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4

 

 嘆息する。剣で斬られかけた恐怖が、性質の異なるそれへと塗り替えられた。


 また、だ。まただった。

 また、『視え』た。


 『視え』なくなったはずなのに。


 二度と、こんなものは『視た』くなかったというのに。

 知らない。こんなもの。わたしは、知らない。


 『視た』くない。……いらない。

 そう。いらないのだ。


 何故ならば、無駄だから。


 変えたい。救いたい。救えるはずだと思うのは、驕りだから。

 もういない、笑っていた少年を思い出す。


「朽ち、色」


 唇を動かし、言葉を発することで、残像を振り払う。

 口にしたのは、『視えた』のとは別に、見えた色。


「お前は……」


 剣を握っていた青年の黒を帯びた赤い瞳が、わずかに見開かれる。

 昨日の青年だった。

 青年の後ろには、灰色の外套を頭から被った小柄な人影が二つ。外套は絹織物だ。無地だが、美しい光沢を放っている。薄暗い地下ではよく目立つ。人影の片方はもう一人を守るようにして短剣を前方に差し出しているものの、手は小刻みに震えていた。


『死ーヌ。死ヌ死ヌ?』


 塊が、地面に倒れている男の側をくるくると回る。血の臭いは、おそらくこの男からだ。出血自体は多くない。位置からして、青年に倒されたのだろう。気絶していた。


「こっちだ! 数でかかりゃあ怖くねえ!」


 青年が油断なく剣を構えたまま、振り返った。エーファが通って来た横道とは異なる、通路の正面方向から、低い靴音が複数反響し、後を追って来た。

 現れた男たちの数は――全部で六人だ。採掘用具を武器に、目を充血させている。特に怒り狂っているのが、腕を負傷した男だった。負傷は、青年の剣によるものなのだろう。


「あの朽ち色の野郎だ。不吉な目をしてやがる……。途中から来たくせに、邪魔しやがった!」


 多勢に無勢だ。しかし、おそらく青年が勝つ、とエーファ感じた。男たちは訓練された兵士ではない。それに比べ、青年は修練を積んだ者ならではの構えで剣を取っている。エーファには、身近に剣を扱う友人がいる。だからわかる。青年は勝ち、男たちは負傷か、悪ければ命を失う。


 だが、エーファはすぐに気づいた。

 ――双方が戦わずしてすむ、もっと簡単な解決法があると。


 一番、平和な方法。


 自分ならば、可能だ。『シッコウニン』と呼ばれる父を持ち、何もいない方向を見て話すこともある薄気味悪い、穢れた、異端の娘である、自分なら。

 思いついたその方法を、考える先にエーファは実行していた。


 単純に、前へ――男たちの立つほうへと、進む。

 服はびしょ濡れで、髪も顔も石灰まみれだ。だが、エーファが歩を進め、男たちもエーファの顔を認識できる距離に入ると、男たちの間に戸惑いが走った。


 服装や持ち物でわかる。男たちは裏街の人間だった。中に一人だけ、知り合いがいた。お互いに、顔や存在だけは知っているという程度の。だからこそ、直に接したことがない分、都合良く運ぶ可能性が高かった。


 エーファは、別に何もしなくていい。男たちに近づきすぎない距離で、立っていればいいのだ。重要なのは、彼らがエーファを知っている、ということ。

「……あの娘」

「娘がどうした?」

「『城』んとこの……」

「『城』、だと?」

 幾つもの視線がエーファに集中した。そこに宿っているのは困惑と――怯え。きゅっと、唇を引き結ぶ。この反応は、何度向けられても、慣れない。敵意をぶつけられるのと、そこにいないものとして扱われるのとでは、どちらが辛いのだろう? 


「……やめだ」


 一人が言ったのを契機として、意気揚々と掲げられていた採掘用具が降ろされる。

 各々がばらばらに去り始める。一番最後までいた男が、青年の近くで気絶し、倒れている仲間を気にする素振りを見せながらも姿を消した時、エーファはほっと息をついた。


 うまくいった。


 唯一心配だったのは、青年の出方だったが、逃げた男たちを追う気はないらしい。後方を振り返ってみる。

 倒れた男を見下ろしていた青年が顔を上げる。目が合った。緊張が全身を支配する。


 ――『視え』ない。


 エーファは身体から力を抜いた。

 今度は、大丈夫だ。


(わたしは何も『視な』かった。それでいい)


(それが、いい)


 『視え』ないと言い聞かせ、『視え』なくなったのだから。


「昨日の占師か?」


 訝しげに問われる。一瞬、何のことかと思ったが、すぐに理解した。

 昨日と今日での相違。


 エーファの髪の色が違う。今日は黒色だ。普段から、エーファは銀髪を黒髪に染めている。そうしなければいけないと、父に言われ、自分でするようになったのは五歳を過ぎた頃だ。昨日は、染料が切れ、出入りの商人に貰いに行く例外の日だった。


「あの……」


 どう言おうかエーファが迷っていると、青年の立つ背後から、別の声があがった。

 外套を被った短剣の主が、頭を覆う絹地を外した。柔らかく明るい色の金を溶かしこんだような髪が溢れ出る。エーファは息を呑んだ。


「エイル……?」


 思わず、言葉が、漏れ出る。

 かつて、エーファの、友達だった少年。彼がそこにいるのかと錯覚しそうになった。

 すぐにそんなはずはないと思い直す。

 エイルは、六年前に死んでいる。

 この少年は、似ているだけだ。


「…………?」


 少年が首を傾げた。十四歳のエーファと同じくらいか、もしくは年下かもしれない。整った利発そうな顔立ち。線は細いが、少女には見えない。大きな青い瞳と、少年の持つ独特な華のようなもののせいだ。それこそ、バスハ人に特徴的な容姿を持つ青年とは対照的だった。


 それに、よく見ればこの少年は――顔の作りは似ているが、エーファの記憶の中の人物とは、やはり、出で立ちや振る舞いが違う。

 キトリス人の、特権階級に多い容姿に加え、それらが際立つ雰囲気を、この少年は自然と醸し出していた。


 貴族、だろうか。


 身につけているものの素材からして、差異は一目瞭然だ。裏街にふさわしい人間ではない。ただでさえ目立つ容姿なのに、本人がいくら息を殺して行動しようとも、これでは周りから浮いてしまう。

 襲ってくださいと喧伝して歩いているようなものだ。そして実際そうなったのだろう。裏街の常識からすれば――自分たちの領域を、たとえ本人にそんな意識がなくとも、高価な衣装で歩いていれば――襲わないはずがない。地方貴族が娼館を訪れる時だって、裏街という場所柄を踏まえ、護衛を数人引き連れているのが常だ。


 もちろん、貴族が裏街を歩いていけないのではない。現に、貴族が気まぐれで裏街の人間を何人か殺したところで、どこからも、誰からも咎められない。自由だ。ただし、貴族が権力を公使できるのは、武装し、力を示しておけばこそだ。


 裏街にいる弱々しい貴族など、狼の群れに放り込まれた小鳥のようなもの。もちろん、狼が小鳥を殺したことが明るみに出れば、狼たちは手酷い報復を受けることになるし、そのことも理解している。

 それでも――あの男たちのように、誘惑にあらがいきれない者もいる。成功すれば、一生働いても手に入らない金額が手に入る。裏街においては、この少年のような存在は、毒だ。

 いっそ、少年の無防備さが不思議なほどだった。それは、彼の隣でいまだ外套を被っている人物も同様だ。


 バスハ人の血が混じる青年のほうを見る。こちらも昨日思ったように、上等の服だが、街の人間に目を付けられるほどではない。彼の場合はむしろ朽ち色のほうが目立つし、『外』の人間だとわかるだけで、強く特権階級を意識させる要素は少ない。


「あの……助かりました」


 少年がにこりと、エーファに笑いかける。エイルの笑顔に似ている、と思った。何のてらいも含みもない微笑み。そして、『生きた』人間からは、エーファが滅多に向けられることのないもの。――普段なら、嬉しかったろう。

 けれども、エーファの中では、恐れのほうが大きかった。確実に、少年の身分は高い。異端の自分が名を名乗るだけで、不敬だ。もしかしたら、素性を隠し、こうして話しているだけでも。


 それに――。


 別人だとわかっていても、少年を見ていると、エイルを思い出させられる。彼は硬い表情になったエーファの様子には気づいていないらしく、なおも話しかけてきた。


「良かったら、お名前を教えてくださいますか」

「それは、お許しください」

 男たちが立っていた辺りまで下がる。

 自分はただの通りすがりであるべきだ。

「ですが、ぜひお礼を」

 不思議そうに、なおも少年が問う。これにはエーファのほうが逆に戸惑ってしまった。どうしてこんな簡単なことが、この少年にはわからないのだろう。彼と自分とでは、住む世界が違うのに。


「――フィル様。彼女にも名乗れぬ事情があるのでしょう」


 意外にも、助け船が朽ち色の青年から出された。だが、それよりも印象的だったのは、丁寧に青年に接せられた少年が哀しそうな表情をしたことだ。青年の態度に傷ついた、そんな感情が素直に出たように見えた。


 エーファが立ち尽くしていると、また足音が聞こえてきた。まさか、男たちが戻って来たのだろうか?

 

 ――いや、違った。真っ先に姿を現したのは、これも生粋のキトリス人の上流階級を絵にしたような男性だった。ただし、貴族というには猛々しい雰囲気がある。男性は、青年たちの姿を認め、安堵の息をついたようだった。


「ご無事で……」


 しかし、エーファを視界に捕えると、眉をひそめ、剣の柄に手をかけた。


「やめるんだ! セルジーク」


 その動きが、少年の叱責で一瞬、とまる。

「彼女は私たちを助けてくれたんだ。私たちがお礼をしなければならない立場だ」

 男性は、次に青年に目を向けた。青年が頷く。


「フィル様の言う通りだ」

「――は。失礼致しました」

 柄から手を離し、エーファの前まで来た男性が、その場で膝をついた。


「主をお救い頂き、私からもお礼を申し上げます。どうぞ、先程のご無礼をお許しください」

 男性が剣を抜こうとした時よりも、エーファは慌てた。

「い、いえ、わたしはそのような……! 顔を上げてください!」

「しかし……」

「セルジーク様! お探しの方々は……」


「ここだ!」

 男性はセルジークというらしい――セルジークが立ち上がり、声を張り上げた。新街の兵たちが次々とやってくる。新街の、とエーファがわかるのは、そもそも裏街には兵士が常駐していないからだ。


 エーファに一礼してから、兵士の対応へとセルジークが向かった。どうやら、何十人も動員し、少年たちの捜索が行われていたようだ。一人、二人と集まる数を増やしてゆく。中に、警備兵とは異なる武装の兵士がいた。彼らは真っ先に少年に駆け寄り、安否を確認している。少年も慣れた様子でそれに応じていた。また少年の傍らの小柄な人物も、何事か話している。青年は、倒れている男に関し、兵士に何か伝えているようだ。


 エーファは足が震えてくるのを感じていた。

 自分は場違いな場所にいる、と思った。


 この場から逃げ出したくてたまらない。しかし、逃げだそうものなら、この状況からすると、不審な行動を取ったとして、追われるに違いない。

 青ざめているエーファの元へ、兵士に付き添われ、少年がやって来た。兵士は良い顔をしていない。おそらく、少年が無理を言ったのだと想像がついた。


「騒ぎに巻き込んでしまい、申し訳ありません。ですから、せめて一緒に帰りませんか? それぐらいはさせてください」

「え……?」

「城にお住まいなのでしょう? だったら、行き先は同じです」

 少年は、男たちの言った、『城』という言葉から、そう言ったのだろう。


 けれど、意味を理解していない。


 ――シェーンハンには、城と呼ばれる建物は二つある。

 一つは、新街にある王家所有の別城、カルクレート城。

 一つは、隠語としてそう形容される、裏街にある、エーファの住む『城』。


「城にこのような娘は――」

 兵士の顔色が即座に変わった。少年を庇うように前に立つ。


「! この娘と話してはなりません!」

 兵士が叫んだ。まるで悲鳴のようだった。

「何故貴様のような者がここにいる!」

「あ……わたし、は……。申し訳ありません……!」

 胸に手をあて、俯いた。そのエーファの足下で、黒い塊が、収縮していた。


『エー、ファ、イジメル。嫌イ。悪イ、奴? 首無シ、イナイ。代ワリニ、ヤル。疲レル、ケド。頑張、ル』


「――――!」

 地面が揺れた。エーファと兵士を隔てるようにして、深い亀裂が石灰岩に走った。同時に、塊がぶわりと膨れ上がった。兵士に覆い被さる。

「ひっ……!」

 奇妙な表情になった兵士が、何も見えていないはずなのに、宙目がけて手を振り回し出す。ついには、尻餅をついた。


(この子が……?)


「だめ! やめて!」

 エーファは静止の声をあげていた。


『…………? 分カッタ。ヤメ、ル』

 塊がゆっくり離れて、エーファの足下に戻る。が、随分と身体が小さくなっている。

『疲、レタ』

「お前……」

 助けようと、してくれたのだ。塊に触れようとする。しかし、塊はそのまま姿を消してしまった。


「今の……何だ?」

「あの娘が……?」

 自分に突き刺さる視線に、エーファははっとして顔を上げる。

 起こった出来事に対し、何かが、その場にいる人間たちに伝播してゆくのがわかった。それは、理解できないものに対する、不安や、恐怖や、拒絶だ。


「――静まれ」


 だが、響き渡った声が、それらが伝染しきるのを収めた。朽ち色の青年だった。軽く吐息を吐き、青年は物怖じすることなく歩いてくると、エーファの腕を取った。いつの間にか、場を支配する空気が変わっていた。


 青年が、少年に言う。


「フィル様。私が彼女を『城』までお送りします。許可を頂けますか」


 少年の双眸が揺れた。


「城に? あ……お前が?」

「はい。『城』に」

「でも、あ……お前一人では、危険ではないか?」

「お願い致します」

 青年と話す度に、どんどん少年の顔が曇ってゆく。


「……わかった。許可する。すぐ戻れ」

「御意に」

 深く頭を垂れると、青年はエーファに言い放った。


「行くぞ」



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