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 手の中の朱石を握りしめる。またあの青年――アウセムと会うことがあるとは、思えないが、この石を持ち続けているのには、かなりの抵抗感があった。普段は忘れていても、石を見る度、思い出すことになる。


 あの青年はどうなったのだろう、と。


 石自体の高価さも問題だ。

 何故自分は受け取ってしまったのだろう? あの場で返すべきだったのに。


「……はあ」


 気分を切り替えるように、朱石を布でくるんで皮袋の中に落とし、エーファは袋に通してある紐を腰に巻き付けた。


 首無しに黒いのが会いに来た、とジルは言っていた。自分も行ってみようか。黒いの、はきっとエーファを助けてくれた人の形をしていない霊のことだ。それなのに、まだお礼を言っていなかった。


 黒いの、は、首無しにとても懐いている。何でも、出会った当初から首無しのことが好きだったらしい。

 エーファと違って。


 昔を思い出して、自然と口元が綻んだ。

 ジルレアによると、エーファは首無しと初めて会った時、怖がって大泣きしたのだそうだ。それがすぐに懐いて、今度は追いかけ回すようになった。視界からちょっとでも首無しがいなくなることを嫌がった。もちろん、今はもうそんなことはない。ただし、今でも、姿は見えなくても首無しが近くにいると気配はなんとなくわかるし、安心する。


(――何も変わらない。大丈夫)


 腰掛けていた簡素な寝台から立ち上がる。

 外に出ようと一歩踏み出した時、廊下側から、扉が開けられた。驚きはなかった。その必要がないのだ。エーファの部屋に訪れる生者など一人しかいない。


 父だ。


 だがその父は、いつになく険しい顔をしていた。手には、麻で縫った大きめの袋を持っている。エーファでも持てる大きさで、袋は膨れていた。


「来なさい、エーファ」


 硬い声で、父が言った。袋の持ち手を、エーファに握らせる。


「路銀と旅用の道具が入っている。今すぐ――」

 今すぐ、刑場から出ろ、と。そう父は続けるつもりだったのだろう。


「フランツ殿。どういうおつもりですか」


 別の声が、割って入らなければ。

 自分とは異なる世界に生きる人のくくり――もう二度と会うはずのない人物としてエーファの中に記憶されていたセルジークが、そこにいた。

 今の彼は、父を誉めてくれた時のような雰囲気は微塵もまとっていない。罪人を断じるような目で、フランツを見据えている。


「父さん?」


 助けを求め、無意識に周囲に視線を投げる。

 もう一人。罰の悪そうな顔をしている兵士が、立っていた。

 扉を塞ぐようにしてセルジークが。そのやや後方に兵士が。


 ……知っている兵士だった。朽ち色の青年とのやり取りのせいで、エーファも覚えていた。娼館で王子の話をしていた兵士だ。ノア・ランガー。たしか、そう名乗っていたはずだ。


「エーファ様」


 びくり、と居心地の悪さに、身体が震えた。セルジークは、自分に様などとつけて何故呼ぶのか。


「本日は占宮の使いにて参りました」

「占宮?」


 まさか、占師を騙っていたことが知られ、罰せられるのだろうか。しかし、罰せられるにしては、セルジークの態度は恭しすぎた。


「先日、エーファ様がお助けした方のたっての願いで、こたびのことが実現することとなりました。エーファ様を、カルクレート城へ招きたいと」

 父の服の、黄色い袖をエーファは強く握りしめた。

「わたしは、助けたわけでは……」


 お助けした方――身分が高そうに見えた、貴族らしき少年?

 あの少年はお礼をしたい、と言っていた。そのせいで、こんなことになっているのか。城に招くということは、城伯に近しい位だったのか? 


 助けたと言っても、そもそもはアウセム――あの朽ち色の青年がいてこそではないか。彼が少年らを助けた。これが正しい。


 それに。


「どうして、占宮がわたしなんかを?」

 あの少年と、占宮は無関係のはずだ。


「それをお答えする権限は、私にはありません。まずは、カルクレート城へおいでください」

「……わたしのような人間が、行くべきところではない、と思います」

 エーファの様子を見守っていたセルジークの双眸が、苛立ちを宿した。


「――それを決めるのは、エーファ様。あなたではない」


 あくまでも丁寧でありながら、語調は厳しかった。

 お前が謙遜して発した言葉は、傲慢なのだ、と暗にエーファをセルジークは咎めていた。


 胸を突かれた。


 そうだった。

 自分でも、思っていたではないか。セルジークという人物は、父を認めてくれた。自分への態度も、丁寧で、公平だった。しかし、この人は、身分というものを、きちんとわかっている、と。


 ――自分たちは、対等などではない。


「あなたがお助けになったのは、あなたが思っている以上に、尊い身分の方です。どうか、快く了承頂きたい。――無論、エーファ様がフランツ殿のご息女であるという素性は承知の上です」

 掴んだ服の裾から、振動が伝わってきた。父がぶるぶると震えていた。

「帰ってくれ! エーファはおれの娘だ! あんたらとは関係ない!」

 エーファを隠すようにして立ち、フランツが怒鳴った。


 まるで、何かを恐れるように。


「父さん!」


 父らしくなかった。執行人として、役人とやり取りすることもある父は、自分よりも貴族というものを知っている。逆らうべきではない。それに、理不尽な要求を突きつけられたわけでもない。内容も、セルジークの態度も、エーファにとっては身に余るような、光栄なものだ。


「これは、命令です。身分を考えなさい。残念ながら、あなた方に拒否権はない」


 セルジークは事実しか述べていなかった。その物言いは、ひどく冷たい。


 これはセルジークにとって、仕事なのだと、エーファは実感した。だから妥協は許さない。障害は、排除するだろう。この場合の障害は、エーファを行かせまいとするフランツだ。


 そして、この人は。

 身分をわかっている。

 父を誉めたこの人は、父を簡単に斬れるだろう。職務の邪魔をしたという理由で。


「行きます」


 父の服の裾から手を離し、セルジークの前に立った。


「エーファ!」

「大丈夫、父さん。すぐ戻ってくるから」


 父に向かい、言った言葉に嘘はない。エーファはそのつもりだった。

 カルクレート城どころか、新街にさえ立ち入ったことのない自分には、場違いすぎる。あの貴族の少年だって、礼儀としてエーファを呼びつけただけに過ぎないだろう。


 もしくは、気まぐれだ。

 支配階級の、単なる気まぐれ。


 微笑んだエーファは、戸惑いで瞬きすることになった。

 ぬくもりが、身体を包んでいた。


 夢かと思った。


 ――父が、自分を抱きしめている。


「……父さん?」


 その背中に手を回し、呼びかけた。


「すぐ。すぐ、戻ってくるんだ。待っているから」

「……うん」


 頷いた。それなのに、ほんの少し、漠然とした不安が胸の中で滲み、染みとして残った。――父が、抱きしめてくれたのは、それが、別れだからのようで。


 だが、それはきっとカルクレート城へなど行くせいだ。不安を振り払う。

 父は、待っている、と言ってくれた。

 だから、帰ってきたら、もう一度、きちんと父と話そう。


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