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「さあ。霊とご対面だ」


 室内へと入ってから、青年が片手を伸ばし、エーファを誘う。

 入り慣れた場所――しかし、ほんの少しだけ、エーファは躊躇った。少女の霊が見せた光景と、たぶん、自分がおかしなことを考えてしまったせいだ。


 たとえば――見慣れない光景が、そこに広がっていたら?


 躊躇いを押し殺し、中へと足を踏み入れる。もちろん、青年にとって、そこに誰もいないのは当然だろう。


 エーファにとっては――。


 青年が、室内の燭台に火を灯した。


 内部の様子が、浮かび上がる。


 エーファは、安堵の息を、ついた。


 燭台の炎が照らし出す室内の様子に、変わりはない。

 七日前、迷子のような、途方に暮れたゾフィーネの幽霊と出会ってから立ち寄るようになった彼女の部屋。調度品や、ヒビの入った鏡もそのまま。鍵がかかっていたことが暗示していたように、部屋の主であったゾフィーネの幽霊は不在だった。


「随分と金をかけてあるな」


 客との談笑用に設けてある椅子と机。樺材を使用した一品だ。確かに、ゾフィーネの部屋には、他にはない、エーファの目で見ても高価とわかるような品が置いてある。


「彼女の私物が大半だと思います」

 ゾフィーネは駒鳥屋への借金を返し終わっていた。どこへでも、自由に出ていけたのに、彼女は店に留まっていたのだ。だからこそ、私財を有し、個人としての持ち物を買えた。


「ゾフィーネに最近ついた客を知っているか?」

「…………? いいえ」

「ならいい」

 椅子に、青年が腰を下ろした。エーファを、見据える。


「本題に入ろう。始めようか?」


 彼は、挑戦的な笑みを見せた。

 どこか、見透かしているともとれる、笑みだった。


「――占いをな」







 生憎、エーファが持っているのは、言葉だけだった。


「あなたに、命の危険が迫っている……と思います」


 エーファは『視た』ものを思い返し、言った。

 が、最後のほうは、自信なげになってしまった。


 実際、自信もないのだ。本当は、青年と向かい合い、自分も椅子に座るべきなのだが、エーファは月の見える窓辺に移動し、離れた場所に立った。

 青年自体には大分慣れたが、二人きりというのは、やはり怖い。

 自分が告げる言葉が言葉なので、なおさらだ。


「それは、占いではないな」

「昨日の……昨日の、占いの結果なんです。新しく占いをするというのは、口実です。謝ります。あの時は、恐ろしくて逃げ出してしまいました。ごめんなさい」


 今もだ。自分から言い出したことなのに、逃げ出したくてたまらない。どうして自分はこんなことをしているのだろう。


「昨日の占いで、俺が死ぬと出ていたわけだ」


 いや、出会った時から、知っていた。

 一番はじめに目が合った時、『視え』たから。


 だが、それは言えない。前は包み隠さず話して、失敗した。


 ――友達、エイルに。


 エーファは、彼には、何も隠さなかった。エイルのことが『視え』た時だって。

 彼は笑って、「大丈夫だよ」と答えた。

 大好きだった太陽の笑顔で。ふわふわの金髪が羨ましくて仕方がなかった。


 彼はエーファにとって、お日様のようだった。


 父が困った顔をするから我慢していたこと。

 泣くことも、エイルの前ではできた。


 ――大丈夫。ぼくは死んだりしないよ、エーファ。

 ――うん、そうだよね、エイル。ぜったい、わたしが助けるもの。


 絶対、助けるから。


 絶対、助ける?


 なんて、甘くて、希望に満ちて、それでいて、空疎な響きだろう。


 エーファは目を伏せた。


「このままだと、あなたは、誰かに殺されます」


『視た』ものを解釈すると、そうとしか思えなかった。

 誰しも、己の死を告げられて、気持ちの良い人間はいない。しかも、殺される、だなんて。たとえ占いなど信じていなくても。

 信じているなら、なおさら。


 占師の言葉は重みを持ちすぎる。相手の人生を左右する。

 ジルレアはだからこそ、占いは覚悟が必要だ、とエーファに教えた。


 告げる覚悟。そして、自分の言葉が、相手に影響を与えるだろう責任。


 また占いを求めるほうも、心を強くもたなければならない。盲信してはならない。占師は占いに責任を持つが、責任を占師に完全に委ねてしまってはならない。


 それは、自分の人生を放棄してしまっているのと同様だ、と。


 でも、おかしな話だとも、感じたものだ。



 ――ほうき? だって、すべてはきまっているんでしょう、ジルレア。

 ――いいこと、エーファ。インチキ占師も世の中にはいるのよ。

 ――そうなの? じゃあ、当たっている占師の言葉にしたがえば、その人はほうきしていいの?

 ――それでも、だめよ。自分で考えなきゃ。それは、とっても疲れることだけど。

 ――つかれるの?

 ――疲れるわよ。従ってたほうが楽だもの。



 青年は何も言わない。表情からは、何も読み取れなかった。

 少なくとも、エーファの言葉を鵜呑みにしているようには、見えない。


 そしてエーファ自身も、それ以上は、何を言えばいいのか、見当もつかなかった。

 不吉なことを言ったと謝るのか? 

 気をつけろ、と警告を? 正確な日時もわからないのに?


 窓のほうを向くと、月が雲に隠れてしまっていた。厚い雲だ。


 また――雨が降りそうだ。そう思った瞬間、硝子窓に映った自分の顔が、醜く歪んだ。はじめて知った。雨の日、自分は、いつもこんな顔をしていたのだ。

 窓に、水滴が点々と跡を作り始めた。

 エーファと同じように、窓へ顔を向けた青年が、口を開いた。


「……雨は嫌いか?」

 息を吸う。手のひらで、窓に映る自分の顔を、エーファは隠した。


「――嫌いです」


 もっと嫌いなのは、過去の、傲慢だった自分。

 希望に満ちていた自分だ。


「奇遇だな。俺もだ。――雨の日は」


 後半は、言う必要もないのに、出た言葉だったのか。

 一旦、言葉を切ったが、青年は続けた。


「雨の日は、古傷が痛む。それで嫌いになった」


 エーファは青年を見た。赤い瞳は、窓の向こうの雨を凝視していた。

 視線の矛先がずれ、エーファを捉える。

 それは、「お前の理由は?」と問いかけているようだった。

 炎の明かりで、朽ち色の瞳がより赤く見えた。


 赤い――美しい色。


 他人の、それも生きた人間の目を見て、何かを話すのは久しぶりかもしれない。

 エーファも、青年から視線を逸らすことはなかった。


「……わたしは、雨の日に、溺れかけたことがあるせいです。水も苦手で、泳げません」


 同じ日に、エイルも死んだ。

 以来、エーファは、泳ぎが得意だったのに、水に浸かると、恐怖で震えるようになってしまった。

 雨の日だって、決して外に出掛けなかった。

 平気になったのは、自分は何も『視え』ないと暗示をかけて、同時にエイルの記憶を奥へ奥へと追いやったからだ。


「――占師」


 エーファが占師というには、怪しい代物だと、理解しているだろうに、何を思って青年がそう呼んだのかはわからないが、はい、とエーファは返事をしていた。

 何故か、青年は薄く笑ったようだ。


「これをやる」


 青年が机の上に、何かを置いた。指で弾く。ほとんど物音のしない室内で、それは軽い音を立てて、床に落ちる直前、端で静止した。


 おそるおそる机に近づいてみる。

 青年が弾いたのは、朱石と呼ばれる、高価な赤い石だった。占具に向いた性質を持つ。まだ加工されていないが、先日、割れてしまった石と大きさは同程度で、ひと目で、使える、とわかった。自分と、相性が良い石。自分で探して見つけたものならば、朱石でなかったならば、喜んで手に入れていたろう。


 だが、生憎違う。

 エーファにはもらう理由がない。


「……頂けません」

「では、こうしよう」


 半ば、青年はエーファの返答を予期していたようだった。


「もし、また会うことがあったら、返してもらう。俺たちは今日、偶然に再会した。三度目がないとはいえない。その三度目がなければ、石はお前のものだ」


 三度目など、あるはずがない。結局、もらうのと同じではないか。まるで三度目があるのが前提であるかのように、青年は話している。


「教えておこう。俺の名は、アウセム、だ」


 アウセム。それが、青年の名? だが、今更、自己紹介など。


「お前は?」

「わたしの名前は――」


 自分の名など、大層なものではない。王族や大貴族は二つ名を持つという。

 真の名は、それこそ王族なら、家族や、専用占師ぐらいにしか明かさず、仮に知っていても、呼ぶことは許されないと。


 エーファの場合は、名前は一つで、そんな出し惜しみするものではない。地下遺跡で会った少年の時のように、身分の差という恐れから、迷うのでもない。

 仮に、青年の身分がエーファの予想より上でも、たぶんエーファに刑罰を与えたりもしないだろうとも、今は思う。

 ただ、自分の名前を言えば、この青年と繋がりができてしまいそうな気がした。


「三度目があった時に、言います」


 そんな時は、来ない。


 青年が頷いた。

 朱石より美しい、夜にいっそう赤くなる、朽ち色の瞳を細め。


「それでいい。三度目があった時に、だな」


 そしてエーファは、朱石を手に取った。


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