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第六魂魄のノゾミス  作者: てひげひろゆき
転生―異世界に希望を繋いで―
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第1話 ファースト・コンタクト

 熱い。

 感覚は、それだけだった。

 顔に当たる感触が硬い。どうやら自分は、アスファルトの上に倒れているようだ。

 喉の奥から、熱い塊がこみあげてきて、反射的に吐き出した。

 鉄臭い。

 ああ――どうやら、吐き出したものは自分の血液であったらしい。


 たぶん、吐き出したのは結構な量だ。

 ということは、それ以上の血が自分の体から出ているのだろう。

 自覚した途端、今度は急に寒くなってきた。これだけ血が出ているということは大きな怪我をしているはずなのだが、痛みは感じない。

 痛みが激烈すぎて感覚が麻痺しているのか、脳が感じ取るのを拒絶しているのか、あるいは――あるいは、自分を哀れに思った、神様の慈悲か。

 いずれにせよ、痛みを感じないのは喜ばしい。


 目がかすんでよく見えないが、すぐ近くで自分と同じ制服をきた少女が数人の男に取り押さえられているようだ。

 傍らには、刃が赤く染まった包丁だがナイフだかが転がっている。状況から推察するに、どうやらあれで刺されたらしい。

 どこかに電話をかける人の姿がある。耳も聞きとりにくくなっていてよく分からないが、怒号だ。きっと救急車でも呼んでくれているのだろう。


 刺されるほどの恨みとか、買ったっけ――


 薄れる視界の中、最期に、ぼんやりとそう考えていた。

 こうして、彼女――桜井希望の十六年の人生は、あっけなく終わりを迎えた。


  *


 桜井希望は、東京都の某都立高校に通う2年生だった。

 学業成績は中の中、身体能力も際立ったものはない。能力面は凡庸な、どこにでもいる普通の少女である。

 ただ、その顔立ちは非常に整っていた。全体的に見ると整っているが、各パーツごとに見ると大味な造りの美人というのは少なからずいる。しかし、希望のそれは目も鼻も口も、それこそ髪の毛一本にいたるまで、優れた芸術家が精巧に作り込んだかのようだった。


 希望自身の意思によらず、その美貌はたびたびトラブルを運んできた。愛想笑いを勘違いした男子による彼氏気取りなんかはいい例だ。

 そういうことが日常茶飯だったから、部活はしなかった。面倒だからだ。

 ただ通っている学校でもあまりいい目で見られないのに、わざわざ人との関わりが増えるようなことをする気にならない。


 当然、恋人なんか作る気もなかった。面倒だからだ。

 だいたい、希望に声をかけてくる男は、決まって希望の容姿にしか興味がない。下心が透けた薄い言葉をかけられる身にもなってほしい。

 桜井希望という少女は、ありていに言って人間嫌いだった。


「……え?」


 目を開けると、一面の白が目に飛び込んできた。

 白い、光。そうとしか形容できないもので満ちた空間に、希望は一人立っていた。

 身体を見下ろしてみる。来ている高校の制服に傷はついていないし、血の跡も見当たらない。お腹に風穴も開いていない。

 何かがぶつかってきて、地面に倒れたというのが希望の持っている記憶だが、今思い返せば取り押さえられていた女生徒が刃物を持って特攻してきたのだろう。

 で、見事お腹にドスッとドスが刺さったわけである。たぶん。


 まあ、それはともかく。

 希望の記憶が正しければ、希望は血まみれでぶっ倒れたはずだ。こんな真っ白けな空間にいるはずがない。

 こんな殺風景なところで唐突に目を覚ましたからには、何かしらの理由があるはずだ。


 例えば――

 ①希望は救急車で運ばれ、現在手術中である。麻酔で意識がふわっとしているので、手術室の雰囲気をこんな感じの夢で見ている。

 ②これまで生きてきた十数年が、実は今目覚めた希望の見ていた夢である。真の希望は、偉大な使命のためにたった今目覚めたのだ!

 ③ここは死後の世界である。希望は死んだ。現実は非情である。


「①だな、うん」


 ①であってほしい。いや、②は②で面白いけど。

 前向きに自己完結し、周囲を見渡してみる。

 改めて見ても、なんにもない殺風景な空間だ。どこまでも広がる白い世界。

 別に雪が積もっているわけでもないし、壁が白いわけでもない。そもそも部屋の端であるはずの壁が見当たらない。

 というか、光源はどこだこの部屋。あまりに白すぎて目が痛くなってきたんだけど。


「おー、来たか」


 唐突に、声がかかった。


「――ッ」


 反射的に振り返る。

 果たして、そこには人影があった。

 さらに正確に言えば、神がいた。

 なぜアレが神であると分かるかって? 

 だってね、書いてあるんですよ。

 顔に当たる部分にね、でかでかと、こう――「ネ申」って。

 

 この真っ白い空間において、実に目に優しい黒い影。いやもう黒すぎてむしろ体全体の輪郭も杳として窺えない。かろうじてヒト型とわかる程度である。

 真っ白な空間といい、真っ黒な影といい、もっと程よく加減した色彩でいてほしい。

 その真っ黒な人影の、顔に当たる部分。そこには、燦然(さんぜん)と白く輝く「ネ申」の文字があった。お前そこだけ白いのかよ。

 今更改めて言うまでもないが――死ぬほど胡散臭かった。


「桜井希望。太陽系第三惑星、地球。日本国、東京都出身。某都立高校に通う2年生」


 神(仮称)の声は、思ったより若い男の声だった。落ち着いた声音だが、どこか鼻から抜けるような色気がある。


「家族構成、海外に赴任している両親のみ。祖父母は父方、母方とも没交渉。学校の成績は2年全クラス360名中180位の凡骨。身体能力、特記事項なし。可もなく不可もなく」


 ん?


「恋人、なし。友人、なし。休日に買い物に付き合わされる程度の知り合いが2、3名」


 あれ?


「特徴はずば抜けて整った容姿。むしろ他の取り柄を見つけることが難しい。容姿がらみのトラブルから人間不信の()あり。要はボッチ」


 おい。おいキサマ。


「身長、158センチメートル。体重、50キログラム。健康的だがやややせ気味。スリーサイズは上から――」

「待て。おい待てキサマ」


 個人情報を淡々と述べられ、希望はたまらず声を上げた。

 神(仮称)は、希望へ視線をやり(たぶん)、いぶかしげな反応を見せた。


「なんだ? あとスリーサイズと今穿いている下着の色情報が残ってるんだが」


 物凄く淡々とした、びっくりするほどストレートなセクハラだった。

 思いっきり引いたが、相手は神(仮称)である。希望のおっぱいサイズや、今穿いている下着の情報だって、なにか重大な意味を持つのかもしれない。


「その情報、いる? というか今まで黙ってたけど、誰だキサマ」

「いや、お前の個人情報に特に意味はない」


 意味ないのかよ! セクハラされ損だよ!


「そして俺は、こういうものだ」


 そう言って、神(仮称)は自分の顔を示した。

 そこにはやはり、燦然と輝く「ネ申」の文字。


「お前たちの視点から見ると、神。もしくはなんかそれっぽいものだ」

「それっぽいもの」


 神の自己紹介、超アバウトだった。


「まあ、俺のことはあんまり気にしなくていい。まずは今お前が置かれている状況だ。ライトグリーンの女、ノゾミよ」

「なぜライトグリーンなのか」


 ……いや待て、その色は記憶にある。

 反射的に神(仮称)を睨みつけた。


「――見たのかキサマ」

「お前は神の目をなんだと思ってるんだ」


 少なくともセクハラするためのものではないと思います。

 なんだこいつは。話を脱線させるプロか。

 思うところは多々あるが、神(仮称)の目が世界の隅々まで――それこそ希望のスカートの中まで――届くというのなら、それは空気みたいなものだろう。

 空気なら仕方ない。そりゃ見える。見えて当然だ。

 希望は強引に自分を納得させることにした。


「……それで、わたしの置かれている状況が?」


 気を取り直して、神(仮称)に問いかける。ライトグリーン情報に釣られてしまったが、こいつは聞き捨てならない情報を口にしたのだ。

 すなわち、今希望がここにいる理由を知っている風なことを。


「おー、それな。お前、死んでるから」


 衝撃の情報は、こともなげに、いささか投げやりじみた調子で。

 ドスン、と希望の胸に突き刺さった。


「え、あの、は……?」

「動揺は分からんでもない。死因とか聞いとくか?」


 聞くまでもない。そこら辺の記憶は薄らぼんやりとだが、ある。

 沈黙を肯定と受け取ったのか、神(仮称)はそのまま一方的に語りだした。


「うっすら記憶にあると思うが、死因は腹部大動脈損傷による失血死。傷口自体はそれほど大きくない。が、刺さり所が悪かったな。救急車が到着した時点でほぼ手遅れだった」

 

 失血死。ああ、確かに大量に血を吐いたと思う。ヒトは1.5リットルの血を流したら死ぬというが、つまりそれくらいの血を短時間で流してしまったわけだ。

 希望はどこか他人事のように話を聞いていた。


「お前の腹に刺さったのは刃渡り20センチ程度の出刃包丁。刺したのはお前の隣のクラスの女生徒だ」

「――なんで」


 わたしが?

 なんの理由があって、なんの恨みがあって、わたしを刺したの……?


「件の女生徒の彼氏だか好きな男だかが、お前に色目を使ったことがある。それも複数回。身も蓋もなく言えば、逆恨みだな」

「――ッ」


 逆恨み。

 そんなことで。

 記憶にすらない、どこかの調子に乗った男のせいで。

 怒りの矛先を男に向けない、狂った女のせいで。

 どうでもいい、しょうもない理由に巻き込まれて、わたしは死んだのか。

 無意識のうちに、涙が零れていた。

 悪いことなんて一つもしなかった。

 周囲に嫌われない程度に愛想笑いくらいはしてきたけど、それで八方美人、なんて呼ばれたこともあったけど。

 そんなもの、わたしが殺される理由になんてならない。


「さて、ここで話が巻き戻るわけだが」


 神(仮称)は、淡々と上から目線でそう言った。

 優しい言葉をかけてほしかったわけではない。こんなのから同情なんていらないし、してほしくもない。

 それでも、傲然とした物言いには反発心が芽生えた。

 希望の射殺すような視線を柳に風と受け流し、神(仮称)は言葉を続ける。


「死んだお前は、通常であれば転生……いわゆる生まれ変わりの段階に移行するわけだ。まあ、次の生がどんな動物になるかは俺も知らん。虫かもしれんし、クジラみたいなのかもしれん。あるいはまたヒトとして生まれるのかもしれん。個人的にはバクテリアとかになってくれるととても愉快だ」


 よし殴る。

 こいつ絶対殴る。


「が、それはお前がそこそこ生きた後でないと意味がないことでもある」


 希望が拳を固めていると、神(仮称)はそんなことを言って肩をすくめるような動作を見せた。

 希望の転生とやらはどうでもいいが、転生するまでにはそこそこ生きている必要がある? ……つまり?


「どういう、こと」

「桜井希望という人間は、観測の有無に関わらず、どの世界においても一定の時期を転機とする」


 どの世界でも、ということは、並行世界の希望のことだろう。やっぱり死ぬほど胡散臭いが、コイツは各種希望を観測できる能力を持っているのだろうか。

 厳密に言えば死産や幼少期の事故死の可能性は除くわけだが、と前置きし、神(仮称)は言葉を続けた。


「転機は十代半ばから後半に差し掛かるあたり。つまり、今のお前の年齢だ」

「……うん」


 お腹に風穴が開いて死んだのも、転機と言えば転機と言えなくもない……のか?


「転機を過ぎてから、お前の人生は大きく様変わりすることになる。眼鏡のイケメンと結婚したり、目つきの悪い男に弟子入りしたり、そいつらと殺しあってみたり――まあ、色々だ」

「お、おう。なにがあったわたし」


 転機後のストーリー例の最初と最後のギャップがひどい。どこの希望だそいつ。いったいなにがあってそんなハードな展開になったというのか。


「で、お前も漏れなくそんな愉快な人生を送る予定だったんだが。なぜかその前に死んだ」

「え、あの、死ぬのが転機だったわけじゃない、の……?」

「ああ、そういう見方もできるのか。一応、あの世界線でのお前は空気を読まないねーちゃんに才能を見込まれて、世界の果てまで行ってくるトレジャーハンターになるはずだった」

「なにそれすごく迷惑」


 そんな未来になる前にさっくり逝けたのは良かった……と言っていいものかとても迷う。

 どこのどいつだその空気を読まないねーちゃんは。


「ちなみに、南極の奥地にある漆黒の山脈だとか、中東にある無銘の都市だとか、唐突に海上に浮上した得体の知れない神殿だとかを踏破する予定だったぞ」


 なぜだか分からないが、踏破予定の場所がことごとく精神を犠牲にしそうな場所な気がした。


「それがどこで歯車が狂ったのか、お前は刺されて死んだ上に並行世界が一つ増えた。なんてことしてくれやがったんだめんどくせえ」

「世界簡単に増えるな! あとわたし悪くない!」


 そもそも簡単に増えて困るならそうならないようにしろよ神。


「お前アレだ。神が全部の世界を平等に万遍なく見てると思ったのか?」

「ここに来るまでそもそも神がいるとすら思ってなかった。というか、キサマが神だなどとわたしは認めん」

「ともかく、予定が狂ってるから今のお前は魂の輪廻の流れから弾き出されてるんだよ」


 強引に話を戻しやがった。脱線しまくってたからいいんだけど。


「お前は本来、数十年生きてから死んで、輪廻の流れに戻る魂でなければならない。そう決まっている。なぜかは聞くな。俺も知らん」

「テキトーかキサマ」

「つまるところ、お前が転生するまでにはあと数十年分の時間的猶予があるわけだ。にもかかわらずお前は死んだ。ここは時間の流れから隔絶しているからいいが――ここから出るとお前は消滅する」

「え」


 唐突に嫌な情報が流れてきた。

 消滅する? わたし死んでるのに?


「魂は輪廻の流れに乗ることで各世界を巡り、エネルギーを循環する。輪廻の流れに乗ることができるのは、あらかじめ定められたタイミングで世界から離れた魂だけだ」


 予定より早く死んだ希望はそれに当てはまらない、と神(仮称)は言った。世界から離れ、輪廻の流れにも乗れない魂は行き場がない。「世界」という壁と、「輪廻の流れ」という壁の間に挟まれて消滅することになるのだという。

 希望が今いる「ここ」は、時間の流れから隔絶しているが、それは適切な時間・場所に干渉できるということとイコールではない。希望が本来輪廻の流れに乗る予定だったタイミングに合わせることもできない。

 ついでに言えば、予定通り死んだ上で輪廻の流れに乗ることを拒否した幽霊とも魂の在り方が異なる。幽霊は望めば輪廻の流れに戻れるが、希望はどうあがいても戻れない。

 八方ふさがりだった。


「というわけで、お前は相当イレギュラーな存在なわけだ」

「え、あの、だっ、じゃあ」


 希望の混乱は相当なものだった。死んだだけでも衝撃だったのに、それが殺された上に予定外で、魂そのものが消滅するというのだ。

 納得しろ、理解しろというのも無理がある。


「とはいえ、このままお前が消滅すると他の世界の『桜井希望』にも少なからず影響があると想定される。最悪、全並行世界の『桜井希望』は消滅することにもなりかねん。これは輪廻に流れている魂の総量から見ても看過できない事態だ」


 混乱する希望と正面から向き合い、彼は――「神」は言った。


「だから、俺からお前に提案できる道が二つある。一つはこのまま『ここ』から出ずに、永劫を過ごすこと。もう一つは、今のタイミングで入り込める世界に『転生』することだ」


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