第11話 すてきななにか
大変お待たせしました。
今回、いつもより長めです。
さて。
レオンたちがゴブリンの巣に突っ込んで行ったため、こちらに残った人員は8名。
希望、シルヴァ、パーシーと討伐軍の人5名だ。
討伐軍の小隊は5人一組の編制であるようで、レオンが3小隊を率いてゴブリンをボッコしに行った形となる。
「では、某たちは巣穴に戻ろうとするゴブリンたちや、他の魔物を警戒、駆除するでござる」
パーシーが希望とシルヴァに向けてそう言った。
なるほど、留守番役には留守番役の仕事があるらしい。既に討伐軍の人5名は周囲を警戒している。
「今のところ、他の魔物の臭いはない」
「そうでござるか。シルヴァ殿の鼻はありがたいでござる」
「俺が役に立てているなら、嬉しい」
シルヴァとパーシーはなんら気負うことなく会話する。
あれ、これわたしよりシルヴァッティの方が友達作る速度早くない?
いや待て、レオンもパーシーも男だし、そりゃあ同性の方が仲良くなる速度は速いだろう。
むしろ男の知り合いばっかり増える希望の現状が不幸なだけだ。うん、きっとそう。
もちろん希望自身のコミュ症には全力で目を逸らしていくスタイル。
「――静かだな」
待機することしばし、シルヴァがそう呟いた。
厳密に言えば、ごくかすかに戦闘音が洞窟から聞こえてくる。だがその程度だ。
「森というものは、基本的に静かなものなのでは?」
兵士A……Aは使ったな。多分違う人なので暫定Bだ。兵士Bがシルヴァにそう返すが、シルヴァは首を横に振った。
「いや、森の中はヒトが想像するよりもずっと騒がしいものだ。鳥や虫の声くらいはしょっちゅう聞こえてくるし、動物や魔物の息遣いもある」
言われて初めて気づいたが、確かに鳥や虫の鳴き声を聞いた覚えはなかった。
昼間であるならば、普通は鳥の鳴き声くらいは聞こえてくるであろうに、だ。
「シルヴァ」
「ノゾミ。皆も。はっきりと言えないが、嫌な予感がする。気を付け――」
気をつけろ、と。
シルヴァが言葉を言い終わる直前だった。
希望の正面。
シルヴァの背後。
森に潜む希望たちの正面。
レオンたちが突入した洞窟の前。
轟風と共に、巨大な影が舞い降りたのは。
「ッ――」
息を、飲む。
その場の全員が声を上げそうになって、言葉にならず吐息だけが漏れた。
シルヴァだろうか、パーシーだろうか、誰かがぼそりと呟く。
その、巨影の持ち主の名前を。
「わ、飛竜……」
飛竜。
竜種としては最下層に位置するものの、その巨躯と飛行能力、保有魔力により段違いの危険度を持つ魔物。
上位種のドラゴンには存在する角はない。特徴は前足がなく、翼脚と呼ばれる大きな翼となっていること。
竜種は高度な飛行能力を持つが、その飛行能力は莫大な保有魔力に物を言わせた重力制御による飛行である。飛竜は純粋な竜種に比較し重力制御能力が低く、それを補うために翼と前足を一体化させ巨大化したものと推察される。
主な攻撃手段は尾による殴打、巨体を利用した突進、体内の炎熱器官にて生成する炎のブレスである。
魔物としての脅威度はBランク。Eランクのゴブリンは言うに及ばず、Cランクのオーガですらまともに勝負にならない。
らしい。
どうのつるぎさん詳細情報をありがとう。
魔物のランク付けがどうなっているのかはよくわからないが、とりあえずゴブリンが弱いらしいことは知っている。Eランクというのはそれくらい弱い魔物ということだ。
対してワイバーンはBランク。単純にすごく強そうである。
「まずいな」
「まずいでござる」
「え、そんなに?」
シルヴァとパーシーに問いかけると、希望以外の全員が頷いた。
「まず某たちの装備でござる。ゴブリン用にごく軽量のものしか持ってきておらぬでござるから、鱗は貫けんでござるし彼奴の攻撃も防ぎきれないでござろう」
「よしんば攻撃が通ったとして、飛ばれると対処のしようがない」
そのまま逃げてくれればいいが、最悪空中からのブレスによる爆撃が始まる。
ワイバーン……ブレス……ワールドツアー……うっ、頭が……。
「では魔法はどうかと言えば、某が得意な魔法が火属性というだけで察してほしいでござる」
ああ、うん。
ドラゴンに火は効かないよね。お約束だね。
「まずいぞ、洞窟を見ている」
身体を休めるのにいい感じのサイズなのだろうか、奥から聞こえる戦闘音が気になったのだろうか。
ともかくワイバーンはゴブリンの巣となっている洞窟に興味を示した。奥まで入り込めるかは定かではないが、目算で10メートル強の巨体が入り込めばそれはもう大混乱間違いなしだろう。
想定できる最悪は、洞窟でワイバーン大暴れからの洞窟大崩壊、生き埋めで突入隊全滅、だろうか。
「きちんとした装備であれば、撃退くらいはなんとかなったんだろうけどな」
「ワイバーンが出るのは想定外です。仕方ありません」
兵士たちが、対ゴブリン用の剣と盾を手に、希望たちの前に出た。
「パーシー殿、援護をお願いします」
「詠唱は破棄するでござる。しようがしまいが目くらまし程度にしかならぬでござろうからな」
「構いませんよ。要はヤツの気を引いてここから引き離せば良いのです」
簡単な打ち合わせ。
彼らは兵士だ。この場で自分たちが何をするべきか、何のためにここにいるのかを理解している。
それが、あまりにも分の悪い賭けであったとしても、だ。
「ノゾミさん、巻き込んでしまってすみません。あなたは絶対に近づかないように。何をおいてもあなただけは我々が守ります」
「シルヴァ殿。ノゾミ殿を守るでござるよ。なに、ワイバーンごとき、某たちにかかれば一捻りでござる」
兵士の代表らしき人――おそらく小隊長だろう――とパーシーが振り返り、にっと笑ってそう言った。
自らを鼓舞する軽口だ。空元気と言ってもいい。
それでも、彼らに悲壮さは見えなかった。
「では、行くぞ!」
『おおっ!』
小隊長の号令一下、片手剣を抜刀した兵士たちが飛び出して行く。
ワイバーン討伐が目的であれば奇襲が定石であろうが、彼らの目的はワイバーンを引き付けることだ。
森から飛び出した人間を、果たしてワイバーンは即座に察知した。
そして。
「Gruuuuuaaaaaaaaaaa!!!!」
威嚇の咆哮を上げる。
思わずすくみ上るほどの大音量。
パーシーの撃ち出した炎の矢を牽制に、兵士たちとワイバーンの戦いの幕が開く。
*
戦闘開始からどれだけ時間が経っただろうか。体感では一時間以上過ぎたように感じるが、実際は五分やそこらだろう。
おおむね予想していたことではあったが、ワイバーンとの戦いは兵士たちにとって大きく不利だった。
なにしろリーチが違うのである。ゴブリンを倒すために最適化した装備は、どう考えてもワイバーンに通用するものではなかった。
尾の一振り、その体躯から繰り出されるタックル、噛みつき、踏みつけ。そのどれもが正面から受ければ致命傷だろう。
彼らの身を守るのはなめし皮で作った軽鎧と、同じくなめし皮を張ったバックラー。到底受け止めきれるものではない。
それでも戦線が維持されているのは、ワイバーンの攻撃をうまく誘導できているからだ。彼らの錬度はかなり高いのだろう。素人目に見てもそれが分かる程度には。
「シルヴァ」
希望以上にそわそわとしているのは、隣に立つシルヴァだ。
誰かが怪我をしないか、誰かが死んだりしないか、気が気ではないのだろう。
同時に、この場で一番のお荷物である希望の面倒を見なくてはならないことも理解しているのだ。
声をかけると、シルヴァは希望を見下ろした。
「行って」
「ノゾミ……?」
希望は確かにお荷物である。しかし、今この場でシルヴァを希望の面倒を見るためだけにとどめておくほどの余裕はないはずだ。
万一兵士たちとパーシーが全滅でもしたら、ワイバーンの次の標的はレオンたちのいる洞窟か、希望たちになるだろう。ならば、そうなる前にシルヴァにも戦ってもらった方がよほどいい。
友達を駒かなにかみたいに考えているようで、我ながら嫌になるが――それでも。
「わたしは大丈夫だから。とっととあのトカゲ追っ払ってきて」
「だが、ノゾミ――」
「いいから行け、バカわんこ。あの人たちを助けたいんでしょ」
射抜くように、シルヴァの目を見つめた。
これでも行かないようであれば尻を蹴り飛ばしてやろう。
シルヴァは希望の目を真っ直ぐに見つめ返すと、何かに納得したように頷いた。
「お前は強いな、ノゾミ。……少し待っていてくれ、すぐに戻る」
言うが早いか、シルヴァはその身を翻し、少しだけかがむと、身体に力を込め――あ、これ魔力だ。魔力を身に纏って――跳んだ。
具体的には、一度の跳躍で、目算100メートルほど。
着地と同時に二度目の跳躍。この跳躍を一歩と数えるのであれば、次は三歩目。
その三歩目は、ワイバーンへの攻撃のための助走だった。
「おおおおおおおおおおおおおおっ!」
背後から猛スピードで迫り来る魔力塊(物理)に反応したワイバーンがシルヴァへ首を向けるのと、シルヴァの拳の到達はほぼ同時。
正面よりやや上、叩きつけるように。
シルヴァの拳は、ワイバーンの頭を正確に打ち貫いた。
「Guuuuu……」
その衝撃はいかほどのものだったのか。
拳の一撃で、10メートルを超えるであろうワイバーンの巨躯が、たたらを踏んだ。
「シルヴァ殿!」
「パーシー! 俺も戦うぞ! 俺は、俺の友を誰一人傷つけさせない!」
シルヴァの熱い叫びが戦場に木霊する。
パーシーが、兵士たちが鼓舞され、シルヴァに続いて「うおおおおっ!」と叫ぶ。ワイバーンへ攻撃を加える。
頭の甲殻の一部にひびを入れられたワイバーンが体勢を持ち直し、怒りの咆哮を上げる。
離れたところから見てるせいで蚊帳の外感が強いけど、一言だけ言わせてほしい。
ちょっとうるさい。
とはいえ希望とて手をこまねいて見学をしているだけではない。
要は追っ払えればいいのだから、お荷物はお荷物なりにできることがあるはずだ。
例えば、どうのつるぎさんを使って弱点やら特性やらを知ったり、とか。
正面から打って出た男達とは正反対に、希望は森の中を通ってワイバーンに近づいていく。
見れば見るほど、馬鹿でかい。
ぶんぶん振り回される尻尾は丸太もかくやの太さで、しなりもある。丸太サイズの鞭とか、当たれば即死ものだろう。
「ぐぶっ」
「――ッ」
直撃だ。もろに見てしまった。
兵士の一人が尾の一撃を正面から受けて、吹き飛ばされる。身体を思いっきりくの時に曲げて、宙に飛び散った赤は彼が吐き出した血液か。
パーシーが吹き飛ばされた兵士の方へ走り、シルヴァが追撃させまいと拳を叩きつけた。
希望があそこに行ってもなんの役にも立たない。ならば飛び出すべきではない。
思い出せ、どうのつるぎさんはワイバーンの特徴をなんと言っていたか。
主な攻撃手段は尾による殴打、巨体を利用した突進、体内の炎熱器官にて生成する炎のブレスである。
尾の殴打は見た。突進も今見ている。見ていないのは――ブレス。
炎のブレス。どれくらいの熱量で、どれくらいの範囲に広がるのかはわからないが、ワイバーンの最大の攻撃だろう。
吐き出されれば今度こそ戦線は崩壊する。
止める方法はなにがある? 考えろ。考えろ。
正面からの相殺――火を消すには、水か? パーシーの魔法は火魔法だ。それしか使えないと言っていた。
水。洗濯。
「いやいやいやいや」
ここでか。
いくらなんでも無理だろう。だって洗濯だよ? 水の量だけはあったけども。
ワイバーンを見ると、わずらわしげに首や尾を振り、シルヴァたちから距離を離したところだった。
巨体が生み出す風圧に押し負け、シルヴァたちは後退を余儀なくされ。
それは、ワイバーンにとって脚を踏ん張り、息を吸う最大の隙となる。
「ブレスが来るぞ!」
小隊長が叫ぶ。
「マジか……!」
相対距離、目算で50メートル。真正面。考えたくはないが、このままブレスを吐き出されれば希望も射程内だろう。
ワイバーンが息を吸い、
「こっ、の……」
狙いはワイバーンの口元。
吐き出す前からチロチロと炎が漏れ出たその口元を、よく見て、
「ノゾミ!?」
飛び出した希望を見たシルヴァが驚愕の声を上げ、ワイバーンがブレスを今まさに吐き出さんとした瞬間。
洗濯魔法は起動する。
水というものは、高温で熱せられると水蒸気となる。
その際、水の体積は急激に膨張するわけだが――その膨張率たるや、実に1700倍にも上る。
では、大量の水が高温の熱源に接触した場合どうなるのか。
蒸発による瞬間的な体積の膨張が一気に起こり、爆発が起こる。即ち、水蒸気爆発と呼ばれる現象である。
実際のところ希望はそこまで考えていなかったのであるが、結果としてブレスを吐いたワイバーンの頭部分で水蒸気爆発は起こった。
「Quroouuu」
水に濡れ、爆発の衝撃波を至近距離で受けた頭の甲殻はぼろぼろ。脳が揺さぶられたのか、ワイバーンの体躯が大きく揺れる。
それでも大きなダメージを与えられたように見えないのは、生物としての頑強さゆえか。
「畳み掛けろ!」
小隊長の怒号が飛ぶ。
一斉に斬りかかる兵士たち。
シルヴァの拳が風を引き裂きながら、揺らぐワイバーンの頭に追撃を入れ――受け止められた。
「ぬっ――」
おそらく人間でいえば額に当たる部分でシルヴァの拳を正面から受け止め、長い首で勢いを殺し切り、頭の一振りでシルヴァを振り払う。
爛々とした黄色の目が、明確に、希望を捉えていた。
「やっ」
ばい。
視線が絡んだだけで直感した。アレは、希望を完全に「敵」と認識している。
首を正面に戻す慣性と共に、ワイバーンは翼を広げ――後方へ飛翔した。飛翔までのプロセスが一瞬だ。羽ばたき一回で軽々とその巨体が宙を舞う。
そのまま、勢いを殺すことなく、宙返りを一回。
加速。
「がッ、は――」
急加速した巨体が希望に迫り、反射的に伏せた。
結果として正面から轢殺されることは避けられた。
代わりに、引っ掛けられた。
何を? 決まってる、この馬鹿デカい脚の爪だ。
どこに? これも簡単だ。
首元が引っ張り上げられ、息苦しい。
視界は目まぐるしく移り変わり、強烈な風が希望の身体を叩く。
臓腑が持ち上げられるような、急激な浮遊感。これ知ってる、飛行機に乗った時と同じやつ。
このクソッタレなトカゲ野郎は、すれ違いざま、希望の服を脚の爪で引っ掛けやがったのだ。
それを意図的に行えるほどの知恵がコイツにあるかはこの際どうでもいい。
はっきりしていることは、この状況が最悪の一歩手前であるということであり、
上る。上る。上る。
飛竜は獲物を脚に下げ、天高く上り詰める。
最悪は、ただ引っかかっているだけの爪から、服が、はず――
「あ――――」
上昇したワイバーンが、さらなる方向転換のために宙返りをしたとき。
遠心力によって、希望の服は爪の呪縛から解き放たれた。
それはつまり、空中で、カタパルトから発射されたようなもので。
なすすべなく、希望は空中に放り出された。
*
落ちる。落ちる。落ちる。
弾道飛行の距離は短い。眼下には広がる森。
このまま落ちれば間違いなく即死だ。
――イヤだ。
こんなところで死にたくない。
消滅するところから運良く逃れられたのだ。
自由に生きていい世界に来れたのだ。
友達が、できたのだ。
まだなにもしていない。まだ満足していない。まだ、生きていたい。
そんな希望の意思をあざ笑うかのように、重力が希望を地面へ引き寄せる。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
「死にたく――ない!!」
それは、無意識の行動だったと思う。
悪あがきにも等しい行動だったと思う。
森の木々、その一本一本が視認できるほど目の前に迫った時、希望は空間魔法から取り出そうとした。
すてきななにか、を。
《――遅いわよ、まったく》
どこか幼さを残した声が耳に届いた気がした直後、希望は突然目の前に開いた穴に吸い込まれるように落ちて行った。
*
目を開けると、黒。
視界はただひたすらに黒かった。
いやもうこれは目を開けたつもりでまだ目を閉じてるんじゃないか? と思えるくらいに黒い。
「ようやく使ったわね、希望。遅い。遅いわ」
「へ」
背後から、声。
反射的に振り向いた先にいたのは、一人の少女だった。
暗闇の中、茫と浮かび上がる、白い影。
白い、少女。
ソレは、そうとしか形容できない姿をしていた。
見かけだけなら、年頃はせいぜい十二、三歳くらいだろう。幼い、と言っても差支えない。
純白の、生気に溢れた艶やかな髪。正確に把握できないが、おそらくは腰のあたりまであるだろう。こちらに来てから色々な髪の色を見たが、その中でも飛びぬけて滑らかであろうことが一目でわかる。
その真っ白な髪に縁取られているのは、これまた染み一つない美しい白面だ。この真っ暗闇の中、その姿は輝くように映えた。
その目は閉じられていて、瞳がどんな色なのかはわからない。
「え、あの、ここはどこあなただれ」
その凄絶な美しさに我を忘れかけた希望であったが、とりあえず浮かんだ疑問をそのまま口にすることにした。
我ながらちょっと間抜けな聞き方だったかもしれない。
彼女は薄く微笑み、
「ああ、ホントに無意識に使ったのね」
と、どこか楽しそうに言った。
その鈴を転がすような声音で続ける言葉に、希望は再度思考が止まることになる。
曰く。
「ようこそ希望。『すてきななにか』の中へ」
「は――?」
ええと、その、つまり。
どういうことなの?
ぶ、文章量は実質2話分だよね!
というわけで、次話、クライマックスです。