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闇を払う光

 そんなことを思い出しつつ俺は拳をぎゅっと握って怒りをこらえた。聞いていることがばれてろくな反論も出来なければ恥ずかしいだけだし、かといって兵士を呼びつけて彼らを逮捕するのは無様だ。


 考えた末、俺はいつものように現実に対する諦めを発揮した。父が俺を打ったとき、剣祠の前で誓いを強要されたとき。俺はなすすべもなく現実に折られてきた。だから今更どうでもいいところで一つ折れることに抵抗はなかった。


 それでも鈍感になった心に一筋の悲しみを抱えつつ、俺が力なく立ち去ろうとした時だった。彼らの近くを一人の女が通りかかった。年のころはまだ若く十代後半、長い髪に切れ長の瞳、周囲をみな威嚇するかのような不機嫌に見える眼差しが印象的だった。腰には鞘の先端が地面に届きそうな長剣を差している。よく見ると羽織っている紫色のマントのような上着の下には皮の胸当てが見える。軽装戦士のような装いだが、冒険者の類だろうか。


「あなたたち、昼間から赤の他人の悪口で盛り上がって恥ずかしくないかしら」

 女は男たちに何の遠慮もなく言い放った。それを聞いた男たちは一斉に怒りと不愉快さをあらわにする。他人の悪口で憂さ晴らしをするような者たちはえてして自分たちの悪口に敏感である。たちまち彼ら周辺の温度が上がるのを感じた。俺は思わず足を止めて陰からその様子を見守った。


「な、何だよ。俺たちが何の話をしようと勝手だろう!」

「そうだ、というかその前にお前は誰だ!?」

「いきなり現れて好き勝手言ってるんじゃねえぞ!」

 男たちは顔を真っ赤にし、口から泡を飛ばしながら食って掛かる。

「私はただの旅人よ。まあ、あなたたちがそんなことをしていて恥ずかしくないと言うならそれでいいわ」

 女は男たちが不快がる様子を見て満足したのか、立ち去ろうとする。それを見て俺は胸がすっとした。よく考えると自分で言い返せなかったところを赤の他人に助けてもらっただけで俺が無様なのは変わらないのだが。


 が、男たちはよっぽど腹に据えかねたのか、ゆらりと立ち上がる。対抗するため無理やり下卑た笑みを浮かべ、逃がさないつもりなのか女の周りをぐるりと囲んだ。しかも手に手に仕事道具であると思われる金槌や鋸といった工具を持っている。女の挑発的な態度が彼らの鬱屈した心に火をつけてしまったようだった。


「おいおい、いきなり現れて何言ってんだ? 大体そういうお前はどうなんだ」

「人様に偉そうなこと言えるほど強いんですかねえ」

「ほら早く抜いてみろよ」

 そして男たちは手をたたいて囃したて始める。俺はせっかく俺の味方をしてくれた(?)知らない人が囃されていることに胸が痛むがどうすることも出来ない。そしてどうすることも出来ない自分に対して自己嫌悪を募らせる。

 俺は彼女が反撃も出来ずにいいように憂さ晴らしの種にされることを予想して勝手に心痛を覚えていたが、俺の予想は外れた。


 彼女は男たちに煽られるままに腰の長剣をすらりと抜いた。とても彼女の体格で扱える重さとは思えない。それを見て男たちの表情はさっと変わる。まさか本当に抜くとは思わなかったのだろう。三対一というのもあるし、そもそも街中での刃傷沙汰は当然罪に問われる。

 しかしそのうちの一人だけは虚勢だと思ったのか、動じない。むしろ抜くだけ抜いて何もできなければさらに格好悪いとでも思ったのか、さらに挑発を続ける。


「まあ、抜くだけならだれにでも出来るからな。ほら、さっさと帰れよ」

 が、俺には彼女の眼は本気に見えた。何というか、抜き身の剣のような鋭さを秘めている。危ないことにならないうちに男たちにさっさと引き下がって欲しいという気持ちと、このまま俺の悪口を言っていたやつらが斬られて欲しいという気持ち、二つが俺の中でぐるぐると渦巻いていた。そして、現実には男は引き下がらなかった。


「なるほど、あなたを斬ればいいのね」

 不快そうな声音とともに女の眼が据わる。

「何だ、やるのか?」

 男も引っ込みがつかなくなったらしく、額に汗を浮かべながら手近にあった金槌を構える。その様子を見るに、いい加減女の本気を感じ取ったらしい。それでもここまで来てしまった以上今更引けないのだろう。

 他の男たちも様子が変わったのを察し、遠巻きにして緊張しながら二人を見つめる。そんな状況を見て女は感情のこもっていない声で告げた。


「一応、今泣いて謝るなら許すけど」

「それはこっちの台詞だ」

 男はやや震える声で返答する。


 最初に動いたのは女の方だった。ゆっくりと間合いを縮めるとそのまま剣を振り上げ、斬りかかる。

「まじかよ」

 男は小声でつぶやくとそれでも何とか横に跳んで振り下ろされる剣を回避しようとする。ぱっと血が飛び散ったがかすり傷で済んだのだろう、すぐに金槌で殴り返そうとするが、女は一度かわされた剣を引き、今度は突き出す。言うまでもなく金槌と剣では間合いが違う。剣と金槌が交差するが、男の金槌が女に当たる前に彼女の剣が男を貫く。


「ぐわあっ」

 男の腕から血しぶきが上がり、悲鳴を上げて金槌を取り落とす。それを見ていた男の仲間たちは悲鳴を上げて逃げ去った。さすがに女もそれ以上の追撃はせず、男はよろめきながら立ち去っていく。

「全く、面倒な奴らだったわ」

 女はひゅっひゅっと剣を振って血を払うとさやに戻した。


 俺はそんな彼女の姿に言いようのない感動を覚えた。今までの人生、俺はやりたいことも出来ず言いたいことも言えずにずっと生まれに縛られて生きてきた。

 が、彼女はいいか悪いかはともかくとして自分がむかつく人がいれば罵倒し、腹が立つ挑発をされれば容赦なく斬りかかる。それは俺が全く知らない生き方だったし、大げさに言えば人生観を変えられたと言っても過言ではない。俺はそんな彼女に強い憧れを覚えた。


 一方の彼女はすぐ近くで憧れられているとも知らずに足早に立ち去ろうとする。街中でこのような事件を起こしたのだから当然だろう。が。

「誰だ、街中で刃傷沙汰を起こしたやつは」

「真昼間から人に斬りつけるとは不逞なやつだ」

 どたどたという足音とともに思ったよりも早く兵士が数人駆けてくる。たまたま近くにいたのだろうが運が悪い。男たちは俺への悪口を言っていただけで、先に絡んだのは女の方である。事情を聞かれればどう考えても女の方が悪者になるだろう。

彼女が兵士数人に勝てるほどの腕の持ち主かは不明だが、兵士と斬り合ってしまえばたとえこの場を切り抜けても逃げることは難しくなる。


 そう思ったときの俺の行動は自分が思ったよりも早かった。後から思えば彼女が男に斬りかかったときに俺をつなぎとめていた糸はぷつんと切れてしまっていたのだろう。そして糸が切れた後の俺は今までの俺とは全く別人だった。

 今まで十六年間、望みもしないことを押し付けられてきた反動もあって俺の行動は果断だった。俺は杖を抜くと兵士たちに向ける。


「我、無銘の杖に依りて命ず。北海よりも冷たき氷よ、兵士の足を凍てつかせよ」


 俺の詠唱とともに走っていた兵士の足が突然凍り付いた。

「うっ」

 足を凍り付かせた兵士は当然つんのめるようにしてその場に倒れる。すぐに起き上がろうとするが、足首と膝の辺りが凍っているせいかうまく立ち上がることが出来ない。


 ちなみに今回の魔法は兵士たちの膝と足首という極めて小さい部分を少しの間凍り付かせただけで、大した魔力を必要とする技ではない。一つの魔法を細かく分割して使うには魔力ではなく、正確な空間把握が求められる。単に映像としてどこに魔法を撃つかを念じるのではなく、正確に彼我の距離や対象同士の距離、さらには凍結させる時間などを思考しながら使うとよりうまくいく……というのはさておき。


 突然の兵士たちの転倒に、剣を構えようとしていた女もさすがに目をぱちぱちさせる。先ほどまできれいだなと思っていた人が急に戸惑っている姿を見て不覚にも少し可愛いなと思ってしまうが、今はそれどころではない。

 俺は彼女の前に飛び出すと、強引に左手を掴む。後から考えるとかなり恥ずかしい行為だったが、そのときはその場から彼女を逃がすことに精いっぱいで無我夢中だった。


「えっ」

「逃げよう、あっちだ」

「あなた誰!?」


 彼女の表情に困惑が広がる。確かに彼女はやったことだけで言えば、その辺の一般人に喧嘩を吹っかけて大怪我させただけだ。この事件の見解を求められれば百人中百人が「やりすぎ」と答えるに違いなく、彼女は誰かに助けられるとは思っていなかっただろう。

「説明は後だ。とりあえず逃げるぞ」

「え、ええ」

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