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第三話「すれ違うBroken Heart」

 時は現在に戻り、昼休み。

 桜も茨も、昼食は弁当を持参──と言っても桜は自分の、茨は母親の手作りという違いはあるのだが──しており、中央塔の外周を囲うように作られた中庭で、一緒に食べるのが恒例になっている。

 中庭には四季の名を冠した棟にちなんだ四季折々の植木が植えられており、二人は春棟側に植えられた桜の樹の下にあるベンチに並んで腰掛け、膝の上でそれぞれの弁当を開いていく。


「わぁ~っ、今日も茨ちゃんのお弁当キレイ!」

「桃瀬さんは……以前よりリンゴをウサギ型にするのが上達していますね。とても可愛らしいです」

「やった! 今回のは自信あったんだよね~」


 互いの弁当を褒め合うのも恒例で、茨に至っては前回より良くなった点や気になる部分のアドバイスまでしている。

 桜は褒められた事を素直に喜び、今朝の濁された言葉について自分から訊ねようとはしない。

 そんな優しさに甘えて茨は何も話さずにいたが、無邪気な笑顔を見る度に、心の奥がジクリと痛む。本当に黙ったままでいいのか、と。それでも茨には切り出せなかった。

 そう、あの人と約束したから──


「……ちゃん、茨ちゃん?」

「ひゃいっ!? あっ熱……!」


 ずっと呼び掛けられていたことに気付かず、肩を跳ねさせる茨。その拍子に持っていた魔法瓶の蓋を取り落とし、中身の緑茶が指に掛かってしまった。


「だ、大丈夫!? 火傷したら大変!」


 掛かったのは指だけ、それもほんの少量で残りは地面に吸われたとはいえ、熱湯を浴びて赤くなった茨の人差し指を見て慌てた桜は、逡巡の後……


「えっと……あむっ」

「ふゃぁ!?」


 その指を、自身の小さな口に咥え込んだ。

 突然のことに思考が追い付かずフリーズした茨をよそに、ぬらっとした感触が彼女の指を這い回る。

 むず痒さが背筋を伝い、茨はようやく自分が何をされているのかを理解した。


「もっもも桃瀬さん!? にゃ、な、何を!?」

「ぷぁっ……何って、ウチでは油とかがハネて指に掛かっちゃった時はこうしてるけど」

「そ、それは色々と逆効果です……」

「そうなのー!? 知らなかったよ、ごめんっ!」


 慌てた桜は即座に口を離したが、解放された指を見て危うい衝動が茨の内に湧き起こる。

 振り払おうとした時、鋭い痛みが右手に走った。


「っつ……」


 その痛みに思わず顔を顰める茨。

 見れば、お茶を被った部分が小さく水膨れのようになっている。やはり、すぐに冷やさなかったのがいけなかったらしい。


「茨ちゃん?」

「……いえ、何でもありません。もう大丈夫です」


 桜の行動が裏目に出た、なんて事は口が裂けても言いたくなかった。無理に笑顔を作って答えると、桜は安堵の息を吐く。

 それから食事を終えるまでの間、茨は指の痛みを堪えながら過ごしたのだった。



◆◆◆



「それじゃあ、本日のHRはここまで。皆さん、気を付けて下校してくださいね」

「起立! 気を付け!」


 担任の柴田しばた先生がLHRの終わりを告げ、茨の号令でクラスメイト達が一礼する。

 桜という友人を得たことで、去年よりはクラスに馴染めている茨であったが、押しに弱い性格は依然変わらず、クラス委員長への推薦も断れなかった。

 別に委員長の仕事が嫌いというわけでもないが、「委員長だから」という理由で雑用を任される事も少なくはない。中には日替わりの掃除当番まで茨に押し付けてくる生徒もおり、今まさに教室の掃除を任されている茨は、箒を動かしながら嘆息する。

 それでもあまり憂鬱に感じないのは、桜が掃除を手伝ってくれているからに他ならない。


「よいっ、しょ……ふぅ。こっち終わったよー!」

「いつもすみません……」

「茨ちゃんが謝ることじゃないって! ほら、残りもちゃっちゃと終わらせて一緒に帰ろ?」


 実際、一人でクラス全員の机を運ぶのはあまりに重労働。二人でも足りないくらいだが、一つの机にかかる労力が半減するだけでも大助かりだ。

 たまたま教室の前を通りかかったクラスメイトが手伝ってくれることもあるが、見て見ぬ振りをして薄情な人間だと思われたくない、という保身の面が強いだろう。何も言わずとも手を貸してくれるのは桜くらいなものだ。

 もっとも、自分がクラスメイトの立場だったら、手伝うかと言えば微妙だが……と、茨は自嘲気味に苦笑する。


「やっぱり一度ガツンと言った方がいいって絶対! いじめだよ、こんなの」

「そんなこと……自分の意見をはっきり言えない、私が悪いんですよ」


 つい後ろ向きな言葉が口をついて出てしまった。あるいは、桜が励ましてくれる事を期待したのかもしれない。

 しかし、桜の反応はそんな茨の打算を一蹴する、意外なものであった。


「そんなわけないッ! いじめられる側に原因があるなんて、そんなのいじめる側の勝手な都合だよ!」

「も、桃瀬さん……?」

「仮にきっかけ(・・・・)はいじめられる側にあったとして、死ぬまでいじめていい理由にはならないんだッ!」

「死……!? いや、あの、そこまでは」

「…………あっ……」


 戸惑いを隠せない茨を前に、ようやく桜も我に返ったようだ。教室に気まずい沈黙が流れる。

 茨から見ても、桜はとても素直な人物だと思う。笑ったり拗ねたり落ち込んだり、一挙一動に感情が乗せられている。

 そんな彼女がこんな風に声を荒げたのは、二人が出会ってからは初めてのことだ。未知の状況に茨は困惑しきりだった。

 自分は何か、彼女を怒らせるようなことを言ってしまったのではないか。機嫌を損ねた桜に嫌われてしまうのではないか……嫌な想像ばかりが浮かぶ。


「あ、あの……」

「っ……ごめん!」

「桃瀬さん! 待って下さい!」


 何か話そうと口を開いた茨だったが、桜は俯いたまま掃除用具を投げ出し、教室を飛び出していってしまった。

 咄嗟の制止も聞き入れず、廊下を遠ざかっていく足音だけが放課後の校舎に響く。


「そんな……私……」


 独りぼっちの教室で、茨はただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。

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