5
地上に出る頃には、日はすっかり沈んでいた。朽ち色の青年に先導され、夜の裏街を歩く。だが、裏街はむしろ夜のほうが明るい。道々に松明が灯り、特に娼館を中心に人通りが多くなる。もっとも、エーファは日が沈みきった時刻に出歩いた経験はほとんどない。
――それも、昨日、あんな最悪の出会いをした人間と一緒とは。
助けてくれたのだろう、とは思う。しかし、昨日のように明確な敵意こそ感じないものの居心地が悪いのも事実だった。この青年だって、『城』の意味がわかっているのなら、あの兵士同様、エーファと接するのは苦痛に違いないのだ。
『外』の人間ならばなおさらだ。
「……嫌ではないのですか?」
思い切って、エーファは問いかけてみた。青年は、やや粗暴な仕草でこちらを顧みた。少年の前で見せていたものではなく、おそらく昨日や、今が素なのだろう。
「何が」
エーファは自分の腕を戸惑い気味に見つめた。青年はエーファの腕を掴んだままなのだ。ずっと、引っ張られるようにしてここまで歩き続けてきた。
「別に離してもいいが、自力で歩けるのか?」
言われてみれば、エーファの両足はいまだがくがくと震えている。地下で起こったことに対する緊張の数々が解けていないのだ。
「いえ……」
首を振る。
「ではこのままだ。我慢しろ」
「いえ! そうではなく……穢れが」
穢れが、移ります。
小さな小さな声で、エーファは呟いた。幼少から周囲に言われ続けてきたことは、知らず、内に根付いてしまっている。
そんなことはない、と自分でも信じているはずなのに。
「馬鹿馬鹿しい」
心底呆れ返ったような答えが返ってきた。
「馬鹿……?」
ぽかん、とする。
「穢れなどありはしない。仮にあるとしても、お前に触ったぐらいで俺に移ってたまるか」
ぱちぱちとエーファは何度も瞬きした。
「……そんなことを言われたのは、はじめてです」
少なくとも、『生きた人間』には。
だが、記憶の琴線に、何かが引っかかった。すぐに思い出した。
エイルだ。
ずっと、昔、エーファの友達だった少年。エイルは、この青年と似たようなことを、言ってくれたような気がする。手を繋いで、二人で歩いた。けれども、彼はもうどこにもいない。
そして、友達と朽ち色の青年には、強く一致している点がある。
「…………」
緩く、エーファは首を振った。
――わたしは、何も、『視な』かった。
言い聞かせる。
どうせ、何もできない。エイルの時のように。
『視た』ものが、正しいとも限らない。
自分に強く、言い聞かせる。
言わないほうが、いいと。
本当に?
青年は、娼館へ向かって歩いている。エーファがそう言ったからだ。娼館へ用事がある、と。
もう二度と会うことはないだろうにしても、『城』に送ってもらうのは抵抗があった。もし娼館と聞いて青年が拒否したとしても、一人で帰ればいいと思った。むしろそうなることを望んでいたのにもかかわらず、青年は「わかった」と返しただけだった。
言うか。言うまいか。
「……そういう考え方は、バスハ人の血を引いているからですか?」
口をついて出たのは、言いたいこととは異なっていた。
「いや――」
青年が、否定なのか、首を振る。もう一度、振った。
「いや、そうかもな。俺が生粋のキトリス人だったら、何もかもが違っていた」
皮肉と感慨混じりに、青年は呟いた。
先程、エーファが走り抜けて来た裏路地に入った。建物の煌びやかな明かりが見えてきた。娼館へ――青年との別れが近づく度に、迷いが大きくなる。
どうすればいい?
エーファは足をとめた。エーファの腕を引いていた青年が訝しげに振り返る。朽ち色と視線がかち合い、エーファは目を逸らした。
「ここまでで、充分です。ありがとうございました」
頭を下げる。そのまま、頭をあげない。
「……ああ。じゃあな」
自分の横を青年が通り過ぎたのが、風の動きでわかった。一歩、二歩、三歩……。足音が遠ざかる。ぎゅっと目を閉じる。このまま足音が聞こえなくなるまで待つ。
言うべき相手がいなくなってしまえば――。
どうせ、この青年とは、二度と会わないのだろうから。
でも。
(それで、いいの?)
エーファは、目を開けた。
「待ってください!」
青年の後ろ姿は、まだ判別できる距離にあった。
「昨日、あんな風に終わってしまったので」
直接、言う勇気は、やはりなかった。だからこう言った。
「占いを、やり直す気はありませんか?」
占具を今は持っていない。だから、本当は、占いなどできない。
言いながら、こうも思っていた。青年は、拒絶するに決まっている。
そうであって欲しいのか、違うのか。
自分でも自分がどちらを望んでいるのか、わからなかった。