招き手
細雨が降り、辺りが少し霞んでいる日に、何となく見慣れた道を歩いていると、私は陰に出会った。私は、今迄何度もこの陰を見たことがあった。
晴れた空の下を歩いていく時や、人と話す時、景色を眺めている時などと、様々な時に陰は現れてきて、正に神出鬼没というべき存在であった。
そんな陰は、普段は私の後ろを彷徨したり、私の目の前に現れて、小さな体で行く手を阻もうとするだけであったから、きっと今日も私の周りをうろちょろするだけだろうと思い目を逸らそうとすると、陰は突然こちらを見つめ、口を開き
「……ア」
と喋った。
その声は子どもの声のように少し高い声で、こいつは話すことも出来るのか、と私は思い、好奇心を心に宿して陰の顔を覗き込もうとした。
すると、陰は
「近寄ってくるな」
と語気を強めて咆哮をしてきた。
突然の強気な咆哮に私は少しの苛立ちを覚えて、何かを言い返して、ぎゃふんと言わせてやろうと思い、声を出そうとすると、陰は間髪を容れずに
「堕ちないか? 地獄に。お前には、輝く道を選ぶことはできない。今迄、何度も何度もそう思えるような事があっただろう? さあ、堕ちよう。堕ちようじゃないか。無間に続く深淵へと溺れてゆこう。さあ、こちらへ来い。来い、来い」
陰は奇怪な真黒い手を広げて、私を招いた。
「今お前に見えている光芒は希望ではない。それは、人目だ。淀んでいて、侮蔑に塗れている、そんな人目が好奇心を帯びた、美しさの欠片もない光だ。なのに、その光芒を追うのか? 諦めろ。無意味なことはやめて、堕落してしまえ」
嗤いながらそう言う陰を、私は踏みつけた。そうして、外套のポケットに手を突っ込みながら、陰を見下した。
ああ、うざったい。