28.第一メイズ:髪々の愛した桃源郷
桜谷駅から徒歩五分。
古く寂れた路地裏商店街の名残を思わせる飲み屋通り。
そこを歩きながら、草薙先生と雨羽先輩がお店を示していきます。
「あ、あの肉バルの向かいにある微妙に薄汚い雰囲気の店構えしたラーメン屋めっちゃ美味いぜ」
「あそこの物陰にひっそりとした看板出してる中華料理屋さん、わたしのオススメです」
「お二人とも意外とこの通りに詳しいんですね」
通りの雰囲気に店の外装を合わせながらも、比較的新しめなオシャレなバーや、イタリアンの店なども軒を連ねるその場所の――
「ここの裏通りは結構なメシ屋飲み屋の激戦区でさ、老舗は美味いか強い固定客がいるから潰れねぇのよ。
んで、新しく店を構えようとするなら事前のリサーチってすんだろ? だから最低限、ここらの店の味に負けない自信のあるやつが出店するワケさ。
だから新しい店も比較的美味いコトが多い。
桜谷駅前近辺で、チェーン店以外で安くて美味いメシにありつきたいなら、この裏通りはありだぜ」
「良いコトを聞いた。そこのイタリアンも良さそうだし、機会があれば来るとしよう」
「静かなバーとかが好みなら、この通りじゃねぇがオススメあるぜ? 姉御、よかったら今度どうだい?」
「それは楽しみだ、白瀬。是非に」
何やら大人コンビは不思議とウマが合うようで、すっかり飲み仲間になったとか。
ちなみに、草薙先生の本名は邑雲 白瀬と言うそうです。
和泉山さんとはプライベートの顔で付き合いがしたいということで、本名でやりとりしているんだとか。
さておき。
この裏通りを駅前側から見た時に、ちょうど反対側に位置する住宅街側の入り口付近に、その美容室はありました。
「ここが件の美容室のようですね」
Kirikami Kouhei 's Beauty Salon "頭源郷"
「このネーミングセンス、どう思う?」
「ノーコメントで」
看板を見た草薙先生が思わず漏らした疑問に、苦笑しながら雨羽先輩が答えます。それに、私と和泉山さんも便乗して同意しました。
お店の入り口には、『close』の掛け看板が掛かっていて、人気はありません。
まぁ店長が逮捕されたのですから、お店を開けておく場合でもない――ということでしょう。
「雨羽先輩、和泉山さんへ祈りの付与をお願いします。
和泉山さんは祈りの付与が終わり次第、誰かと手を繋いで待機を」
私が告げると、先輩は羽衣を纏い、その先端で和泉山さんに触れます。そして祈りが終わったあと、和泉山さんは先輩と手を繋ぎました。
「では行きましょう」
少しばかりカレー臭いハサミに、メイズよ開けと念を込めます。
すると、そのハサミを中心に空間が波打っていき、周囲の風景が変わっていきました。
今までいた路地裏が、完全に寂れきってしまったような場所。
「これは……」
「錐咬の心の風景の一部、とでもいうべき場所です」
路地裏の商店街は活気はなく荒れ果てて、だけど、彼のお店だけは輝きを放っています。
私の手の中のハサミはカギのような形へと変化しており、そのカギを使ってお店の入り口に掛かっているわざとらしいカギを開きました。
「この中がメイズです。
ここから先は、それこそモンスターのような異形が徘徊していて襲ってきます。
開拓能力を持たない和泉山さんは、私たち以上に苦戦する可能性がありますので、雨羽先輩は、和泉山さんへの祈りの付与を可能な限り切らさないようにお願いします。
そして和泉山さんは積極的な戦闘よりも雨羽先輩の護りを優先してください。先輩の能力は、チームの安全を守り、探索の安定感を高めてくれますから、重要です」
「あたしへのアドバイスとかないの?」
「草薙先生は特には。コ・マイマイよりもビックマイマイの人型モードで戦う方が安定はするかと思いますけど、まぁそこも個人の判断にお任せします」
「微妙にアドバイスになってねぇな」
苦笑するものの、私の考えていることも理解できたんでしょう。それ以上は何も言いませんでした。
正直、草薙先生ってどこか馴れたところがあるんですよね。
能力者との戦闘が――というよりも、戦闘というかケンカというか……ようするに相手を傷つけることに。
その上で、能力を使っての戦い方も、能力を使わない戦い方もちゃんと分かっている人のようなので、余計なアドバイスとかはいらないと思うんです。
ともあれ、こうして私たちは歪んだ輝きを放つ美容院へと足を踏み入れました。
ようこそ いらっしゃいました
ここは髪に選ばれし者の店
Kirikami Kouhei 's Beauty Salon "頭源郷"
そうここは――こここそが、『髪々の愛した桃源郷』
そして、最初に目に入ってきたのはデカデカと書かれたそんな看板だったものだから、思わず頭を抱えたことを許して欲しいものです。
「ここが錐咬の心の中というコトは……。
ヤツは自分の店をこのように思っていたというコトですか?」
「ええ。恐らくは」
和泉山さんの疑問に、私はうなずきます。
この入り口だけで、どれだけ髪にこだわりがあったのかというのが分かります。分かりますが――
「とはいえ、いくら髪が好きとはいえ、それを理由に人を襲って良い理由にはなりませんけれど」
チラリ……と、草薙先生の方へと視線を向けると、彼女は視線を逸らしてわざとらしい口笛を吹き始めました。
うん、まぁ――後ろめたさや罪悪感を持っているなら良いのですけど。
「でも、髪が好きなだけあって、すごいこだわりの感じる空間ではありますよね」
周囲を見回している雨羽先輩は、どこか感心したように言います。
確かに、その言葉も分かるところはありますね。
心の歪みが反映されているのか、棚などの形は歪んでいるものの、その歪んだ棚に陳列されているものは、整理整頓されているように見えます。
美容師が使うのであろうハサミ。
シャンプーやリンス。ドライヤー……等々。
それらが、恐らくは錐咬のこだわりに応じた整頓のされ方をされて棚や壁などに並んでいます。
練習用のマネキンの首が並んでるところだけは、正直不気味ですけど。
「そういや、マガジンラックっぽいのねぇな」
「言われて見れば」
大人組のやりとりに、私もそういえば――と周囲を見ました。
「実際の店舗ではともかく、錐咬としては不要なのではないでしょうか?
髪の手入れをしている時に、髪以外に意識を割いて欲しくない――そんな想いの現れなのかもしれません」
「んー……そんな一方通行に想いを押しつけられても迷惑なんだけどなー」
「雨羽先輩の言う通りです。ですけど、誰もそれを指摘しなかったから……あるいは指摘されても彼が無視し続けた結果が、今の彼というワケですからね」
ですが、もう彼はことを起こしてしまいました。
そうなってしまった以上、起こした事件の責任は彼のモノです。
「エントランスで話をしていても仕方がありません。
皆さん、先に進むとしましょう」
私がそう促すと、みんなが小さくうなずいてくれます。
なんだかリーダーになったみたいでちょっと気まずいですが……。
何はともあれ、私たちはお店の受付のようなこのエントランスを進み、奥にある唯一の扉……『スタッフオンリー』と掛かれたそれに手を掛けるのでした。
【TIPS】
当店は、カットはシャンプー込みで3600円です。
会員のお客様は3200円になります。
お子様も大歓迎。
キッズ料金はシャンプー込みで2800円です。
保護者様が会員であれば、2500円になります。