第七話「変わりゆくSchool Life」
『茨ちゃん、ご飯うちで食べてく?』
『そろそろお風呂に……あ、一緒に入る?』
『もうこんな時間! いっそ泊まってっちゃう?』
という数々の誘惑を、茨は自己の身の安全の為にも丁重に撥ね除け、迎えた翌日。
柴田による正体露見への対策を二人で話し合ったが、良い案は浮かばず、こうなったら出るとこ勝負だと覚悟を決めて登校すると、一人のクラスメイトが目に留まった。
小鳥遊 梨沙。オレンジに染めた髪を額の上で結い、化粧のにおいを濃く漂わせる彼女は所謂ギャルに分類されるタイプで、揺神女学院の校風にはあまり似つかわしくない生徒である。
掃除当番を茨に押し付けて帰った張本人は、仲の良いグループの友人と談笑していた。
梨沙のせいで桜に大変な思いをさせてしまったと思うと、茨の心象は良くなかったが、当の桜は彼女の様子が変わり無いことに安堵する。
柴田が桜に持ち掛けた『梨沙の悪い噂を流して仕返しする』という話がもしも実現していたら、と密かに心配していたのだ。
「おはよー、梨沙ちゃん」
「桃瀬じゃん。オハヨ」
「……おはようございます」
「昨日はありがと。またヨロシクね委員長」
簡単な挨拶だけ交わすと、梨沙は悪びれる様子もなく雑談に戻ってしまった。
茨が物申すべく口を開くより先に、頬を膨らませた桜が雑談を遮る。
「あのね、昨日の掃除当番サボったでしょ? 代わりにやるの、すっごく大変だったんだから!」
「は? 桃瀬には頼んでないじゃん」
何言ってんだコイツ、と言いたげな顔をされても桜は退かない。悪い事は悪いと、はっきり言うように決めたからだ。
「茨ちゃんがクラス委員長だからって仕事を押し付けちゃダメだよ。自分のやるべき事はキチンとしないと」
「ッセーな、センコーかよ」
「キャハハっ、リサったら説教されてるし!」
グループの仲間にからかわれ、明らかに鬱陶しそうに舌打ちをする梨沙。取り付く島も無い、とはこのことか。
その時、仲間の一人が気になる事を口にした。
「センコーって言えばさ、こんなウワサ聞いた?」
「ウワサ?」
「そーそー。柴田センセ、転勤になったんだって」
「マジ? まだ一学期も終わってないじゃん。ウケる~!」
梨沙と仲間達はゲラゲラ笑っているが、桜と茨は驚いて顔を見合わせた。
昨日の今日で、柴田先生が転勤になったというウワサ。とても無関係とは思えない。
そして、その情報を裏付けるかのように、チャイムが鳴って教室に入ってきたのは柴田先生ではなかった。
「はいはいはーい! お前らさっさと席に着くですよー!」
明るい所では鮮やかな緑色に見える二つ結びの髪をちょこちょこ揺らし、教壇に立つ黒渕眼鏡に白衣の人物。教師と呼ぶには些か幼い容姿をしており、体がほとんど教卓に隠れてしまっている。
「えっと……初等部の生徒ですか? ここは高等部ですよ、初等部は春棟に――」
「しゃーらっぷ! スズカ先生は立派な教師ですしー!」
「ひゃんっ!?」
迷子かと思い声を掛けに行った茨に向かって、スズカと名乗った自称教師は白衣の下から何かを取り出して投げつけた。
胸に跳ね返って床に落ちたそれを茨が拾い上げると、それは運転免許証。名前は椛葉スズカ、年齢の欄には満22歳と書かれている。
「に、にじゅうにさい……!?」
「これで分かったですかー? スズカ先生はお酒だって買えちゃう年齢ですよー! ……毎回必ずお店の人を説得するとこからですけど」
「た、大変ですね……それでえっと、椛葉先生はどうしてC組に?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれましたですよ!」
これ以上は触れない方が無難と判断し、もう一つの疑問……すなわち何用かを訊ねると、彼女は待ってましたと言わんばかりに、桜以上に平坦な胸を張った。
「ずばり、今日からスズカ先生がお前らの担任なのですよー!」
「な……なんだってぇー!?」
再三の衝撃発言に騒然とする茨とクラスメイト達。
「それでは、柴田先生は……?」
「ヤツは炎上して雲隠れしたですよー。人の口に戸は立てられねーです」
噂は本当だった、ということらしい。炎上と聞いて生徒達の間では憶測が飛び交い、桜と茨を除くほとんどのクラスメイトが柴田先生について噂している。
そんな状況に異様なものを感じながら、更に詳しく話を聞こうとした時、スズカが余らせた白衣の袖をぱたつかせながら両手を叩いた。
「そこまでですよー。お前ら、この後に全校集会があるのを忘れたですかー?」
その言葉でいったん喧騒は止み、別の事でざわつき始めた。
最後に満足げな顔でスズカが締め括る。
「それでは、今日からよろしくなのですよー♪」
◆◆◆
全校集会とは、文字通り全校生徒が一堂に会する集まりのことである。初等部から高等部まで、述べ千人以上が学年・学級ごとに列を成して並ぶ様は、軍隊の行進を彷彿とさせた。
しかし、四棟はおろか中央塔にも、それだけの生徒数を一度に収容できるスペースは存在しない。ならば会場はどこかと言うと……
「ひょわぁあ~っ、高いよぉ!」
「下を見れば余計に怖くなるですよ。おら、キビキビ歩くですよー!」
桜が今いるのは秋棟の屋上。そこに高等部の生徒達が集合し、他の各棟にもそれぞれ初等部・中等部が整列している。初等部だけは六学年あるため、春棟と冬棟で半分に分かれているようだ。
彼らが見上げる先には中央塔。その天辺に聳える三角屋根の下に、塔の外周をぐるりと囲むようにしてモニターが取り付けられており、全校生徒が注目する中、モニターに映像が映し出される。
『大和撫子を志す学徒の皆さん、ボンジュール。生徒会長の金城マリアです』
360度、全方位に向けて壇上で優雅に一礼するのは、膝下まで伸びる金髪を何束かの縦ロールにし、黒のカチューシャで額を堂々と晒す、毅然とした態度の女生徒。
『新年度がスタートして一ヶ月が経ちましたが、如何お過ごしでしょうか? ノブレッソブリージュ――我々KINJOグループは総力を挙げ、皆様の健やかな学院生活をサポートいたします』
「……ねぇねぇ茨ちゃん。KINJOグループって、あのKINJO?」
「恐らくは桃瀬さんの想像通りかと」
出席番号順で横二列に並ぶと丁度目の前に来る茨に耳打ちする桜は、自宅にあるファッション雑誌のインタビュー記事を思い出していた。
KINJOグループとは、『全ての女性に華を』をモットーに掲げる大手アパレルメーカーである。フランスに支社を持ち、まさしく世界中の女性を対象として、衣料品だけでなくコスメ市場にも進出している。
インタビューに応じていたKINJOグループの総帥・金城クレスもまた年齢を感じさせない美貌の持ち主であり、茨によればこの揺神女学院の創立にも携わっているらしい。
その間にもマリアの演説は続き、今後の行事予定や、来月から始まる特別授業などについて説明された。通常の授業に加えて週に一度、立派な大和撫子になる為のカリキュラムとして、礼儀作法や選択式の習い事などを教わるのである。
『最初の内は、慣れない事に戸惑う事も多いかと思います。ですが失敗を恐れてはいけません。全ては経験として、皆様が当学院を巣立った後の助けとなるでしょう。それまでどうか、存分に学院生活をお楽しみ下さい!』
最後に彼女が再び一礼し、生徒達から拍手が巻き起こった。これだけの数を前に話すのは、並の度胸で行える事ではないだろう。桜も素直に感服し、惜しみ無い拍手を贈っていた。
一方で梨沙を始めとするグループは気怠そうにしており、あまり真面目に聞いていないように思える。
そんなはみ出し者など気にも留めず、全校集会は熱狂の内に幕を閉じたのだった。
【キャラクターファイル】
No.6 金城マリア
高等部三年A組所属、8月生まれの17歳。
揺神女学院の理事会に名を連ねるKINJOグループ総帥・金城クレスの孫娘にして生徒会長。
フランス人クォーターであり、常に気高くあることを信条としている。
好きな食べ物はきんつば、嫌いな食べ物は銀杏。




