心の壁
彼女はすっかり当惑していたが一応俺についてきた。俺は兵士たちがいた方と逆に走り出す。ちょうどこちらは街の出口の方である。
「待て!」
後ろからかすかに声が聞こえてくるが待つつもりはない。時々ちらりと振り返ってみるが追手はいないようで、不思議そうな顔の彼女がついてくるのだけが見えた。俺が本当に彼女を逃がそうとしているのが伝わると意外とこういう状況に慣れているのか、それ以上口を開くこともなく無言で走っている。まあ、あんな性格だといつもトラブルに巻き込まれているのだろう。
しばらく走っていると俺たちを追う者はいなくなる。そこからは普通に門まで走るだけだった。問題が発生したのは門のところだった。しかも思っていたのとは違う方向で。
「おや、君は、いやあなたは騎士団長の……アイル様?」
門番は俺を見ると訝しむような目を向ける。怪しまれたら俺は自分の身分を明かして突破しようと考えていたが、そうか、他人から見ると俺は騎士団長の跡取りなのか。俺の中ではすでにオーガスタ家の嫡男としての生は終わっていたため奇妙な驚きに包まれる。というか助けるつもりでついてきたのにここで俺のせいで足止めをくらうなんて本当に俺は間抜けだ。
一方、その言葉を聞いて女ははっとした。
「そうか、あなたもしかして悪口を言われていた人。だから……」
納得したようにぽん、と手を打つ。「悪口を言われていた人」という納得のされ方は嫌だが事実なので訂正出来ない。それより、ばれてしまったとはいえこの場を切り抜けてしまえばもう街に戻ることもないだろう。不思議と俺はそこまでの決意を固めてしまっていた。だとしたらどんなに適当なことを言っても問題ない。
「ちょっと隣街まで彼女を護衛することになりまして」
「……」
一瞬彼女はいいの? という目で俺を見たが俺はわざと無視する。
「そういうことでしたか。でしたらどうぞ」
門番はそれを聞くと特に怪しむこともなく俺と彼女を門の外に出してくれた。
街から出た俺たちは門を出てしばらくは走った。街の外には一面の原っぱが広がりその中に街から街へとつながっている街道が続いている。街道だけは馬車なども通るため整備されており、周辺は比較的治安もいい。ちらほらいる通行人たちは駆けていく俺たちを怪訝な目で見たが特に何かを言ってくることはなかった。
体力のない俺は息が切れて仕方なかったが、何とか街が見えないぐらいのところまで駆け抜けた。街が見えなくなると安心感からかどっと疲れが足に押し寄せ、俺はたまらず立ち止まってしまう。いったん俺を抜かしかけていた彼女もそれを見て足を止める。
「はあ、はあ……」
「助けてくれてありがとう。まさか本人とは思わなかったわ」
肩で息をする俺と違って彼女の方は少し動悸が速い程度である。彼女はそう言いつつも俺の意図を訝しんでいるようであった。当然だろう、領主の息子が悪口を言っていた者を斬りつけた人物を街の外まで逃がしてくれるとは普通思わない。
俺は少し緊張しながら言葉を探す。何となく彼女に一生ついていくぐらいの気分でついてきたが、よく考えれば彼女は俺のことをただの恩人ぐらいにしか思っていないはずだ。場合によっては、俺がいなくても自力で逃げられた、ぐらいに思っているかもしれない。
「でも悪いわね。私を助けたせいであなたも帰ったら立場が悪くなるかもしれないわ」
案の定、彼女は俺が普通に戻って続きの人生を送るものと思っている。俺は意を決して自分の本心を打ち明けることにする。
「聞いて欲しいんだ。俺は今まで武術も出来ず、やる気もなく、他人に陰口を叩かれながらも騎士になると思っていた。だが、俺はあなたのおかげで気づいたんだ。俺の人生なんだから、俺が決めていいって」
俺が言いたい言葉は心の中でうまくまとまらず、ちぐはぐなまま飛び出していく。俺の中で先ほどの経験は人生全てを吹き飛ばすほどの衝撃を伴うものだったが、その衝撃をそのまま言葉にするのは難しかった。
「そう」
突然俺が語りだしたことに少し当惑する彼女。まあいきなりこんなことを言われたら誰だってそうなるだろう。俺は構わずに話し続ける。
「俺はなりたくもない騎士になるのはやめるし、この街も出ていく」
「私があなたの人生を変えたみたいになって少し申し訳ないけど、頑張ってね」
彼女はあまり申し訳なくなさそうに言う。彼女の表情からは他人事感がにじみ出ている。一人で旅をしているようだし、基本的に自分と他人を分けて考えるような性格なのだろう。そして、彼女はその場にとどまったまま手を振る。
「?」
今度は俺が困惑する。
「行ってらっしゃい。お元気で」
「何でだよ。あなたもアメルまでは行くだろう」
俺は行き先を指さす。アメルというのが今走ってきた街道を進んだ先にある隣街の名前である。
「いえ、そうだけど一緒に行くのもなんだからお先にどうぞ」
彼女は心底俺と一緒に歩きたくないようだった。しかし俺に嫌悪感を抱いているというよりは純粋に戸惑いを感じているようだった。俺をちらちらと見ては目をそむける。単純にこれまで一人で旅してきたことによる、誰かと一緒に歩くことに対する戸惑いだろうか。確かに短い関わりながら彼女が他人と関わるのが好きそうには見えない。
しかし俺は彼女と一緒にいきたかった。俺の人生を変えてくれた彼女という存在がまぶしかった。もちろん、いきなり飛び出してしまったからどう生きていったらいいかわからないというのもある。ただ、一言でいえば彼女に惹かれてしまっていた。だったらその気持ちを伝えなければならない。
「いや、俺はあなたと一緒に行きたいんだ」
行くところなんてどうでも良かった。ただ俺は彼女について行きたかった。そうすれば自分というものが何もない俺でも何かを掴めるような気がした。
「……助けてくれた人にあまりこういうことを言いたくはないけど、私は自分の悪口を言われながらも陰から黙ってそれを見ているような人は好きではないわ。それが騎士の家の跡取りならなおさらね」
「それだ」
「は?」
俺の言葉に彼女は首をかしげる。しかし俺は彼女の言葉を聞いて不思議と清々しい気持ちになった。俺は別にマゾではないし、単に直接的な指摘を受けて嬉しかったという訳でもない。
「俺は今までの自分が嫌いだった。だから今までの俺を否定されるとむしろ嬉しいし、安心する。だからついて行かせてくれ」
俺は彼女を見つめる。彼女はしばらく真剣に悩んだ末、
「いいけど、一緒に行くんじゃなくてただ方向が同じってだけだから。そして次の街までだから」
と諦めたように言った。そして言うが早いか、さっさと歩き始めるのだった。俺にはそれが彼女にとって肯定なのかは分からなかったが、少なくとも拒絶ではなさそうだった。そのことに俺はひとまず安堵する。
「お、おう」
俺は慌てて彼女の後を追う。確かに彼女から見れば俺は他人なんだろうが、思ったよりとっつきにくい。俺もあまり他人のことは言えないが、彼女は誰かと一緒にいることに慣れていないように見える。
「俺はアイル。あなたの名は?」
「……ナユタ」
ナユタの答えはとても簡潔だった。その後も俺とナユタとの会話は一問一答が続いた。
「冒険者なのか?」
「ええ」
冒険者というのは特定の相手を持たず、そのときそのときで様々な人から仕事をもらって暮らしていく人を言う。人数が多くなると傭兵、人数が少ないとただの旅人、と呼ばれることが多い。一般的なイメージとしては数人のパーティーを組んで戦闘などの危険性がある依頼をこなす集団である。行商の護衛や魔物討伐、犯罪者の捜索などが仕事の例として挙げられる。
「一人でずっと旅してきたのか」
「まあ大体」
「剣を使っていたが、剣士なのか」
「そうなるわね」
「あちこちを渡り歩いているのか」
「そうね」
「一人で大丈夫なのか」
「大変なこともあるわ」
こんな会話が続いていくと心が折れそうになる。ナユタには全く会話を広げようという気持ちがない。というか、会話を打ち切ろうという気持ちがひしひしと感じられる。
「俺は魔法が使える。剣士一人で旅するよりも魔法使いが仲間にいたほうが都合がいいのでは?」
「一人の方がいい」
俺は素っ気ない相槌しかくれないナユタと会話を続けるのに必死で気づけば突っ込んだことを聞いていた。
「他人と距離を置くのは何かあったからなのか」
「何かってほどではないわ。私が勘違いしてただけ」
今度はやや長い返答が返ってきた。そう言われてしまうと俺はそれ以上何も言えなかった。傍らのナユタは特に気にした様子もなく、俺から半歩先を黙々と歩いていく。風になびく長い髪は遠くから見ると格好良かったが、近くで見ると他人を寄せ付けないカーテンのようにも見えた。