第十話「見定めるRoyal Lady」
その頃、生徒会長である金城マリアに呼び出しを受けた桜は、中央塔の遥か上階……あの全方位モニターの真下に位置する生徒会室へと辿り着いていた。
エレベーターに乗れば一直線とはいえ、地上数百メートルの高さまで上昇する浮遊感は筆舌しがたいものだった。覚束無い足取りで、エレベーターホールの正面にある大きな両開きの扉の前に立つ。
「呼ばれて来ました! 桃瀬桜です!」
緊張しながらも扉に向かって呼び掛けると、少し間を置いて良く通る声が返ってきた。
「どうぞ、お入りなさいな」
「し、失礼しますッ!」
重い扉の片側を両手で押し開けて中へ。
お金持ちの生徒会長と聞いて桜は豪華絢爛な部屋を想像したが、実際の室内は自分達の教室と変わらない壁に長机とパイプ椅子が並ぶ、オーソドックスな会議室といった内装だ。
それらの奥にホワイトボードを背にしたデスクがあり、そこに座る人物と傍らの女性が桜を見る。
「ようこそ生徒会室へ。どうぞ楽にしていただいて構いませんことよ」
一人は全校集会でも見た金城マリア。背筋を凛と伸ばして座る姿は、まさしく生徒達の模範に相応しい気品に満ちており、カッコいいと桜は思った。
そんなマリアの傍ら、一歩引いた位置に立つのは赤髪の女性。マリアよりも年上に見える彼女だが、何より目立つのはメイド服を着ていることである。
「えっと、その人は……?」
「お嬢様の御世話係を務めさせて戴いております、ラバテラ・トリメスと申します」
「これはどうもご丁寧にっ! あたし……じゃない、わたくし桃瀬桜と申しますです!」
「はい、存じ上げております」
初めて見る本物のメイドに、緊張のあまり上擦った声で何度もお辞儀する桜に微笑みかけ、ラバテラと名乗った女性はロングスカートの端を摘まんで優雅に一礼を返した。
挨拶も済んだところでマリアが再び口を開く。
「桃瀬桜さん。貴女を呼んだ理由は他でも無い……華憐少女として覚醒したことについてですわ」
「ほぇ? りとる……ふろーら?」
桜にとっては耳馴れない単語であった。しかし、続くマリアの言葉に仰天することとなる。
「昨日、貴女が変身した姿のことです」
「えっ……ど、どうしてそれを!?」
あの場には自分と茨、柴田もといトリカブトしかいなかった。昨日の事を知っているということは、逃げたトリカブトから桜の事が漏れた恐れがある。転勤の件とマリアが関わっているのだろうか。
身構える桜に真相を告げたのはラバテラだった。
「失礼ながら、私が影で監視しておりました」
「ラバテラさんが?」
「学院内で虚構領域――桃瀬様の見た異空間が発生した場合、私めが偵察した後お嬢様へ報告する手筈となっております」
曰く、彼女達は以前からゴシップシードの存在を知っており、何者かによって悪用された際は対処に当たっているのだと言う。
それはまるで、昨日まで単なる噂だと思っていたヒーローの活動そのものだ。
「ひょっとして金城会長……ブラックリリィの事も知ってるんですか?」
「……何故その名を?」
その問いに今度はマリアの方が目を丸くしたが、すぐに元の凛とした顔に戻る。
そこで思い切って、茨から聞いた事をマリア達に話してみることにした。二年前の出来事、黒澤 百合という上級生の正体と、彼女の失踪。
茨に無許可で明かすことに少し抵抗はあったが、これが友人の体験ということは伏せておいた。何か分かるなら話して損は無いはずだ。
「なるほど、彼女の正体を知っていたのですね」
「はい。だから、あの時もヒーローが助けてくれるかもしれないって思ってタネを投げたら……」
眩い光に包まれ、変身した姿はよく覚えている。身体の奥底から不思議な力が湧いてきて、恐ろしい怪物達と戦うことのできる姿。
「それこそが華憐少女ですわ。空想を現実に変えるゴシップシードの力で開花した、可能性の自分」
「可能性の、自分……?」
「そうです。桃瀬様が願ったのは、御友人を護る力を持った英雄としての自分。それがあの御姿です」
「そして私もまた、華憐少女の一人」
そう言うとマリアは長い髪を掻き上げ、その首に掛けられた細いチェーンを引っ張った。
上着の内側からクリスタルのような結晶の付いたペンダントを取り出し、桜にも見えるように持つ。
「わぁ、綺麗な石……これは?」
「ゴシップシードから芽吹いた可能性を結晶化した物ですわ。そうすることで虚構領域内に限り自在に発現させられるようになる、とこれを開発した者は言っていました」
「つまり変身アイテムってことですね!」
ざっくり言ってしまえばそうなる。
桜は興味深そうに結晶を眺めていたが、ここまでですわとマリアが服の中に戻してしまった。
「あーっ、もっと見たかったのに!」
「これは私の物です。見世物でもありませんわ」
「ラバテラさんのはどんなのですか?」
「いえ……私は華憐少女でございませんので」
ちぇーっ、と唇を尖らせる桜には流石のマリアとラバテラも呆れ顔になるが、一つの疑問が湧いた。
「ここまで話しておいて何ですが、順応性が高すぎませんこと?」
「華憐少女として覚醒してしまった以上、最低限の事は御話ししましたが、通常はショックを受けたり戦いを恐れたりするものでは?」
相手は虚構の存在だが、決して幻などではない。触れれば感触もあるし、攻撃を受ければ傷が付く。そんな化け物を相手に戦わなければならないのが華憐少女だ。
果たして、昨日までは普通に過ごしていた少女に、その覚悟はあるのだろうか?
そんな問いの込められた眼差しを受け、桜は首を横に降る。
「怖いですよ。身近な人が急に襲い掛かってきて、テレビとか漫画でしか見たことないような生き物が目の前に現れて……正直もうダメかと思いました」
だが、同時に強く思う事があった。
あんなものが学院で暴れ出せば、クラスメイトや他の生徒、教員にも被害は免れないだろう。
「学院での生活は、あたしにとってすっごく大事なんです。だから、失いたくない。その為の力があたしにあるなら、やってやる! って」
「………」
そんな桜の強い決意を聞き、マリアは目を伏せて己が戦う理由に思いを馳せる。
脳裏に浮かぶのは二年前の情景。燃える空の下、無力な自分と救えなかった命……
あの日の後悔をもう二度と繰り返さない為に今、自分はここにいる。
「……合格ですわ」
「ほぇ?」
「貴女ならば、この揺神女学院を守護する華憐少女として立派に戦えるでしょう。博士に言って貴女の分のペンダントも作っていただきますわ」
「ホントですかっ!? やったぁー!」
認められたことを飛び跳ねて喜ぶ桜であったが、そんな気分を一瞬で張り詰めさせるような警報音が、生徒会室内にけたたましく鳴り響いた。
「うぇっ!? な、何の音!?」
心臓まで飛び跳ねそうな勢いで驚いた桜に対し、マリア達は冷静にデスク上のモニターを見る。
「虚構領域の発生を感知しました」
「場所は?」
モニターには学院全域の地図が表情されており、一部のエリアだけが赤く色付いている。
どうやら、赤いエリアが虚構領域の発生している場所らしい。ラバテラが発生源を特定し、告げた。
「……またしても中庭です」
◆◆◆
「グルルル……ッ」
「そんな……桃瀬さんがやっつけたはずでは……」
茨が中庭で桜の到着を待っていると、突如として周囲の空気が一変。倒されたはずのオオカミ男達が再び出現し、徘徊し始めた。
咄嗟に大きな樹の陰に身を隠すことで難を逃れた茨だったが、見つかるのも時間の問題だろう。
「桃瀬さん……」
大丈夫、きっと桜が助けに来てくれる。
そう己に言い聞かせる彼女の目に、ウェアウルフとは別の存在が映る。
人間……にも見えるが、どこか様子がおかしい。身体に植物の蔦が絡み付き、その場から動かないでいる。怪物たちに狙われる様子も無かった。
しかし、茨はその蔦に覆われた顔に覚えがある。何故なら、少し前まで会話していた相手だからだ。
「嘘……小鳥遊、さん……?」
そこに居たのは、手足を絡め取られ、俯いてぐったりとしている梨沙だった。
【キャラクターファイル】
No.8 ラバテラ・トリメス
金城マリアに仕えるメイド兼世話係の女性。
メイドとして様々なスキルを習熟しており、掃除洗濯料理はもちろん車だけでなくヘリや船舶、果ては重機まで運転でき、銃火器の扱いも心得ている。
本人曰く「メイドたるもの、主人のあらゆる要望に十二分の結果を提供しなくては」とのこと。