ掛けで。
たった一つの切っ掛けで。
たった一つ、人を愛してしまっただけで。
「いやだぁ……死なないでぇ……」
羽衣は和宮八神の肩に半ば噛みつくようにして、声を殺して泣いた。
本来ならこんな面倒な人間に興味はないし、むしろイラついて殺す対象にすらなり得る。和宮八神としてはそう感じる行為だ。
だがしかし。
和宮八神は羽衣の細い肢体を抱いたまま、優しく愛撫するだけだった。
まるでそれは、愛しい人に対する仕草そのものと言えるほど、優しく、愛に満ち溢れていた。
「羽衣」
八神が耳元で囁く。
「お前は僕といちゃダメな人だ。今からでもまだ間に合う。引き返して」
その優しい言葉が尚更に、羽衣の心を傷つけるとは知らずに。
「いや、いやだぁ……一緒にいたい。ずっとずっと、一緒に、いたいぃ……」
もはや羽衣は引き返せない。
人を愛する気持ちを取り戻してしまった羽衣は、同時に最も臆病な羽衣に変わってしまったのだ。
もう誰も失いたくない、誰にも置いていかれたくない、誰からも離れたくない、最も臆病な羽衣に。
その気持ちに気付いた今、羽衣はもう引き返せない。
それに、引き返してはならない罪も犯してしまった。
唯一の理解者だったかささぎを裏切った。
誰よりも彼女を愛そうとしてくれた友人を、恩人を、相棒を裏切ったのだ。
戻れはしない。
戻りたいと願うこと自体、かささぎに対する冒涜だ。
うちは戻ってはならない。
これ以上かささぎに嫌われたくないから。
もう進むしかないのだ。
このまま八神と共に、進むしかないのだ。
だからうちを放さないで。
戻れなんて言わないで。
うちは、うちは、
うちはこの歪んだ未来への道程の上で、ずっと八神と一緒にいるしか、
もう居場所なんかないんだから。
ーーースカートのポケットの中でクレバーホンが震える。
羽衣は息を飲んだ。
ここに逃げ込んでからどのくらい経ったのかは知らないけれど、思ったよりもずっとずっと早かった。
羽衣は恐る恐る、クレバーホンを取り出す。
その画面に表示されていたのは、この用途の分からぬ広間へと続く入口の映像。
そこを通り抜ける、アサルトスーツに身を包む警察官達の隊列だった。
「早い……早いよぉ……」
嗚咽と共に漏らした言葉に八神が問い返してくる。
「どうした? 何が起きた?」
言葉に詰まり、何度もしゃくり上げる羽衣。
八神は羽衣の言葉を待つ。
イラ立ちもせずに、静かに待つ。
「警察……がきた」
ほぼほぼの予測は立っていた。
八神は床に放り出してあった羽衣のブラジャーとセーラー服を取り上げると、彼女を引き離してから押しつけるように持たせる。
「服を着ろ。君は僕の人質だ。人質らしくしておけ」
「やだ。やだよ」
「聞き分けてくれ。今の俺じゃ、お前を守れない」
「やだよ」
羽衣は備えていた。
何者が来ても分かるよう、この開けた倉庫のような空間に、いくつもの小型カメラを仕込んでおいた。
侵入者があればすぐに分かるように。
が、実際にこの仕掛けが機能を果たした今、感じるのは恐怖だけしかない。
きっと八神は殺される。
うちは人質として救出され、八神は殺される。
きっと目の前で。
いやだ。
そんなのいやだ。
もしそんな目にあったなら、うちはもう、死んでも死にきれない。
死ぬだけでも足りない、後悔しか残らない。
もはや言葉でなんか表現できようもない。
天が落ちてきて、地の底が抜けて、世界中が海に飲み込まれて、そんな大それた表現をしようとも、うちの後悔は表現できようもない。
いやだ。
うちは、いやなんだ。
じゃあどうしたいの?
うちの中のうちが問いかけてくる。
そのままメソメソ泣いて、悲劇のヒロイン気取りで、ワガママだけ言って、自己中に悲しんでればいいの?
違う。
違うよね?
違うよ。
そうだよね?
そうだよ。
そうだよね?
そうだよ!
そうだよね?
そうだよ!!
やるんだよ!
うちが、自分で守るんだ。大切なもの、失いたくないもの、守ればいいんだ!
奪った誰かを憎むんじゃなく、奪われないように、うちが守るしかないんだ!!
クレバーホンに映し出される警察官の集団、一個小隊五分隊、実に三十名。
続々と倉庫内に侵入し、息を殺し、気配を消して二人に忍び寄る。
どこに誰が潜んでいるのか、羽衣には手に取るように分かる。
分かるが。
分かるからこそ。
無理!
うち一人じゃ、完全に無理!!
羽衣が直面するのは無慈悲な現実でしかなかった。
やる気の問題なんかじゃない。完全に無理だ。羽衣一人じゃ、どうにかできるレベルじゃない。
既に囲まれている。
このコンテナの上にも、裏側にも、あのコンテナの陰にも、警官は潜んでる。
アサルトライフルを手に潜んでいて、八神くんを狙っている。
うちじゃどうにもできない。
うちは、無力だ。
気がつくと羽衣はクレバーホンの画面を叩いていた。
無意識にか、意識的にかは、本人のみぞ知るところとしよう。
【助けて】
送信が完了した。
羽衣は一つの勘違いをしている。
狙われているのはグリムウォッチ和宮八神ではない。
狙われているのは、殺されるのは、韮崎羽衣の方だ。
無論、そんな斜め上の計画などは羽衣の知る由もなく、羽衣は八神を守ろうと必死だった。
むしろ何もせずとも、八神は助かり羽衣だけが死に、本当の意味での羽衣の希望通りになったかもしれない。
だが。
その勘違いが、そして羽衣の情けない恣意的な思考が、彼女の運命を救うのだ。
そして即座に返信がくる。
【解析図を送れ】
と。




