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6

 

 エーファは身体を起こし、周囲を見回した。


 群衆が自分を見ている気がする。動いている馬車から飛び出したからか。みすぼらしい娘がいるからか。しかし、それに注意を払っている余裕はなかった。

『視え』たものを必死で思い返す。


「銀髪……銀髪の占師――? まさか」

「にしたって、なんだってあんな格好を?」

「余興かしら?」


 ざわざわと、声が聞こえる。


 ――髪? 


 薄布はどこかへ飛んでいってしまっていた。一房、己の髪を掴む。


『エーファ』


 真っ直ぐに入ってきたのは、首無しの声だ。


「『視え』たの」

 人々に不審に思われようと、構ってはいられなかった。自分の進行方向に立った首無しに、訴える。

「エイルの時みたいに、なるのは嫌」

 言ってから、今更ながらに、気づかされた。


 そう、こんな簡単なことだった。

 エイルの時のような思いを、もう味わいたくはない。

 どう誤魔化そうとも、『視た』時点で、もう関わっているのも同然なのだ。中途半端にかかわることなんて、不可能だった。


 二択しかない。


 最後まで付き合うか。最初から、なかったことにして無視するか。


 無視できなかった自分は、見届けるまで付き合うしかない。


『……助けたい人間の特徴は?』

「首無し!」


 エーファの顔が輝く。


『……ちょっと空にあがって探してやるだけだぞ』

「うん! ありがとう!」


 こうなれば、霊と話している時に、向けられる奇異の視線も今だけは些細なことだった。 


「騎馬隊の中にいると思う。バスハ人みたいな容姿の人で、制服姿だった。朽ち色の目で――ううん、本当はそのはずなんだけど、『視え』た光景の中では、黒色で……」

『朽ち色の、目?』


 ふ、と首無しの身体が、揺らいだ。陽炎が半透明の輪郭から立ちのぼる。


 ――怖い。


 思ったのは、一瞬だ。

 けれども、自分の感情が、エーファには信じられなかった。

 首無しを、怖い、と思ったことなどない。初めて会った時だけ。剣を持った首無しを見て、怖がったらしいけれど、自分では幼すぎて、覚えていない。


 いや、そう、だったろうか?


 ――エイルが、死んだ、あの時。水が、雨が、冷たくて。怖い。


 怖い? 何が、怖かったのだろう。


 雨の日。エイルの身体から、たくさん、たくさん、赤い――。


『それだけで充分だ。行ってくる』


 はっと我に返った。首無しの姿は、そこに在る。何も変わらない。

 だが、消えかけようとしていた首無しを、妙な不安感に突き動かされ、エーファは呼びとめていた。


「首無し!」


 幼い頃から慣れ親しんでいる優しい霊は、消えなかった。距離は近づかない。ただ実体のない手が伸ばされ、安心させるかのように、エーファの頭に置かれた。


 いつも、不思議だった。こういう時、触れられたのを、確かに感じる。それがたとえ、エーファの錯覚であったとしても。


『……どうしたんだ?』


 ――首無しは、首無しでしょう?


 問いかけを、呑み込んだ。


「……ううん。何でもない」


 答えると同時に、今度こそ、首無しが消えた。置かれた手の感触も消え、ほんの少し、心細さが残る。


 何故、怖い、なんて――。


 考え込みかけ、エーファは首を振った。

 今は、さっき『視え』たものを優先しないと。


 周囲への注意がそぞろになっていたのがいけなかったのだろう。


 どん、と人混みに押され、エーファはその場で転んだ。腕に加え、膝もすりむいてしまった。着替えてきた服もかなり汚れている。


 起き上がろうとして、妙な注目が集まっていることに、気づく。

 手を貸そうとはしない――それはエーファも当たり前だと思う――が、転んだことで、自分を見た人間が、いずれも、そのままこちらに視線を注いでいるのだ。

 いや、自分に、というより、髪、だ。


 髪の色?


(銀色の、髪だから?)


 人混みの中から、一人がエーファに歩み寄った。


「大丈夫ですか?」


 柔らかな声だった。聞き覚えが、ある。

 エーファに手を差し伸べているのは、あの貴族の少年だった。エーファをカルクレート城に呼んだはずの人物が、どうしてこんなところに。

 先日とまったく同一の格好だ。外套を少しだけ外し、顔を見せると、悪戯っ子のように笑う。裏街にいた時ほどは、周囲から浮いていない。むしろ、エーファに手を差し伸べたことで、悪目立ちしている。


 エイルによく似た、少年。


「――様っ!」


 怒号が空気を切り裂く。その怒鳴り声に、少年が反応した。


「入場式をしっかり見たいなら、こっちです。行きましょう」


 身を翻し、エーファを促す。

 エーファは空を見上げた。首無しはまだ戻って来ない。少年が向かおうとしている先は、人の波と警備で、エーファ単独では近づけそうもない場所だった。騎馬隊の行列も見える。あそこに、アウセムもいるのではないだろうか。


 少年について行くか、否か。


 エーファは頷いた。

 自力で立ち上がり、少年の後を追った。







 少年は、不可思議な雰囲気を纏っていた。


 陽性の空気、とでも呼べばいいのか。

 接していると、地下の遺跡でのかつてのやり取りも、まったく悪気がなかったのだと、今日、エーファを少年が呼びつけたのも、本当に礼がしたかったからだろうと思えてくる。


 だが、少年がエーファの身分を気にしていない様子なのは、どうしても引っかかった。


 セルジークのように、あるいはアウセムのように、わかった上で対しているのではなく、単純に知らないようにしか見えないのだ。


 セルジークは、死刑執行人の娘という、エーファの素性を知った上で城に呼ぶのだ、と言っていたのに。


 エーファは風で飛ばされそうになった薄布を押さえた。頭には、新たに少年が貸してくれた薄布が乗せられている。


 身分には無頓着なようなのに、少年も、エーファの髪には言及した。

 隠したほうがいい、と。


 友達が、自分の髪の色を嫌っているから、かわりにこうして隠せるものを持っている癖が身についた。強情で、自分では絶対に用意しないから、とそんな風に続けて、薄布を貸してくれようとした。最初は断ったが、結局は受け取った。


 実際、髪を隠すとエーファの悪目立ちの度合いは減った。


 少年と話しながら、エーファは周りの光景に注意を払っていた。


 あの『視え』たものが起これば、何らかの騒ぎにはなるはず。今のところ、その気配はない。まだ、起こっていないか。そもそも、起こらないのか――。


 『視え』た未来――像は絶対のはず。では、自分が読み違えたのか?


 少年は入場式そのものに詳しかった。

 兵士の配置や、彼らの見逃す死角となる場所をよく知っていた。

 おかげで、『視えた』それが起こると思われる――見える場所へ、入り込むことができていた。エーファは入場式の見物人として群衆の中に立っている。


 だが、肝心の青年の姿は、どこにもない。


「シャルがこっそり出掛けたってきいたから、僕も羽目を外すことにしたんです。この間、抜け出したせいでずっと外出禁止を言い渡されてしまって」


 シャル、という名前が少年の話にはよく出てきた。


 連想される名前があった。馬車に同乗していた少女。シャル――まさか、シャンティールのことなのだろうか?


 また、少年の兄についての話も多かった。

 二人きりの兄弟なのだそうだ。なのに、兄とは滅多に会えない。

 最近になって一緒の家に住むようになったが、同じ家に住んでいても、会うのが難しい。本当はいけないことだが、入場式には兄が出るので、それで少年もお忍びで外出している――。


 エーファは、ただ聞いているだけだった。


 ふいに、少年は今までで一番の笑顔を浮かべた。それは、エーファの大好きだった、太陽の笑顔に似すぎていて、懐かしさが込み上げた。


「お話を聞いて下さってありがとうございます」

「い、いいえ」


 外に漏れかけた懐かしさを、押し殺す。


「兄上の話を、僕の周りにいる人間は嫌うんです。兄上の名前が出るだけで、空気が凍てついてしまう。……今は、時期も悪くて」

 最後は、歯切れの悪い口調だった。


「――兄弟が仲良くするのは、難しいことなんですか?」


 それは、少年の話を聞いていて、純粋に疑問に思ったことだった。

 エーファは一人っ子なので、想像するしかないが、兄や姉や、弟や妹がいたら、きっと楽しかったろうと思う。


 少年が笑う。ほんの少し、寂しそうに。


「難しいです」

 ぼくも不思議なんですけど、と少年は付け加えた。


 兄を語る時、少年が垣間見せる、少年の本来持つ雰囲気とは異なる感情の色。陽性の空気をまとう少年に、影が生まれる。


 以前にも、見た。


 地下の遺跡で、少年が朽ち色の青年に対して見せていた感情と同じなのだ、とエーファは気づいた。

 では――少年の兄は、アウセムなのだろうか?

 でも、アウセムの少年への態度は、まるで家臣が主に対するような――。

 確か、青年は少年のことを、こう呼んでいたはず。


「フィル、様?」


 虚をつかれたように、きょとんとした少年が、また笑った。


「――『私は、あなたの忠実な家臣である』」


 呟く。


「フィル、というのは、名前じゃないんです。キトリスの初代国王はフィルデート。偉大なる建国王の名にあやかり、敬愛と忠誠、親しみをこめて、フィル、と。敬称として主に対して使われます。フィル、と呼ぶのが、主君よ、という意味なんです」


 少年が、下を向いた。


「恭順の意を示す意味でも、使われます。そうすることで、相手や、周囲に周知するんです。私は、あなたの忠実な家臣である――あなたの上に立つ気はない」


 アウセムは、その意味で、少年をフィルと呼んだ。アウセムが少年の兄なら、だから、弟である少年は、あんな表情をしたのだ。


「それが不満だなんて、ぼくは言ってはいけない。兄上は――そうしなければ、生きることを許されなかったから。でも、たまに思うんです。ぼくと兄上が、正反対の容姿だったらよかったのに。そうしたら、みんな幸せだった。母上も父上も。みんな。ぼくは――」


 ――ないのに。


 少年の言葉は、歓声にかき消された。


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