25.十柄 鷲子は、その〆を
思考が定まらない。
何をして良いのか分からない。
そうだ、髪の毛様の為……違う。それは絶対に、違う……と思うのだけれど……。
頭が痛い。ズキズキする。
頭痛とは違う。恐らくはケガ。
でも問題は……ない?
髪の毛が……無事、なら……。違う。何かが違う。
何かが致命的に間違っていると思うのに、髪の毛さえ無事で、髪の毛さえ大事にできれば……何もかもがどうでも良くて……。
それを整えてくれる錐咬 香兵の言うことさえ聞いていれば、すべて問題なく……ないわけが、ない……問題しか、ない……はず、だと、思う……。
あれ? 私は……和泉山さんの足首を捕らえて?
何で……? いや、錐咬さんを、助けないと……助ける?
ダメ……思考が鈍い。思考が滲む。
髪の毛が……髪の毛の……髪……神……。
――――…………ッ!
突然、頭の中に閃光が弾けた。
何が起きたのかは分からない。
視界が暗くなる。周囲から色がなくなる。周囲の認識ができなくなる。だけど、不思議と頭はスッキリしてくる。
言葉が浮かぶ。
目の前に言葉が浮かんでいる。
それはもう文字通り浮かんでいるんです。
その言葉は――
『状態異常:洗脳(ヘアー&エイリアン)』
……そういう、ことですか。
いえ、頭がちゃんと回るようになってきた今なら、それ以外考えられないとわかります。
でも、この異様な状況は、その文字だけではなくて。
先端に赤いカタツムリの付いたペンが現れました。
万年筆っぽいペン先をしている奴です。
そのペンは、私の視界の中を舞って、『状態異常:洗脳(ヘアー&エイリアン)』のカッコ内の能力名に線を二本引きます。
そして、まるで間違えを修正するかのように、『(されているふり・本当は正常)』と書き込みました。
瞬間――一気に思考がクリアになっていきます。
さっきまでのよくわからない感覚が嘘のように、手足の指の先までハッキリと神経や血が通っていく感覚に満たされていきます。
そして、ペンがさらに文字を描いていきます。
『そういう意図はないけど、伝言として言葉を残す結果として強制力を発揮する能力です。そこはご了承を』
何となくこのペンの能力が分かってきます。
記憶や情報を書き換えて、強制する――カタツムリが付いていることから、バスの中にいたカタツムリの能力の一部なのでしょうね。
『合図があるまで、棒立ちで。洗脳されてますって感じの虚ろな目のままぼんやりと立っていて欲しい』
思考がクリアになっている今、この文字による強制もはねのけるくらいのことは出来そうですが――ここは、素直に従いましょう。
直前までの状況がどうなっているか分からないからこそ、無理して動かない方がいいでしょうから。
そうしてペンがその姿を消して行くと、視界に色が戻っていき、物事をちゃんと見れるようになっていきました。
最初に目に入ってきたのは――
――宙を舞う錐咬 香兵でした。
……いえ、あの……なんで宙を舞っているのでしょうか?
疑問に思う間も無く、空から落ちてくる彼に、和泉山さんの鋭すぎる拳が突き刺さります。
彼が、地面でバウンド――することなくスライドしていきます。まるで格闘ゲームのスライドやられのようにずささささーっ……と。
同時に、彼の横にいる髪の毛の塊のようなものも、解れて髪の毛に戻るようにバラけていきます。
……地面を滑っていく錐咬は……生きているのでしょうか?
何となく注視していると、何とか彼は身悶えしています。
一応、生きてはいるようですね。
しばらく呻いたあと、それでも立ち上がるのは流石にタフです。
いえ、そもそもタフすぎて損はないと言いますけど、いくらなんでもあのタフさは……って、あ。なるほど。
前世のゲームでは、能力のレベルを上げれば、本体のステータスが上昇していました。
恐らくですが、この世界においても、開拓能力者には多少の身体能力向上補正があるのでしょう。
その上で、開拓能力のレベル――現実になった今、その表現が正しいかは分かりませんが、今は脇へ置いておきましょう――が上がっているので、打たれ強くなっているのかもしれません。
ようするに、開拓能力が強くなったのに合わせて、HPや防御力が上がっているのでは? というお話です。
ただ、そのことをちゃんと理解できないと、彼の異様なタフさは不気味でしょうがないことでしょう。
……そんな錐咬を能力なしで圧倒してるように見える和泉山さんもとんでもないような気もしますが。
ともあれ、ふつうの人間なら無事ではすまなそうな攻撃を受けて起きあがった錐咬は、和泉山さんと、その近くにいる見慣れない女性を睨みつけてます。
「チェックメイトって奴だぜ、アンタ。錐咬さんだっけ?
真っ向勝負じゃあ、静音の姉御に勝てないのは分かってるだろうし、すでにあんたの周囲にはあたしのコ・マイマイちゃんたちが取り囲んでる。逃げ道はねぇ」
どうやらあの女性が、バスの中でカタツムリを操っていた人のようですね。どうして和泉山さんと共闘しているかは分かりませんが、確かに詰みです。
「あたしのコ・マイマイちゃんは触れた相手の意識を一瞬だけ奪える。その一瞬がありゃあ姉御には充分な時間だ。
アンタがどんだけタフだろうと逃げられない。勝ち目もない。降参すりゃあこれ以上の痛い目は合わねぇかもしれないだろ? 素直に白旗あげとけよ」
うーん。
今、私の背後にヘアー&エイリアンがいますね。気配がします。
まだ操られてるフリをしてた方が良さそうですね。
そして案の定、背後からやってきたヘアー&エイリアンは私を絡め取り、宙を飛んで錐咬の横へと降り立ちました。
「はは……まだだ! 最高の髪質だけは逃さねぇ……」
「お嬢様ッ!?」
「これで、まだオレは詰んでねぇッ!!」
錐咬は諦め悪く叫び、和泉山さんは悲痛に叫び、バスの反対側の席に座ってた女の子もなぜかこの場にいて、ショックを受けたような顔をしています。
そんな中、タネが分かっているカタツムリの女性だけが、不敵に笑い、告げます。
「だから、チェックメイトだって言ってるだろ。お前に勝ち目はねぇんだ、すでに――な」
いたずらが成功した悪ガキのような顔で、女性が宣言します。
「待たせたな嬢ちゃん。待機状態の解除だ」
「は?」
錐咬が間の抜けた声を出しますが、もう遅いです。
「静かに栄える植物園」
ヘアー&エイリアンはもとより誰かの髪の毛が変化したもの。
……で、あれば最初の戦いで私が自分の髪にしたのと同じように、力の影響の綱引きです。
「な、なんで……ッ?!」
でも、今回は完全に虚を突いた形ですからね。一瞬で、私の勝ち。
私に絡みついていた髪の毛は全て、私の望むテイカカズラへと変化していきました。
続けて私は自分の髪の毛もテイカカズラへと変化させ、束ねて拳の形にしたものを左右に二つ作り出しました。
「あなたのマネをさせて頂きました。
タフ過ぎて損はないのは確かですが、ならばあなたのタフさが底を尽きるまで、私の拳とテイカカズラのこの拳……合計四つの拳を持って、ただひたすらに打ちのめすコトにします」
「う……うわぁっぁあ……ッ!」
流石にチェックメイトを実感したのか、私に背を向けて逃げようとします。
ですが、私たちの周囲にはコ・マイマイと呼ばれるカタツムリが囲んでいるんですよね。
錐咬が逃げようとした瞬間、カタツムリが一斉に飛びかかります。
一匹でも触れてしまえば、意識を一瞬奪われてしまうわけで……
足が止まった錐咬を捕まえて、こちらへと強引にむき直させ胸ぐらを掴みます。
「ひっ……! た、助け……」
「その言葉をッ、これまであなたは聞き入れましたかッ!? 思考が書き換えられッ、泣き叫ぶ女の子たちのッ、懇願をッ!!」
「あ、あ、あ……」
「覚悟は――よろしいですねッ!?」
「へ、ヘアー&エイリ……」
「遅いッ!!」
アザのある顔をひきつらせる錐咬を軽く突き飛ばすようにしながら手を放し、まずは自分の拳でボディに一発。
身体をくの字に曲げた錐咬の顎をアッパーの要領で繰り出した掌底でかち上げます。
そうして、がら空きになった錐咬に対して、私は自分の両手とテイカカズラの拳を同時に構え――
「はぁぁっぁぁぁぁ――……ッ!」
錐咬へ向けて四つの拳を連続して叩き込みまくりましたッ!
「これで――ー……ッ!!」
最後に、左右のテイカカズラの拳を束ねて一つにしたものを、渾身の力でもって打ち放つ――ッ!!
「ぐげぇ……」
最後の一撃を受け、カエルの潰れるようなうめき声を漏らす錐咬を下目遣いで見下ろしながら、私は髪の毛を元に戻しつつ、目を覆うように垂れてきた前髪を払いながら告げます。
「テイカカズラに変えていたとはいえ、私の髪です。
大好きな髪にいっぱい叩かれて、嬉しかったのではないですか?」
まぁ、完全に伸びているようなので、問いへの返答はできそうにありませんけどね。
【TIPS】
テイカカズラの花言葉は「優雅」「栄誉」「優美な女性」
それ以外に「依存」という言葉も持っているらしい。