a bird
「I wish I were a bird!!」
俺の隣で同じように芝生に寝そべっていた青弥は急に立ち上がるとそう叫んだ。俺たちは県内でも有名な進学高校の3年生。去年も今年も同じクラスだ。受験生なんだし勉強×100ってくらいしなくちゃいけなくて、学校でも塾でも家でもうるさく言われる毎日を過している。けど今は、塾をサボってだらけていた。青弥の突然の行動に俺はびっくりして、上半身を起き上がらせる。
「なんだよ、いきなり」
青弥はニヒっと笑って俺の顔を見下ろしてきた。
「『もし私が鳥だったらなぁ』て言ったんだ」
「意味くらいわかるって」
んなもん高1で習った文法“仮定法”じゃないか。しかも、その文は超有名例文だ。
「なぁ、藍人」
青弥はしゃがんで俺の目を見つめる。青弥の瞳には俺が映っていた。俺に瞳にも青弥が映っているんだろうな。
「仮定法ってのは“できない”“そうでない”ことを前提としている」
「そうだな」
「俺は鳥じゃない」
「は?当たり前だろ」
「そ。だから鳥だったら良かったなぁって思うんだよ」
「なんで?」
バッ。
青弥は両手を広げて再び立ち上がった。鳥のように。俺も急いで立ち上がる。なぜか、コイツが本当に飛んで行ってしまいそうな気がしたんだ。誰も知らないどこか遠くの世界へ――。
「……飛びたいのか?」
「あぁ。俺は空を飛びたい。鳥のようにさ、この大きな空を自分の翼で飛びたい」
「人間は飛べない」
「鳥なら飛べるだろ」
「だけど……」
どうやって鳥になるんだよ。
*
その夜、青弥は死んだ。自宅のマンションから飛び降りたらしい。次の日のHRで知った俺はただ、ぼーっとイスに座り込んでいた。アイツは鳥になったんだ。そして、どこか遠い世界へ行ってしまった。
*
季節がくるくると廻っていく。大学受験は終わり、今年から俺も大学3年だ。友達たちと仲良く楽しく過している。けれど、5月に入ったとたん俺はアパートに閉じこもるようになっていた。疲れた。有名高校を卒業し、有名大学に入る。立派な人生じゃないか。両親は俺を誇りに思っている。俺だって満足していたはずだ。それなのに、なぜこんなにも疲れているのだろう。眠い。何もしたくなかった。何もできなかった。授業には全く出ていない(やりたくないんだ)。親からの電話を無視した(俺にかまうな)。友達ともしゃべらない(一人にしてくれ)。全てのモノを煩わしく感じた。何かをしなくちゃ。でも、何をすればいい?わからない。わからない。
ブーブー。
携帯が震えている。長いな、電話か?
ブーブー。
うるさい。うるさい。俺は、一人になりたいのに。いろんなことが鬱陶しい。何にも縛られず、楽に自由に……。
“I wish I were a bird!!”
不意に青弥の声が頭に響いた。人間は飛べない。だからこそ、鳥になりたいと思うんだ。そうだ飛ぼう。飛びたい。俺はこの世界から飛び立ちたい!どこか高い場所に行こうと、急いで身支度を済ませる。飛ぼう。飛ぼう。鳥のように空を飛びたい!昂ぶる気持ちを抑えきれないまま、勢いよくドアを開けた。
ガチャッ。
「うわっ!?」
人に当たった衝撃と声がする。おそるおそるその人物の顔をのぞき込んだ。
「痛たた。何すんのや自分」
同じ学科で1番仲の良かった橋本だった。
「2ヶ月振りくらいやなぁ。しばらく見んうちにエライ細うなって……」
橋本は、笑ってそう言いながら俺の肩を叩く。
「ごめん、橋本。俺……急いで行かなくちゃ」
飛ばなくちゃいけない。鳥のように、この世界から。俺は、俺は。
「飛びたいんだ」
橋本は一瞬目を見開いたがすぐにニッと笑った。
「ほな、ちょうどええわ。一緒に飛ぼ」
*
橋本の車で目的地へと向かう。暗い表情の俺とは正反対に、橋本はずっと笑顔だ。
「着いたで」
そこは緑が広がる草原だった。そして、大きくて色鮮やかなものが。
「熱気球?」
1つ、2つ、3つ……。地上にはいくつも熱気球があって、空を見上げればさらにたくさん浮かんでいる。
「熱気球の親睦会。俺のおっちゃんも飛ぶねん」
口を開けて空を見続ける俺の腕を橋本は掴み、飛ぶ準備をしているとある熱気球へと近づいていく。
「おっちゃん!例の友達連れてきた!」
「おー、陽真。友達もよぅ来たな」
男の人が一人、ニコニコと笑って駆け寄ってくる。この人が、橋本のおじさんてやつか?
「今日もよく飛べそうなん?」
「もちろんや。任せとけ」
「ひひ、任せるわ」
二人でなにやら楽しげにしゃべった後、橋本が俺に向き直る。
「清水、一緒に飛ぶで」
「……は?」
コイツ、何言ってんだ?状況を飲み込めない俺を置いて、事は進んでいった。ようやく理解したのは、熱気球のバスケットに橋本とおじさんと一緒に乗り込む時だった。
「マジかよ」
これに乗ったら、空に……。そう思うと急に怖くなってきた。落ちたら、死ぬんだよな。さっきまで、飛びたいと願って興奮していたのに、落ちることを考え始めたら恐怖で足がすくんだ。
「ほら」
固まる俺に、先に乗っていた橋本が手を差し伸べる。
「安心しぃ。俺も一緒やから」
顔を見れば、橋本は笑っていた。心が軽くなった。体の強張りもなくなる。
「あぁ」
橋本の手を掴み、乗り込んだ。
*
「浮いた……」
熱気球が地面から離れた時、俺は静かに呟いた。地面が遠ざかっていく。どんどん、どんどん俺たちは空へと昇っていく。空へ。空へ。
「空は気持ちええなぁ~」
橋本がのびのびと言った。ああ、気持ちいい。広い広い、世界。俺たちは空に包まれている。
“飛びたいんだ!”
「飛んでいるんだな……」
空の全てをキレイだと思った。ここには幸せと喜びが、それと同時に悲しみがあった。苦しみもあった。全ての想いが俺から溢れ出し空へと溶け込んでいく。俺と青弥が見上げていた空。憧れた空。
「清水、よう聞けや」
橋本がじっと俺を見つめる。俺も見つめ返す。
「鳥やなくてもな、人間も犬も魚もカエルかて空を飛べるんやで。生き物はみんな翼を持っとる」
「翼?」
力強く橋本はうなずく。
「現に今、俺らは飛んどるやろ?」
「でも、それは熱気球に乗っているからだ」
「飛びたいゆう気持ちがなかったら、これも飛ばせん」
「……」
「俺は思うにはや。飛びたいと思う、その気持ちこそが俺らの翼なんちゃうかって。鳥の翼とはちゃうけど俺らはちゃんと自分の翼で空を飛んどる!」
“飛びたいんだ!”
「空を、飛んどるんや」
あぁ、そうだったのか――俺の瞳からは涙がとめどもなく溢れ出していた。鳥にならなくてもよかったんだ。翼があれば、どんな空へでも俺たちは飛び立つことができた。青弥、お前は――、
「どの未来へ飛ぶことを願ったんだ……っ」
なんで自殺なんかした。なんで死……鳥になってしまったんだ。お前にも翼があったはずだ。だけど、その翼で飛ばなかった。途中で止めたんだ。“人間は飛べない”俺がそう言ったからか?
「ごめん……ごめん……ごめン……」
この声が、青弥に届くことはない。それでも、止めることはできなくて……。謝り続ける俺の背中を、橋本が撫でた。
「大丈夫。大丈夫やで」
そして、空を見つめながら橋本は言葉を続ける。
「空っていうのんが新しい世界の例えなら、世の中空でいっぱいや。何もわからん“明日”も一つの空や。空を渡り歩いてみんな生きとる。だから、飛びたいと思うんちゃうか?生きることそのモノが飛ぶことなんかもしれへんな。……死んだら飛べやんで」
「そ……だ、な」
ズズっと鼻水をすすりながら、なんとか俺は応えた。生きよう。俺の未来へ向けて、飛んでいこう。
*
だいぶ高度が下がってきた。おじさんの丁寧な操縦のおかげで、空の旅も無事終了だ。
「橋本」
「なんや?」
俺の声に反応して、横にいた橋本は顔をこちらに向けた。
「俺にも翼あるよな?」
考えることなく、すぐに満面の笑みが返される。
「当たり前や!その翼で世界中飛び回ってくるんやで!」
俺はもう、大丈夫だ。
「おう!楽しんでやるぜ!」
久しぶりに、笑った。青弥の言葉を、橋本の言葉を、俺は一生忘れない。
fin.
初めて?書き上げた短編を加筆修正したものです。高校3年生のときに初執筆したものなので懐かしくてたまりません。関西出身なので、関西弁のキャラクターは書きやすいです( •̀ ω •́ )✧