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過去の呪縛

「あーあ、毎日毎日こんな仕事やってられねえぜ」

「しかも仕事終わりに一杯飲んだらすっからかんだからな」

「何で俺たちはこんな暮らしをしなきゃいけないんだ」

「そういえば騎士団長の息子はとんだ雑魚らしいぜ。聞くところによると、お勉強の成績はいいけど剣を握らせたら百戦百敗」

「でもそいつはろくに仕事もせずいい飯食ってるんだろ?」

「それは許せねえな。俺の方が強いんじゃね? 代わってあげたいわ」

「そうだな、そしたら俺たちにもタダ飯食わせてくれよ」


 街角で仕事の休憩中と思われる男たち四人ほどが話している。粗末な服装と泥だらけになった体を見る限り近くの豪商の邸宅工事の人夫だろう。給料が低い割に重労働だから他人の悪口に花が咲くのだろう、彼らの悪口は止まる気配がない。

 それを分かっていても俺、アイル・オーガスタは不快な気持ちを抑えることが出来なかった。


 俺は“武門の名家”と呼ばれるオーガスタ家の長男として生まれた。代々武勇に優れた当主を輩出し、父はその名に恥じず下級貴族から剣一本で王国騎士団長にまで登り詰めた。それは素直にすごいと思う。しかし、それでも俺は湧き上がる気持ちを押さえることが出来ない。


 何が武門の名家だ。たまたま今まで武勇に秀でた当主が続いただけではないか。なぜそれを俺まで強制されなければならないのか。率直に言って俺は武術の稽古は嫌いだった。俺は魔術の勉強の方が好きだ。


 魔術というのは一見才能の分野と思われがちだが、それは一面的な見方に過ぎない。確かに人が持つ魔力は生まれつき量が決まっており、努力で伸ばせる量は知れている。

 しかし魔法というのは術式や魔道具、そのときの状況などから一つの法則によって発生する現象であり、論理的な研究を続ければそれに見合った答えが得られるという面白さがある。

 むしろ俺からすれば持って生まれた体格差や運動神経で全てが決まる武術の方が才能の分野に思えた。そんなことを言っては努力している者に失礼だが。


 そんな訳で俺は武術の稽古をさぼり、好きな魔術の勉強をしている。魔術だってれっきとした学問だと言うのに、なぜそれを他人にあれこれ言われなければならないのか。俺は彼らを殴りつけたくなる怒りを覚えたが、ぐっと堪えた。


***

 ちなみにまだ幼かったころ、確か九歳ぐらいだっただろうか。まだ幼い子供だった俺は父に尋ねたことがある。

 その時確か俺は父と武術の稽古をしていた。幼いころは言われるがままに訓練をさせられていた俺だったが、その時にはすでに訓練を嫌がり始めていた。父はそんな俺を矯正するためにか、時々自分で訓練をつけた。


「父上、俺は何で騎士にならないといけないんだ?」

 俺の言葉に父の顔は醜く歪んだ。具体的な表情までは覚えていないが、その醜さだけは忘れられなかった。俺の育て方を失敗した、と後悔するように。そして俺の存在を否定するように。それでもすぐに父は俺に媚びへつらうような笑みを作った。ここまで取り繕った笑顔というものを俺はあまり見たことはない。


「アイル、我々は市民の皆が納めてくれる税で生きていられるんだ。だから皆を守る。それは当然のことだろう?」

「じゃあ俺、税なんていらない」

 子供心に言った無邪気な(騎士になりたくないという意味では邪気はあったが)一言だったが、父の表情は凍り付いた。そして次の瞬間、憤怒で燃え上がった。


「何てことを言うんだ!」


 父は先ほどの取り繕った笑みを忘れて手元にあった訓練用の木剣で俺を打った。物理的な痛みよりも先にショックが先に来た。

 ちなみに、このエピソードだけ話すと誤解されそうだが父は俺に日常的に暴力を振るうような粗暴な人物ではなかった。騎士団長だけあって他人だけでなく自らにも厳しい人物で、安易に他人に手を挙げることはしなかった。それだけにその出来事は鮮烈に印象に残っていた。

 単に俺は自由に生きたいというだけなのに、なぜそこまでされなければならないのだろう。そんな悲しみが俺を襲った。もしかしたら涙の一筋でもこぼれていたのかもしれない。

「先祖代々続いてきたオーガスタ家の伝統をお前一代で破壊するというのか!」

 そう言って父は俺を何度も木剣で殴った。俺は泣きじゃくって、「家を継ぐ」と叫んだ。父はそんな俺の弱虫が気に入らなかったのか、俺を打つのをやめなかった。


***

 もう一つ、印象に残っている出来事がある。

 今でもしばしば悪夢としてうなされるのは俺が十歳の誕生日を迎えた日のことだ。すでに俺は武術の才能がないことを悟っていたし、魔術の勉強をしたいと思っていたため家に居づらさを感じていた。

 俺の誕生日ということでその日は父の騎士団の者たちも大勢集まってきてくれて宴会の準備も整えられていた。会場は屋敷の大広間だった。いつもは会議や謁見などに使われる堅苦しい印象の場所なのに、今日はどこか和やかな雰囲気に包まれていた。いつもは家にはいづらさしか感じなかったがその日は騎士たちも俺が好きでない武術の話はしないでくれていて、俺は何となく救いを感じていた。誕生日ぐらいは貴族の跡取りだからとか騎士団長の息子だからとかではなく、一人の人間として祝われていいのか。

 当時はそんな難しいことを考えていた訳ではないが、その時の気持ちを言語化するとそんな感じになると思う。


 そんな訳で久しぶりに俺はリラックスした気持ちのまま宴が進んでいった。が、それはあくまで前座に過ぎなかった。俺に武術の話が振られなかったのは俺への配慮ではなく、単にこれから始まる儀式があるからということだったのかもしれない。

 その時間になると父親が集まった騎士や関係者たちに挨拶し、言った。


「それではアイルの宣誓の儀を行う」


 その日まで俺は宣誓の儀というものの内容を知らなかった。正確には騎士は領主への忠誠を誓う宣誓の儀というものを行うということを知ってはいたが、それを自分も行うとは思ってもみなかった。何と言っても俺はまだ十歳である。普通は成人する十五歳で行われることが多かった。

 しかし広場に集まっている者が誰も大したリアクションをしないところを見ると、前倒しで行われるのはそれほど大したことではないのだろう。


「ではアイル、前へ」

「は、はい」


 俺は広間の前に出た。大勢の参加者がいることへの緊張もあったが、一番の原因は広間の上座にあったものだった。それを俺たちは“剣祠”と呼んでいる。

 それは天井から大人の背の高さを少し上回る高さにぶら下がっており、人の頭より少し大きいくらいの白いドーム型の形状をしている。表面にはオーガスタ家の家紋である“鞘のない剣”が描かれている。手前側に扉があり、父がそれを開けると中にはいくつかの金色の箱が見えた。この箱それぞれに祖先の剣の一部が収められているらしい。この不気味なドームこそがオーガスタ家の先祖代々の霊と剣が祀られている剣祠である。

 剣祠というのは、故人が生前使っていた剣の一部を収めた祠で、名家や武人の家に存在し、出陣の際の願掛けや今日のような祝い事の報告のときに使用する。もっとも、ここまで剣祠を神聖化している家はうちぐらいだろうが。家が下級貴族に過ぎず誇るべき伝統のようなものがないから剣祠を神聖化してよりどころとしているのだろう。

 その剣祠を背にした父と俺は向かい合った。父は言った。


「汝、その生を騎士としてあらゆる脅威から市民を守ることを誓うか」


 俺はその言葉を聞いて言葉に詰まった。騎士団長の父の長男として生まれてから、父も母も周りの者も俺が騎士となることに疑いを抱かなかった。俺の剣の腕が明らかになるまでは騎士団長を継ぐのも当然という雰囲気すらあった。

 だが、十歳の時既に俺の興味は武術よりも魔術に向き、俺の資質や意志に疑問符が付き始めていた。思えば父がこの儀式を早めたのはそんな俺の心を外から強引に固定するためだったのかもしれない。


 当然俺はそんなことを誓いたくはなかった。騎士にはなりたくなかったし、市民の一部が俺の陰口を叩いているのも聞いていた。

 だが、しんと静まりかえった広間の空気に俺は耐えられなかった。誰もが俺が誓うことを当然と思っていた。その重みに俺の心はたわんだ。


「はい」


 その瞬間俺は目の前が真っ暗になった。たかが、ちょっと神聖な場で誓いの言葉を口にしただけ、とは思えなかった。俺はこれから一生騎士として生きていくんだ、という暗い呪縛に包まれた。俺の生きる意味は外から押し付けられた騎士としての役割でしかなくなってしまった。


 その日のその後のことは覚えていない。

 ただ、俺はその日以降、以前より暗い気持ちで人生を送るようになった。騎士を継ぐ以外の選択肢もなく、さりとて武術の練習もまじめにしない、そんな死んだような人生を送ることをより自覚させられた日だった。

 この日以来、魔法の勉強にもかつてほど身が入らなくなることに気づいたときは本当に死にたくなった。心は外から折られたときに死ぬのではなく折れたときに死ぬ。俺はそのことを実感した。

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