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3

 

 息を切らし、着いたその場所で、エーファは大扉を見上げた。


 黒の間――執行の場。その奥には、安置室がある。

 入るには、この大扉を開けなければならない。『城』に住みながら、エーファは一度も足を踏み入れたことがなかった。


 ――さきほど、明かりの主が移動し、入っていった場所。


 今は固く閉ざされていた。まだ中にいるのだろうか? 移動してしまっただろうか? 

 それを知るためには、開けなければ。


 大扉に、恐る恐る手を近づける――。


 だが、透明な手が、背後から伸ばされ、エーファの手首を掴んだ。大きな、首無しのそれだ。そこに当然抑止力などなかったが、エーファは大扉から手を遠ざけた。


「首無し?」

 怪訝に思った。ジルレアや首無しは、エーファの行動を制限するようなことは、滅多にしないのに。

『こんなところ、入ったって楽しくないぞ? エーファ』

 何故だろう。

 陽気で戯けた、いつもと変わらないはずの首無しの素振りに、なにか、誤魔化されたように感じた。

「――首無しも、父さんと同じなの?」


 入るな、と止めるのは。


 見せようとしないのは。


 文句を言うべき相手は、首無しではないだろう。しかし、内心で不満が蓄積されていたせいか、自分で思っていたよりも、反抗的な、強い口調になっていた。


『ここがどういう場所か、わかっているだろう? エーファは見なくたっていい。中に人がいるか知りたいならおれや小娘が見てくる』

『ちょっと首無し胴体! 勝手に決めないでちょうだい!』

『はいはい。年増小娘はうるさいな。それならおれだけで見てくる。エーファは黒の間に入らなくていい』

「でも……!」

『あら。わたしはエーファが望むなら、いいと思うけど』


『――駄目だ』


『どうしてよ? 決めるのは、エーファでしょう? 首無し野郎じゃあないわ』


 また、口げんかが再開するかに思えた時。


 大扉が、開いた。


 エーファではない。黒の間側から。


 漏れ出る光が、エーファを照らした。眩しい。手で遮る。


「何者だ?」


 洋燈を手にし、出てきた人物が、声を発する。

 エーファは瞬きした。


 ――果たして、知人、と言ってよいものか。


 腰に帯びた長剣。彼が柄に手をやった仕草が、その後の行動よりも焼き付いている。

 現に、今も、まず真っ先に剣に手をやった。エーファだと気づいてからは、そこから離したが。


 彼は、セルジーク、と呼ばれていた男性だった。


 あそこからそのままやって来たのか、服装は変わっていない。しかし、貴族階級と縁があるだろう人が、こんな時間に何故刑場などにいるのか。処刑の見物にしては、遅すぎる。


「あなたは、裏街の地下で……」


 エーファを見、セルジークが呟く。


『いい男ね』

 セルジークの周りを、ジルレアが銀を纏いながらくるりと一周した。何かを感じたのか、セルジークは僅かに眉を顰める。見えなくても、幽霊の存在を感じているんだ、とエーファは思った。こういう人物は、たまにいるのだ。

『見えないわりに、勘もいいのね』

 そこで、何かが足りないとでも言う体で、ジルレアが首を傾げた。

 彼女の視線の先にいたのは、首無しだ。


『あんた、どうしたのよ。いつもならここで痛烈な嫌味か皮肉かわたしへの挑戦としか思えない暴言が飛び出してくるところなのに』


 いつの間にか、エーファの一歩分先に立ち、セルジークに近い位置にいた首無しは、無言のまま、更にセルジークに接近した。


 ――様子が変だ。


 首無しは素早い動きで普段は隠している剣を抜いた。実体のない透き通った長剣が振り下ろされる。

 セルジークの左手から洋燈が投げ捨てられた。

 右手が、剣を引き抜く。


「――! くび」


 無し、と思わず叫びかけたエーファだが、言葉は止まる。

 首無しの剣はセルジークに振り下ろされた。しかし――当然ながら、幽霊の剣が、生身の人間を傷つけられるはずがないのだ。セルジークの身体を、剣は突き抜けていた。

 セルジークは咄嗟に引き抜いた剣を、防御の姿勢で中途半端な位置に固定し、困惑の表情を浮かべていた。

 首無しの居る方向を見据えている。


『…………』


 一言も言葉を発さず、首無しが、持った剣もろとも、消えた。どこかへ、移動してしまったのだ。

 こんなことは、はじめてだった。


『何なのかしら? あいつ』

 小さく、エーファは首を振る。

『仕方ないわねえ』

 ジルレアの霊体も、その場からかき消えた。首無しを追ったのだろう。


「――申し訳ありません」


 首無しを捜そうとエーファも身を翻しかけていた。が、それをエーファの怯えととったのか、剣を鞘に収めたセルジークが深く頭を下げた。

 必然的に、エーファの足もその場に縫いとめられる。


「失礼致しました。自分でもわからないのですが、剣を抜いたのは、あなたを傷つけようとしたわけではなく――」

「……はい。わかっています」

 セルジークは首無しの存在を感じ取り、剣を抜いたのだろう。それは、わかっている。むしろ、突然非礼を働いたのは、首無しのほうだった。たとえ、セルジークに何の被害もなくとも。

 頷いたエーファに、不思議そうな視線を投げたものの、セルジークは微笑んだ。

「ご理解頂けて何よりです」

 もう一度頭を下げ、セルジークは自らが捨てた洋燈を拾う。


 持参したものなのだろう、手のひらに隠れるほどの洋燈は小さく、目の形に似た文様が刻まれていた。エーファの視線に気づき、セルジークが軽く洋燈を上げてみせる。一度投げ捨てられたのにもかかわらず、中の火種は生きている。


「これは主に戦場で使用されることを目的として作られたもので、年数は経ていますが、丈夫なのです」

「戦……ですか」


 エーファが生まれる数年前、大規模な戦争があった。それは、世事にうといエーファでも知っている。俗に、ネール戦争と呼ばれている。建国時から、領土を巡って小競り合いを繰り返し続けていたキトリス国とバスハ国の雌雄を決する戦。

 占宮の言が決め手となり、キトリスは勝利したのだ。


「ご安心ください。現在のキトリスは平和です。無事王位継承問題に決着がつけば、さらなる繁栄が約束されるでしょう」


 最初に彼を見た時、猛々しい、と感じたのは錯覚だったのだろうかと思えるほど、セルジークの態度は穏やかで丁寧だ。そして態度も公平と言える。


 そんな必要などないのにもかかわらず。


 この人は『外』の人間。

 彼はとっくに、エーファの素性を察しているだろうに。


 でも、エイルに似た少年に感じたような、ズレは見られない。セルジークは、身分というものをきちんと理解した上で、今の態度を選んでいる。

 おかしかった。忌み嫌われる、死刑執行人の娘に対しているにしては、セルジークの態度が普通すぎて変だし、話の選別もそうだ。


「どうしました?」


 気遣わしげに問われ、エーファは曖昧に微笑んだ。

 王位継承問題なんて、遠すぎて、何の実感もない。名前も知らない二人の王子のうち、どちらが王位に就いても、『城』も、裏町も変わらないだろうし、エーファの生活もそうだ。


 今日だけは、何か手違いがあって……いや――そうではない。


 すべてが決まっているというのなら、その通りに、今日だけ、天と地がひっくり返っても出会うはずのない、会話をすることもない階級の人々とエーファの人生が、ほんのいっとき行き交った。

 それはもしかしたら、あの朽ち色の青年に関して『視た』ものがきっかけか。


 ――でも、それだけだ。


 朽ち色の青年に、伝えるべきことは、伝えたのだから。


 エーファは通りすがりとしての役割は、果たした。


 沈黙していると、セルジークのほうから、また話題が振られた。

「何故刑場に、と問われるかと思ったのですが……あなたは不思議ではありませんでしたか? わたしがここにいるのが」

「それは……そうですが」

 いかにセルジークが変わった人物であろうと、自分のほうから、問える立場ではない。

「困らせてしまったようですね」

 エーファの様子に、セルジークが苦笑した。ゆっくりと、その苦い笑いが薄れてゆく。


「弔いですよ」


 つまり――刑が執行された罪人への。

 今日、父が執行した人間への。


「急な刑でしたので見送りすらできませんでした。ここに参ったのも、禁を犯してのことです。恥ずかしながら、賊のように忍び込んだのですが――こちらにいらっしゃったフランツ殿に遺体の清めが済んでいないと追い返されました。あなたの父君は、己の職務に誇りを持っておられる。……良い人間だ」


 エーファは大きく瞳を見開いた。勢いよく頷く。


「わたしも父を誇りに思っています」


 父が認められたのが、ただ嬉しかった。


 その時、再び大扉が動いた。

 セルジークが洋燈を動かす。黒の間から出てきた、エーファの父、フランツの姿が照らされる。フランツはそこにエーファの姿があることに、大きく身体を震わせた。


「エーファ!」


 次の瞬間、飛んできたのは怒声だ。


「ここには来るなと言ってあるだろう!」

「……父さん」

「お前は入ってはならんと、あれほど……!」

「落ち着きなさい、フランツ殿」

 セルジークの言葉に、はっと我に返ったように、父がエーファから視線をずらす。やや、声の調子が落ちた。


「……それもこんなに遅くに帰ってくるとは……今まで何をしていた? 娼館に使いをやったんだぞ。幸い、こちらの方からお前のことを教えて頂き、大事はないとわかったからよいようなものの……」

「我が子の心配をなさる気持ちは理解できますが、彼女はおそらくこの――」


 セルジークは、洋燈を左右に動かした。


「この不審な明かりを見て棟に入ったのでしょう。あなたが彼女を案じるように、あなたを案じてのことだ」

 フランツは大きく息を吐いた。脇にずれ、人間一人分の空間分だけ開いていた大扉を両手で閉める。父が衝立となって、中の様子は見えない。


「エーファ、お前は、下がっていなさい」


 有無を言わせぬ口調だった。エーファが大扉から充分に下がったのを確認して、父が大扉を開けた。

 黒の間へと、セルジークを誘う。


「――セルジーク様。お見苦しいところをお見せしました。遺体の清めがすみましたので、どうぞ、中へ。ただし、中央は通ってはなりません。……罪人の道です」

 セルジークが頷いたのを見てから、父は続けた。


「向かって左に、小扉があります。あなたのご同僚の遺体は、そこに」

「感謝します、フランツ殿」

 頭を一度下げ、セルジークが黒の間へ姿を消した。


 後には、距離の開いた場所に立つ、一組の親子が残された。


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