表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/32

5

 

 軽率だったろうか。帰ることは、簡単だった。だが、こうして今、第一王子であるアウセムと接点ができているのは、偶然が重なっていただけだ。

 あそこで帰れば、アウセムに会う機会はもう、ない。


 それは――せめて、彼の未来を見届けたいと。

 どうにかしたいと思った自分の心に背を向けることになる。


 だからエーファは、四つ角を真っ直ぐ進むことにした。気のせいだろうか。女性は残念そうに見えたけれど。

 まるで誰かに、エーファを重ねていたかのように。


 占宮に入ると、またがらりと様相が変化した。壁の模様一つとっても、華麗な装飾や至る所に見られる。女性が、ある大きな両扉を前に、立ち止まった。


 黄金色の、扉。


「中で、ガルシャス殿下にいらっしゃいます」

 促され、両扉に手をつく。重くはない。

 開けると、強い香の匂いが鼻を刺激した。


「振り返らずに」


 背後からかかった声に、頷くことで、了承を伝える。


 ――この先は、エーファ一人で進むようだ。


 外から室内に差し込む陽光に、微かに色がついている。天井近くの硝子装飾のせいだった。天井自体には黄金色の文様と石で空――天体図が描かれている。


 部屋自体は広くはないが、天井が高い。


 階段とも呼べない細かな段差の先に、祭壇が厳かに置かれ、目の覚めるような赤い衣を纏った男性が一人、立っている。

 エーファが部屋に入ったときから、強い視線を男性は向けてきていた。

 父と同じくらい……それよりも若いだろうか? 穏やかな貫禄がある。


 一歩一歩、進む。立ちこめる香の匂いが強くなる。


 男性から数歩分下がった場所には、アウセムがいた。

 王族とひと目でわかる装いだった。黒色だが光沢を放つ絹の布地に、腕と胸元に金と緋色の装飾が施されている衣服を着用している。こんなことを思うのは王子らしくない一面をこそ、エーファが見てきたせいだろう。 


 アウセムが、身体の向きを変え、朽ち色の瞳がエーファを捉えた。

 見ることに慣れ始めた、黒を帯びた赤い瞳。


 柔らかな香りが、鼻孔をくすぐる。


 部屋に入った瞬間から、漂い続けている香り。


 一歩。また一歩、と進む。香りも、強くなる。

 何なのだろう。香りに慣れるほどに、強制的に開かされてゆく心地がした。


 ――開かされる。普段は閉じているもの。閉じ続けてきたもの。『視る』力。


 身体に微かな震えが走る。それでいて、頭の奥が、しんと冷えていた。


 ――来る。


 『視え』る。

 これで、『視る』のは、三度目の。


 アウセムの、死に関連するもの。


 より、生々しく、強く。


 血だまりの中に倒れた体躯。見開かれたままの、朽ち色。決定的な、場面。

 第一王子の、死の像。


 部屋の内装は、ついさっき、エーファが出てきたばかりの場所。犬だけが温かさを感じさせていた、殺風景な、あの部屋。


 吐き気が、込み上げて来る。胸元に手をやった。視界から、振り払おうとする。錯覚だろうか。香りの中に、血のそれが漂ってくる気がした。

 なのに、像は消えない。もう、見ていたくはない。


 でも……どこか、違和感がありはしないか?


 冷えた思考が、問いかけてくる。どこに? 


 わたしは、何に違和感を覚えたのか。きちんと、像を読み解けているのか。


 だが、そこまでだった。


 アウセムの死の像は失せ、かわりに、場面の断片が、最初は、ゆっくりと、やがて洪水のように、押し寄せる。

 判別できたのは、断片の出現がゆっくりだった、最初の二つほどでしかない。

 祭壇の前にいる男性が、誰かと話している像。でも、あまりにも、違う。表情が、雰囲気が。彼を突き動かしているのは、激しい憎悪だ。

 これは、本当に?


 涙を零しているシャンティール。これは、いつの?


 像は巡る。次々に現れる。紅、刃、戦場、死体、水、雨、戴冠、民衆――。不吉なもの、喜ばしいもの。時系列も何もかも、混沌としている。


 やめて、やめて、やめて――! とまれ!


 声にならない悲鳴をエーファはあげていた。


 像が、巡る。逆に、回り出す。


 人の顔が、街が――若返る。


 水に濡れた少女がいた。やせっぽちの、小柄な身体。染めた黒髪。


 ――わたし?

 あの雨の日の、自分。


『……エーファ』


 呼ばれた。

 透き通った身体が、幼い自分を抱きしめた。


 ――首無し?


 けれど、その霊には、顔がある。金色の髪に、青の瞳。雰囲気すら、エーファが慣れ親しむ霊とは異なっていた。雄々しく、堂々とした――なのに、その表情は哀しみで満ちている。首無しが口を開いた。何かを、自分に――。


『――すまない』


 どうして謝るの? 首無し。




 ぐい、と腕を掴まれ、エーファは現実に引き戻された。

 その瞬間、繋がっていた何かが、途切れた。強制的に開かれていたものが、閉じる。

『視え』た時、その時間は、いつも長く感じる。だが、実際は、数秒か数十秒だ。


 近距離に、朽ち色がある。

 感じたのは、安堵だった。

 彼は、生きている。『視え』たあれは、まだ起こっていない。


「よく来た」


 小声でアウセムが囁く。


「安心しろ。すぐ済む」


 何が、すぐ済むのか、わからないまま、エーファは頷く。『視る』ことからは解放されたが、酔っているような気分だった。香りが、強すぎる。


「こちらへ、おいでなさい」


 穏やかで、聞く者を落ち着かせてくれる――そんな声が、かけられた。見ると、男性の、エーファに向けられる視線は、強かったが、包み込むように優しい。

 案内してくれたあの女性が、向けてきたものと、どこか似ていた。だが、あれよりも明確だ。とても、懐かしいものを見る、眼差し。


 その姿に、『視え』たものが重なって、心の中で、首を振った。果たして、この人が、暗い念に取り憑かれた悪鬼のような表情を、することなどあるのだろうか。


 ――わからない。


 アウセムに手を引かれ、男性の前に立つ。見守る男性が目を細めた。

「美しい銀の御髪だ。殿下は、よくぞ見つけられた。まさに奇跡と申せましょう」

 その視線が、エーファからアウセムへ移った。

 声が、糾弾の響きを宿す。


「しかし、殿下。聞くに、彼女は執行人の娘とか」


 エーファの心の奥に、ちくりと言葉が突き刺さる。


「それが? 彼女の身分がどうしたというのです?」

「殿下。あなた様は我がキトリス国の第一王子。下々の者との区切りは、必要だからこそ存在するのです」

「私は、それを廃して、己の占師を選ぶと宣言したはず」

「なれば、占宮内から選ぶのが筋」


 アウセムが鼻で笑った。


「銀髪の娘が他の誰でもない、私の前に現れたのです。あまつさえ、娘は私の命を救った。銀髪の娘――比類なき、生まれながらの占師と証される存在が、です。証人も大勢いる。民こそが証言するでしょう。銀髪の占師が、王子に降りかからんとする危機を取り去った、と。これほど我が占師としてふさわしい人間もいない。身分が何の障害となりましょう? こと、占師に関しては――例外が許されてきたのが占宮ではありませんか」


 銀色の、髪。


 香りへの酔いが、覚めた。


 思いがけず、自分の髪の色に関する疑問への答えが、エーファにあっさりと差し出されていた。


 父は、エーファに、占師の色、とだけ言った。

 ただの、占師の色ではなかったのだ。


 髪を露にすることで集まる注目。

 銀色の髪は、生まれながらの占師である証。


 そう、だったのか。気が抜けた。


 嬉しくなどない。次に湧き上がってきたのは、苦さだった。


(そんなことで)


 死刑執行人の娘という立場により、エーファは周囲から忌避されていた。

 だが、髪の色一つで、それも覆されてしまうのか。


 ドウルという青年がそうだったように、敬意すら、抱く。


 死刑執行人の娘である自分。銀髪を持つ娘である自分。

 他者から、向けられる感情は違えども、どちらも性質は同じ。


 ……どちらも、エーファという人間ではなく、記号を見られているに過ぎない。

 記号が、良い意味を持つか、悪い意味を持つか、それだけの違いだ。


 生まれながらの占師などというぐらいだ。銀髪の占師というのは、優秀なものとして捉えてられているのだろう。それこそ、ネール戦争中に活躍した王の占師、アレーラのように。だが、そのアレーラはアウセムに刃を向けたという。


 つと、彼女がどうなったのか、聞きそびれたことを思い出す。だが、聞くまでもないことにすぐ気づいた。王族への反逆は、死罪のはず。まさか、生きてはいないだろう。

 アレーラの凶行は、国民には伏せられている。少なくとも、裏街では知られてはいなかった。もし、処刑されていたとしても、そのことも伏せられているに決まっている。


 ――銀髪だから、なんて。


 たとえば、歴史の中で、銀髪の人間に、優秀な占師が多かったとして。

 だからといって、銀髪だから優秀などと、あるはずがない、とエーファは思った。

 自分が生まれながらの占師なら、ジルレアの言うことをもっと理解できていたはずだ。この『視る』力とだって、もっとうまく付き合っていたかもしれない。


(エイルだって、生きていたかもしれない)


「この娘もまた、占宮にとっては例外のはず」


 アウセムの言葉には明らかに揶揄が含まれていた。例外、の意味はエーファにはわからないが、はっきりしていることがある。


 この人は、信じていないのだ。さも、信じているかのように語ってはいても、たぶん、アウセムという人間は、占いも占師も占宮も、何一つ信じてはいない。

 エーファの髪の色だって、銀髪の意味は知っていたのだろうが、エーファのことを彼が『生まれながらの占師』などと思うはずがない。


「――わかりました。はじめましょう」


 男性は答えずに、ただ、開始の宣言をした。


 それから起こった出来事で、エーファが推測できたのは、これが儀式である、ということだった。


 ――まったく予測していなかったかというと、それは嘘になる。


 もしかしたら、という思いはあった。

 だが、まさか、と打ち消していた考え。


 着せられた衣装。アウセムと男性のやり取り。

 最後に加わった、銀髪の占師という記号。

 男性が、占宮で高い――赤をふんだんに用いた衣を着ているのだ、もしかしたら最も、とつくかもしれない――身分なのは疑いようもない。


 その彼すらも、エーファの持つ記号を容認している。エーファは占師となる試験すら受けていないのに。銀髪であるというだけで。


 占命式。


 アウセムが執務室で口にした時は、聞き流していた単語だ。


 占師が、唯一の主を戴く儀式。主たる者が、己のためだけの占師を選ぶ儀式。


 通常は、王族と専用占師の間で行われるものをさすが、双方の合意が成立すれば、市井でも式が成される。


「主たらんとする者は、占師の名を請うべし」

「――汝の名は?」


 アウセムが、問いかける。

 朽ち色の瞳は、今、ここでお前の名を聞く、と明瞭に伝えてきた。


 ――ここでしか、聞く気はない。


 すう、と息を吸う。そして、エーファは、息と共に、吐き出した。


「エーファ・ラデ」


 視界の隅で、男性が微かに不愉快さを滲ませて眉を顰めた。


 平民や異端の中では家名は存在しない。役職名がそのまま、名前の後につくのが普通だ。たとえば、服飾職人の誰々、というように。語尾の変化で、職人本人や、その家族、妻、子供、と区別をつける。ラデは、ラデイの変化形。ラデイは、死刑執行人の意。ラデイを口にする人間はいない。口にするだけで、死が己に取り憑くと言われている。


 だからこそ、人々は父を呼ぶ時、ただの『シッコウニン』と表現するのだ。執行の記録を残す時、執行者として名を記す時ぐらいにしか、ラデイは使われない。


 ラデは、執行人の子、その女性形。


 エーファ・ラデ。死刑執行人の娘である、エーファ。


 それはちっぽけな存在にすぎないエーファの矜恃であり、精一杯の抵抗だった。

 父に育てられたことも含めて――自分なのだと。

 そう言いたかった。決して、銀髪の占師などではない。記号で判断されるなら、父と共にあった自分を選ぶ。ラデの名を、呼べるなら、呼べばいい。


「――エーファ・ラデ」


 アウセムは愉快そうに唇の端を歪めた。はっきりと、もう一度繰り返す。


「エーファ・ラデ。良い名前だ」

 低い、とおりの良い声が、響いた。


「占師の名は、エーファ。ここに了承する」

 ラデの単語を抜き、男性が謳い上げる。


「占師は、朱石を主に」


「三度目があったら、返す約束だ」

 動かないエーファに、アウセムが言う。


「……わかっています」


 皮袋に手を伸ばす。薄布で包んでいたので、覗き込まずとも、掴むことができた。

 広げられていた、節ばった手のひらに落とす。

 朱石は、アウセムの手から、男性に渡った。

 そして、今度は、男性の手から、細い銀の輪で作られた冠がアウセムへと渡される。冠の中央には、赤い――朱石が彩りを添えている。


「主は、証を占師に」


 冠が、エーファの銀の髪の上に載せられた。ひどく、丁寧に。髪と同色の輪は、しかし異なる光沢できらきらと輝いた。


「ここに、占命式は成されました」


 決して大きくはないが、室内にこだまする。

 重く、エーファの肩にのしかかった。


「――お行きなさい。皆が、待ち詫びている。新たな専用占師を」


 男性が告げた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ