意志
騎士公館で「こんな夜中に非常識な」と門前払いをくらいそうになるのを必死で粘って入れてもらい、事情を話して兵士を連れてアルフォンソ邸へ戻ってみるとナユタがいなくなっているのを見て、俺は死ぬほどびっくりした。
俺が驚いているのをよそに兵士たちは息絶えていたアルフォンソの蘇生処置を試みていたが正直連続殺人犯の生死など俺にはどうでもよかった。
俺は急いで辺りを探したが争った痕跡も書置きもない。第一この部屋にいるのは倒れたアルフォンソだけである。
となれば状況証拠的にはナユタが自発的に俺の元を去ったというのが一番ありそうだ。しかし一体なぜ。足手まといの俺を離れさせて一人でセレナを討ちに行ったという線も思い浮かんだが、先ほど結果的にアルフォンソを倒したのは俺である以上考えづらい。もし俺を足手まといと思うならそもそもアルフォンソの家にも俺を伴わなかったはずだ。俺は別れ際のナユタの表情を思い出した。
もしや、例えアルナと考えていることが違ってもそれでもアルナと居たいと思ったのだろうか。それならもっと早くそうしているような気もするが……。
分からない。ナユタはなぜこのタイミングで俺を置いていったんだ。あのときナユタは俺を拒まず、今俺を捨てた。その理由が分からない。俺は訳が分からなくなった。
一応俺は役目を果たした形になったので、俺は兵士に一言だけ「仲間を探す」と言い残し、夜の街に繰り出した。後はアルフォンソの連行だけだったので兵士たちも「お任せを」としか言わなかった。
とはいえ当てもなく街を駆け回ってナユタが見つかるはずもない。俺にはナユタが行きそうな場所はさっぱり分からず、神殿や宿屋、昨日剣を買った店など行ったことのある場所を手当たり次第に回ってみたがだめだった。
最初にナユタが失踪したときは驚愕の気持ちが強かったが、見つからないにつれ焦燥感が増していった。それもナユタのことを思ってというよりは、ナユタに捨てられたことに対する自身の焦りのような焦燥であった。
気が付くと俺はどこかの酒場に入っていた。
「一番強いのを頼む」
酒が喉を通過すると焦燥感がきれいに消え、代わりに胸いっぱいに喪失感が広がった。探すのを諦めて酒を飲み始めたのだから当然だろう。短い期間だったが、俺の中でナユタの存在は大きかった。
いや、そんなものではない。今までのすべてを捨てた俺の生きる目的とすら言えるかもしれない。
俺はナユタを守りたいと思った。
幸せにしたいと思った。
ナユタに言わなかったが、正直恋に近いものと思っていた。
俺は今まで生きる目的がなかった。ただ自分の人生を惰性で生きていた。そんなときにナユタと出会い、彼女の自分にない恰好良さに惹かれ、空っぽになった俺の人生の目的という場所にぴたりとはまった。もしかしたら俺はナユタという存在に依存していたのかもしれない。
だがナユタは自発的に出ていった。ということは俺の元には戻ってこないということだ。俺はどうしたらいいんだ。
「おかわり」
それから先のことは何も覚えていない。気が付くと俺は道路に倒れていた。
目を覚ますと俺はひどい頭痛に襲われていた。なぜ自分が倒れているのか思い出そうとしたが頭が割れるように痛んで思考を妨害する。しかものどがひからびていて、いがいがする。
しばらく俺はなぜこんな状況で倒れているのか思い出そうとしてみたが、靄がかかったように頭が働かない。とりあえず水が飲みたくなったので荷物から水筒を取りだす。そして荷物をなくしてなかったことに安堵する。
いがいがとしたのどを水が通り抜けていくと、ようやく頭の中の靄が薄まっていき、俺は昨日のことを思い出す。同時に、隣にナユタがいないことにも思い至って俺は言葉にしがたい喪失感を覚えた。俺はナユタに依存していただけだったにせよ、人生の目的をナユタに定めた。だとしたらナユタを探さなければならない。昨日、街の中の俺たちが一緒にいった場所はほぼ回った。
だとすればあと残っているのはセレナの家だけである。一人でセレナの家に行くのは危険、という考えは頭に浮かばなかった。
街を出ると荒涼とした大地が広がっていた。ある意味今の俺の心境にぴったりだ。周囲には人気はないが、時々遠くに魔物が歩いているのが見えたりする。大きな角を生やした四足獣や牙を生やした人型の魔物など普段なら恐怖すること間違えなさそうな存在だったが、今はどうでも良かった。
重要なのはこの先にナユタがいるかどうか、そしてナユタがいるとして彼女はなぜわざわざ俺の元を去ったのか、何か誤解を解いたら戻ってきてくれるようなことがあるのだろうか。
そんなことを考えていると一羽の鳥がこちらに飛んできた。よく見るとナユタが倒した羽の生えたトカゲと似ている。こんなただの魔物でもナユタを思い起こさせてくれば俺は胸が痛くなる。俺は杖を抜いて魔物に突き付ける。
「我無銘の杖によりて命ず。風よ消えろ」
途端に魔物の飛行は不安定になり、下へ落下した。慌てて翼をばたばたさせるが一度飛行が乱れたせいか持ち直すことは出来ない。そのまま地面に落下した。確かこいつの牙が何かの材料になると聞いた覚えがあるが、そんなことは今はどうでも良かった。俺はそいつを無視して進んでいく。
すると向かい側から人が歩いてくるのが見えた。こんな場所なので、最初は人の姿を模した魔物かと思ったが、よく見ると見知った人物である。羽織っていた上着がぼろぼろになり下に来ていた服も魔法による攻撃のせいか焦げたり千切れたりしているが、確かにアルナである。
髪はぼさぼさで全身にすり傷があり、持ち合わせていた明るさは見る影もなくその辺で拾ったと思われる棒切れに体重を預けて歩いてくる姿は疲弊しきっている。
俺は何と声をかけていいか迷っていたがどうも向こうは俺が気づくより先に気づいていたらしい。まっすぐこちらに歩いてくるとぽつりと言った。
「荒れてるね」
「何が? 今のアルナの方が荒れてると思うが」
俺の言葉を聞いてアルナは弱々しく笑う。最初に会った時に酒場で快活に笑っていたときの表情とは雲泥の差で、とても同一人物とは思えなかった。
「ああ、これね。やっぱり君たちが正しかった。セレナは黒だったよ」
口調は弱かったが、さばさばしていた。例え結果がこうなっても自分の判断が間違っていたとは思っていないのだろう。それなら思想の違いだし、責めることも出来ない。それに、ナユタが姿を消したのはおそらくアルナのせいではなく、俺のせいだ。
「そうだろうな。アルナが言うからには何か決定的な証拠でもあったのか?」
「うん。セレナが頑なに入れてくれない一室にこっそり侵入してみたら人間の生首で何か実験中だったみたいで。逃げようとしたけどばれて一戦交えた結果がこう」
戦いの結果が惨敗だったからか、結果的に自分が間違っていたからか、アルナの言葉の端々からは自嘲がにじみ出ていた。しかしあのセレナと一戦まじえて逃げ出せたのなら実はアルナも相当な強さだったのかもしれない。
そんな状態のアルナだったが、自分のことよりも俺に向けて心配そうな視線を送る。
「それよりアイルはどうしたの? 何かすごい雰囲気違うけど。それにナユちゃんもいないし」
「……」
俺はアルナの問いにすぐに答えることが出来なかった。俺もどうしてこうなったのか分からない。
「喧嘩?」
「喧嘩、ではない気がする。気が付いたらナユタがいなくなってた」
俺はぽつりとつぶやく。
「そっか。ナユちゃん、分かりにくいもんね」
その言葉を聞いた瞬間頭が沸騰し、お前が分からなくても俺は分かるんだよ、ナユタがお前をどう思ってたか教えてやろうか、という言葉が浮かび上がってきたが俺はすんでのところでその言葉を飲み込んだ。
俺もナユタが去っていった理由が分からない以上程度の差はあれ、ナユタを分かっていない。そんな俺にアルナに文句を言う資格はない。結局俺たちは誰も一番重要な自分のことは分かっていないのだ。
そもそもここでアルナに怒りをぶつけるのは八つ当たりである。アルナは俺たちと考え方が違うというだけで悪くはない。もしアルナが悪いと言うのならば俺はもっと悪い。
「そうだな。俺は分かっていた気になっていた以上、余計辛い」
「そうだね、アイルはナユちゃんのこと好きそうだったからね」
そう言うアルナの声にはしみじみとした優しさがあった。別にいつものテンションが作っていたものだったとまでは言わないが、憔悴している今のアルナの言葉の方が本音のように感じられた。俺の思い過ごしだろうが。
「で、どうしてセレナの家へ? 実は私ナユちゃんとすれ違いだったのかな?」
「分からない。だが、ナユタならそこに行く気がして」
するとアルナは不思議そうな顔をした。
「ふーん。それは私にはよく分からないけど。でも、気を付けてね。分かってるとは思うけどセレナは強いから」
「そうだな」
「私は神殿に報告と援軍の要請にいくけど。良かったら一緒に来る?」
アルナは少し心配そうに俺を見る。それがアルナなりの俺に対する善意の示し方だった。
セレナはちょっと見ただけでも魔法の腕は俺より上に思えた。アルナが神殿やおそらく騎士公から援軍をもらって行くのならその方が確実だろう。単身セレナと渡り合うのは危険である。
ナユタを助けるために急ぐという考えもあるが、すでにナユタと別れてから半日経っている以上今更という考え方はある。
アルナに対してわだかまりがあるとはいえ、ここは一緒に行くのが正解なのだろうが、俺はなぜかそうしたくはなかった。
もしかしたらナユタが今セレナの家に向かっていると直感したかもしれないし、あえてちゃんとした理由をつけるなら、ナユタをめぐってのアルナに対する対抗意識かもしれない。
「いや、俺はこのままいく」
「ふーん、でも何かそんな気がした」
アルナは納得の表情を見せた。少し意外だ。
「これは連続殺人犯を討つというよりは俺とナユタの問題だから」
「そっか。じゃあ頑張ってね。私にはナユちゃんの傍にいるのは無理だったけど、君なら出来るかもしれないから。ナユちゃんは一人でいいって言うかもしれないけど私はそうは思わないから。もっとも、こんなこと私が言えた義理ではないけど」
アルナは自嘲気味に言う。一日行動を共にしただけのナユタに対しては過分の心配と言えるし、アルナの言っていることは間違いなく本心だろう。
ただ、アルナは誰に対しても気遣いといたわりを持っていて、それがアルナの標準的な他人への接し方なのだ。セレナとは研究への興味などからそれより少し好意的な接し方になった。
色んな人に好意的な接し方をしたらその人の想いは薄まっていくのか、と正面から聞かれると俺には分からないとしか答えられない。
しかし好意を向けられる側からすればそう思えることもあるのではないだろうか。特にナユタが一方ならぬ想いをアルナに寄せていたのだったらなおさらだろう。そして重要なのは実際にアルナの感情がどうだったかということではなく、ナユタがどう思ったかということである。
「すまんな」
俺は何となく申し訳ない気持ちになり、気が付くと謝罪の言葉が口をついて出ていた。
「いいよ。一応、出来るだけ急いで駆けつけるからナユちゃんがいなさそうだったら無茶しないでね」
「ありがとう」
いなさそうと言われても押し入ってみなければ本当にいないかどうかは分からない。ナユタが捕まって実験される寸前である可能性は万に一つというほど低くはない。だから家の前で偶然出会うとかいうことがない限り、俺は一人で突入するだろうし、そうなれば生還率はかなり低い。
それがアルナにも察せられていたからか、別れ際に見せたのは少し寂しそうな表情だった。
俺は自分を心配してくれている人がいることに胸を痛めながらアルナと反対の方向へ歩いた。そしてふと、ナユタは俺を心配してくれているのか、気になった。




