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第一王子の入場式。歓声に迎えられ、壮麗な行列が、広場を進んでいる。
エーファは目を見開いた。
(この、行列……)
これだ。
(わたしが『視た』のは、この行列)
この列の中に、アウセムがいるはず。
列の先頭は、騎馬隊。騎乗者は、いずれも儀礼用の制服に身を包んでいる。彼らが先導しているのは、ある豪華な馬車だった。紋章が大きく描かれ、旗が掲げられている。
この馬車の中にいる人物こそが、第一王子なのだろう。入場式は王族の顔を見せるため、とシャンティールは言っていたが、馬車の飾り窓は厳重に閉ざされていた。
そして、馬車の後には、さらに何十……何百騎もの騎馬隊が続く。騎馬隊の横では、歩兵が並び歩いている。
(いない……?)
第一王子の乗る馬車を先導する前半の列には、エーファが探す青年の姿は、見当たらない。ならばと、後半の列に目を凝らす。
最初は、見過ごした。
視線を戻し、列の最後尾近く、黒馬に騎乗している青年の姿に、エーファは目を留めた。
――アウセムだ。
『視え』た光景の中での、姿そのもの。後ろ姿ではなく、前からの姿ではあるけれども。行列を作る騎馬隊の中にいて、彼らの制服を着用している。『視た』通りに、瞳の色も、青かった。
朽ち色の印象がエーファの中で強かったせいか、一度は視線が素通りしてしまっていた。
鐘が、鳴り響く。
父が鳴らす『城』の鐘とは違っていた。王族の入場式で鳴るぐらいだ。
それは、明るい、王族を街に迎え入れるための、祝福の鐘だった。
号令がかかった。騎馬隊が一斉に馬を操り、整った動きで静止する。
厳かな空気が、広場を支配する。群衆のざわめきも聞こえない。
(もうすぐ)
『視え』たものと、今が重なった。
アウセムが襲われる直前の光景と、静寂が、そこにあった。
もうすぐ、彼は襲われる。
警告の声など発せずとも、気づくのかもしれない。
……もしかしたら、自分が、誤っているのかもしれない。
人をかき分けて、必死に、前へと、走る。
「どこへ――!」
少年の声がエーファを追う。
薄布が走り出したエーファの頭から滑り落ちた。まだ乾いていない、銀色の髪が、風にあおられて踊った。
エーファは、青年の名を叫んだ。
「――アウセム! 危ない!」
その瞬間は、奇妙な無音に支配されていた。
二人。
その名前に反応した人間がいた。
一人は、エーファに追いついた少年。
もう一人は、アウセムと全く同じ顔をしながら、青い瞳をしていた青年。青年の動きは素早かった。
右手で剣を引き抜き、振り返る。打ち付け合う金属音が、不協和音を奏でた。二合目はない。背後から襲いかかり、逆に斬りつけられた襲撃者がよろめく。その首筋にアウセムが剣の柄を叩き込んだ。気絶させたのだ。
それから、アウセムは己の目元に触れた。何かを、外している。
本来の瞳の色が、露になった。
朽ち色、と、どこからか声があがった。
馬上にいるアウセムの、黒を帯びた赤――朽ち色の双眸が、エーファの上でとまった。
馬から降り、こちらに近づいてくる。
アウセムの歩みは、阻まれることはない。戸惑った顔で、人々は道を空け、当のエーファの周りにも、空間ができていた。エーファの前で、アウセムが立ち止まる。
彼は口元に笑みを浮かべた。満足げに。
「また会ったな。――占師」
言うと、エーファに手を差し出した。
胸に置いていた手を、おずおずとエーファも伸ばしかけた。いつもなら、そんなことはしなかったろう。放心状態にあった。
『視え』たものを自分は防げたのか。
それとも、再現しただけだったのか?
アウセムが振り返った後のことは、エーファにもわからなかったことだ。
だが、生きている。エイルの時とは、違う結果だった。
途中から距離を縮める気配のないエーファの手を、アウセムから取った。
「……感謝する」
手からは体温が伝わってきた。
「ガルシャス殿下!」
血相を変えて、王家の馬車が停車していた位置から、誰かが走ってきた。兵士というよりは、もう一段高い、将校のようだ。
「騒ぐな、大事ない」
ガルシャス殿下、と呼ばれたアウセムは、平然と受け答えをしている。
「ガルシャス、殿下……?」
呟きがエーファの口から漏れる。キトリスの二人の王子の名前を、エーファはこれまで知らなかった。知らなかったが、殿下、と形容される相手がごく限られていることは、わかる。反応を示したのは、群衆も同様だ。
「朽ち色……やっぱり本物の第一王子……」
「銀髪の占師は、じゃあ、第一王子の?」
ざわざわとした話し声がアウセムとエーファを中心として巻き起こる。アウセムは、渦中にいながら、気にした様子もない。
「言っておかなかったか? 不本意ながら、俺はこの国の第一王子をやっている。ガルシャスは公で使われる名だ」
「……言って、いません」
半ば呆然としてエーファが答えると、
「それは悪かった」
こともなげに、アウセムは言った。
「兄上……」
ざわめきが、ピタリ、と収まる。
少年だった。人の輪から外れるようにして、アウセムを直視していた。
兄上、と呼ばれたのはアウセム。そして、アウセムが第一王子なら、少年は――。
少年が――いや、第二王子は上半身を覆っていた外套を脱いだ。
「あれ、カール様、じゃないか……?」
「この間の入場式で、占師様と一緒のところ、見たもんな……」
「見た。間違いない」
さざなみのように、聴衆の間で囁きが行き交う。少年は雑音をものともせず、兄にだけ、注意を払っていた。
「兄上……これは、どういうことですか」
奇妙な問いかけだった。
起こった以上の何かを、兄に問いかけているかのような。
「カ、カール殿下っ? 何故カール殿下まで……! 昨日といい、今日といいセルジークは何をしているっ! これだから平民出は――!」
「黙っていろ。私は兄上と話をしている!」
少年が語調を強め、将校を叱責した。顔が露になったことで、独特の華のような雰囲気も加わり、王者然としたその振る舞いは、支配者層ならではのものだった。萎縮した将校が慌てて敬礼する。萎縮したのは、アウセムの側にいるエーファも同様だった。
手を取られ、繋ぐ形になっていたままのアウセムのそれに、無意識に力を込めてしまった。はっとしたのは、力を入れてしまってからだ。
「兄上。答えてください。これはどういうことですか」
少年が繰り返す。問いの意味を、アウセムは理解しているのだろうか。
ぐっとアウセムの側から手を握り返され、傍らの青年の顔を見上げる。少年がそうしているように、アウセムもまた、弟を直視していた。
アウセムの視線が、少年を越えて、別のところへと向けられた。馬車――貴族用だろうか――が多く停まっている場所だ。しかし、すぐに違和感に気づいた。そこにいる人々の顔ぶれだ。エーファは、新街でキトリス人しか見掛けないと思っていた。その一角には、逆にバスハ人とおぼしき人たちしかいない。
遠目でも、彼らの表情の違いは一目瞭然だった。熱だ。何かの期待の詰まった、好意に満ちた眼差しで、アウセムに注目している。
「兄上……!」
「――フィル様」
主君よ、と。
アウセムがそう口にした瞬間、少年の顔に、失望が、色濃く現れた。
「それはあなたのほうがご存じなのではありませんか」
アウセムは何者かに襲われた。単純にそう考えれば、お前が刺客を送ったのではないか、とも取れる発言だ。少年もそう受け取ったのだろう。
顔色が変わった。
失望から、哀しみの混じる諦めへと。けれども。
違う。
直感的に、エーファが思ったのはそれだった。
アウセムの弟への本心は、もっと別の――。
「無礼な!」
高く澄んだ声が、重苦しい空気を引き裂く。
人々が声の主のために道を作る。セルジークを伴ったシャンティールだった。少年――カール王子の傍らに立ち、アウセムを、そしてエーファを睨み付ける。
「ガルシャス様。我が王子への侮辱、専用占師として看過できるものではありません」
「シャンティール様」
セルジークが諌めるかのように名を呼んだが、彼女は怒りに満ちた瞳で言い放った。
「カール殿下が王冠を戴くことは決まっています。あなたがいかなる妨害をしようとも、定めからは何者も逃れることはできません」
「シャンティール……」
カールがかぶりを振った。彼女の肩を掴む。
「シャンティール、やめるんだ」
「バスハ人の血など、キトリスには相応しくは――」
「シャル! 私はやめろと言っている! 兄上を侮辱するな!」
「カール……」
少女の秀麗な容貌が、くしゃりと歪んだ。拠り所を失った子供に似た、頼りない表情を見せる。彼女は唇を噛み締め、口を噤んだ。
セルジークが兄弟の間に立った。
「両殿下にお願い申し上げます。早々にご帰城ください。占宮からの指示です」
兄弟が互いの姿を見ないよう、隠すかのように。