5
『どうやって見つけた?』
付き合いだけは、長い部類に入る、首の無い男の発言にジルレアは呆れ返った。人差し指を伸ばし、真っ直ぐに相手を定める。
『隠れていたつもりなの? わかるわよ。溢れ出しているんだもの。怨嗟の声が。どうせ、暴発しそうだったから、消えたんでしょう』
首無しは、城の前に立っていた。生者たちが刑場を『城』と表現するのとは異なる――別の城だ。
カルクレート城の中心。
キトリス国のバーゼル王家所有のルーレ離宮。
その前に首無しが立っている様は、王家に恨みのある霊が復讐にきたかのようにも見える。くわえて、まとわりつくようにして、首無しに絡みついているものがある。
霊ではない。霊ではなく、念のようなものだ。人が死に、霊となるのとは別に、地上に残るもの。普通は漂って、そのうち消えるが、強い念は対象を追い続ける。そこに意思や感情といったものはなく、生前、その人間が抱いていた思いだけが、ひたすら澱む。
そして澱みと同化し、自我も消え去る。
首無しがいまだ平気なのは、それだけ霊体として強いからだ。
よって大抵の霊は、首無しを恐れる。
エーファが生まれたとき、首無しもシェーンハン刑場にやってきた。
刑場に霊が居着かないのは、この男のせいだ。昔はもっと霊が集合し、さまざまな念も渦巻いていた。
『何か思い出したってわけでもないんでしょうけど。忘れてから――わたしたちが生前のことを思い出すときは、のたうち回ってもおかしくないほど、苦しいみたいだから』
『何も覚えていない』
返されたのは感情など籠もっていないのかと思えるほどの淡々とした答えだ。
『あんたって、生前、どんな非道な輩だったのかしらね』
『――覚えていない』
『知ってるわ』
ジルレアの知る限り、自分たちのような地上に留まり続けている霊には、生前の記憶がない。知識や経験といったものは取り出せる。
しかし、自分がどんな名前で、どこで生まれ、生き、どんな人生を送ったか。
……死んだか。
もう、何一つ、記憶を持たない。
ジルレア、というのは、霊になってから自分で自分につけた名前。
最初のうちは、覚えていたのだろうと思う。死にたての霊は、何かを忘れているなどということはなく、だいたい数日で地上を去る。
――残るのは、強い心残りがある者。
けれども皮肉なことに、その心残りを忘れてしまう。
霊となってからの記憶は蓄積されるし、かろうじて、知識や経験から、自分の人と成りというものは推測できるが、それだけだ。
ジルレアならば――生前は、占師だったのだろうと思う。首無し同様、刑場に住み着くようになったのは、エーファが生まれてからだ。
ただ、シェーンハンという街からは、離れられない。自分が縛られているのは、この地。この土地で死んだか何かして、思い入れがあったのだろう。
首無しの場合は――エーファだ。
エーファ自身と、何らかの繋がりがある。
エーファの誕生と同時に、刑場に現れたぐらいなのだから。
『――あんたみたいな危なっかしいの、エーファの前から消えて欲しいのがわたしの本音だけど……悔しいことに、あの子はわたしよりあんたに懐いているから言うわ』
『…………』
首無しからの芳しい反応はない。さっき「覚えていない」と答えただけでも奇跡みたいなものだ。
きっと、エーファが見たら卒倒するだろう。エーファが恒例だと思っている自分たちの口げんかも、彼女の前でだけだ。
エーファという共通点がなければ、自分たちの間に会話が成立していたかも怪しい。
この男は基本的に、エーファ以外はどうでもいい。
エーファにだけ優しく、人間らしく振る舞うのだ。
陽気で気さくという偽りをもって。
今、エーファがこの男に心を開いているのだって、その労力の賜物だ。
念が凝縮された存在のようだ、とジルレアは思うことがある。だから人格というものがない。演じなければならない。頭部分が霊体として欠損しているように、どこか欠けている。
エーファ以外で、首無しが素のなにがしかの反応を示したといえば、さきほどのセルジークという生者だが。
『あの子――また何か視たみたい。この子が証人よ』
ジルレアは、首無しを探す途中で見つけた自分の腕の中の黒い塊を引っ張った。
『この子、エーファを心配して、助けたのよ。そのときに。どういうわけか、あんた繋がりでエーファも好きみたいだし』
雑霊は、強い霊を好む。強い、という点においては、首無しは確かにそうだ。でも、他にも理由があのではないか、とジルレアは思うことがある。
『視た――。あの時と同じか?』
『ええ。また無茶をしたりしないように、ついていてあげないと。たぶん、視たのは死に関することね』
『……あの時のように、誰かを救おうと?』
顔があったら、きっと首無しは嫌そうな顔をしていたことだろう。
『するかもしれないわね』
ジルレアが言うと同時に、首無しの霊体が消えた。顔などないが、血相を変えて、エーファの側にいったのだ。これでしばらくエーファにつきっきりになるだろう。
本人は禍々しいとはいえ、エーファにとっては強力な魔除けのお守りみたいな効力を発揮するのが首無しだ。
確実に言えるのは、あの男はエーファを絶対に傷つけない、ということだ。
理由は定かではないが。
そんなもの、本人も覚えていないのだから。
『世話がやけるわ』
一人ごちる。
『首無シ、イナイ?』
腕の中でもがいていた小さな黒い塊が、不満げに縮んだ。なんとなく、ジルレアは唇を尖らせる。気に入らない。
『わたしも強い霊なのよ。わたしに抱かれていることを光栄に思いなさいな』
『……ジル? 強イ?』
『そうよ。ジル様と呼びなさい』
『ジル、様?』
『いい子ね。気に入ったわ』
にっこりとジルレアは微笑んだ。