54. 殺したいモノは。
突然突き付けられたヴィスタの言葉の意味を瞬時に理解できずに、エリィはキョトンとした顔で見返した。
「それは私が殿下の事故死阻止、そして殿下が私の殉死阻止に失敗したって事ですわね?」
そう口にしてみれば、ヴィスタは呆れた様にため息を吐いた。
「私がそんな失敗をするか。その件に関しては失敗したなんてことはあるはずがない」
「では、何故です?」
「リズの死ぬ原因が私にないという事だ」
そのヴィスタの言葉にエリィは再び首を傾げる。
たとえ本当にヴィスタの言う通りに3月4日にエリィが死ぬとして、3月2日にヴィスタ、3月4日にエリィ、そんなに立て続けに人が死ぬものだろうか。エリィは誰のルートに入らなければ死ぬのが6月22日だというのははっきりしている。なのに3月4日に死ぬのはどう考えてもストーリーとは関係ない所で何かが起きてるというのは疑うべくもない。仮に誰かのルートで3月4日死ぬ予定があったとしたら、ティティーがそれを言わないのもおかしい。その予定外のエリィの死と予定外のヴィスタの死。それが本当に何の関わり合いもないのだろうか。予定外の死が続くことの方が不自然過ぎると思わざるを得ない。
「私はそうは思いませんわ。元々私が死ぬのはもう少し先ですし、殿下も今年亡くなるという未来は無かったのです。3月2日に殿下が亡くなることも、私が3月4日に死ぬとしても。予定外の未来が2つも重なるという事はそれは誰かの思惑、何かの干渉があっての事ではないでしょうか。関係が無いとはとても思えません」
エリィがそう言えばヴィスタはその言葉を反芻するように、少し考え込む様に顎に手を置き軽く目を伏せた。
「……そうか。リズの当初の先見ではそうだったんだな?私の死が原因ではなく、私の死の延長上にリズの死がある。そう言う事か。そして、それは恐らく私が死のうが死ぬまいが変わらない」
「そんなことしなくても遅かれ早かれ死ぬ私を直接殺そうだなんて、ご苦労なことですわね」
馬鹿馬鹿しいと言うようにエリィが肩をすくめれば、ヴィスタは「なるほど」と一言言って笑い出した。
「笑うなんて失礼ですわ」
「悪い悪い。だが考えてもみてくれ。私の婚約者と言う立場から外れた今、リズを殺す理由が全く思い浮かばない。むしろ先見の姫であり、ディレスタ掌中の珠を取り込み影響力を持った方がよいと思う人間なら多いだろうな。そんな中私が死んだとして。そしてリズが死ぬ。先見の力を手放し、王家からも、この国で最も影響力の高いディレスタからも睨まれようだなんて本当に、とんだご苦労だな」
「そうではないとおっしゃるのですか?」
「いや、国内に留まらないならありえる話ではある。国内の貴族共が疑心暗鬼の状態で下手に動けない状況に陥れば国力は当然落ちる。攻め時と言う奴だ」
「なら、諸外国からの干渉という事なんでしょうか?」
「いや。考えられるというだけであって、その可能性は低いとも思っている」
「ますます訳がわかりませんわ」
「秘匿されてるとは言え、情報が全く漏れていないというわけでもない。何故シャロムを付けていると思っている」
説明するのも面倒になって来たという様子でヴィスタはテーブルに頬杖をつくと、横柄にそう言った。
「私が執事が欲しいと強請ったからですわ」
そう返せば、ヴィスタは一瞬黙って半目でエリィを軽く睨んだ。
「言ったろう?先見の姫を守るのは王子の性欲よりも優先だと」
「はい?」
「あの時私達を狙っていたのは、西の国の手の者だ」
「やはり私達を殺そうとしている者たちがいる、という事ですわよね?」
そう言えば、ヴィスタはジトリと半目で再び睨む。はっきりと言わずに匂わせるように言う言葉まわしが不快でエリィも思わず睨み返すと、ヴィスタはわざとらしく大きくため息を吐いた。
「あの者らの狙いは、我が国の王太子を殺すこと、そして先見の姫の奪取だ。リズが思っている以上にリズの身柄を欲している国は多い」
ただ知っていただけの未来の話をちょっと話しただけで何だか壮大な話になっているな……と考えて、思わずエリィは遠い目で庭の薔薇に目をやる。先見の姫などと言う二つ名も中二病臭くて妙にむず痒いというのに、国家間での取り合いに発展してるみたいな話をされてもピンとこないし、どこか他人事としか思えなかった。
「姉上とセシルが婚約を結んでいるのにも関わらず、リズが私の婚約者になったのは、先見の姫の力を王家に取り込むため、そして大ぴらにリズを守る護衛を付ける為と言った意味合いが強かった。私が望んだ等と言う発言など後付けに過ぎん」
「にしては、殿下の態度はお粗末でしたわね。とても取り込みたいようには見えませんでしたが」
そう言えば、ヴィスタは途端に苦虫を噛み潰したような渋面になった。今まで呆れた様に、ドヤ顔で語っていたというのに、その表情の変わりようがおかしくてエリィはクスクスと笑う。それを面白くなさそうにヴィスタは口を尖らせてそっぽを向いた。
「私には先見の姫などと言う情報は伝わって無かったし、姉上の婚約者として息子を差し出しておきながら、王子には娘を宛がおうとするとは欲深すぎると腹を立てていた。だから……」
「だから、その娘をいびった?」
「泣かせてやろうと思ってた。嫌わせて、いずれは婚約破棄にして捨ててやると宣言したつもりだった。……目論見は盛大に外れたが、な」
「ご愁傷様、ですわね。その程度で泣いたりはしませんわよ?」
「気が強すぎるのにも程がある」
憮然とした面持ちでヴィスタが吐き捨てると、エリィはさも可笑しいと言った感じでコロコロと笑う。
泣かせてやろうと思って酷い言葉をぶつけた令嬢に嵌められて、目の前で親である王と王妃、王女にまで叱責されて頭を下げさせられた。そんな当時の様子を思いだしたら、笑わずにはいられなかったのだ。
「つまり、だ。話を戻せば、秘匿とされていた先見の姫の情報を諸外国に流した愚か者が上位貴族の中に居るという事だな。だからこそ諸外国は先見の姫を欲しがったし、我が国としては早急に守る必要があった。王家が表立って守る理由に、王太子の婚約者と言うレッテルが必要だったんだよ。まぁ結局は何も知らない権力馬鹿共と親バカのヨハンが騒ぎ立てたおかげで手放さざるを得なくなったがな」
「……まぁ、それはわかりますけど」
「という事は、だ。諸外国は欲しがりこそすれ、殺すことは考えてはいない。多少傷がついたとしても、必ず生かして手中に収めたいはずだ。殺すなど愚の骨頂だな」
「それでは、私を殺す理由が無くなってしまうではないですか」
そう抗議の声をエリィが上げれば、ヴィスタはやっと理解したのかと言った調子で肩をすくめてゆるゆると首を横に振った。
「だから言っただろう。殺す理由が見つからないと」
「じゃあ何故私は死ぬのですか」
「さぁ?」
「……頼りになりませんわね?」
「情報が足りないからな」
ふざけて頼りにならないとエリィが言えば、ヴィスタは当然の評価だというようにニヤリと笑った。自分の未来に来る死について語っているというのに、その雰囲気は驚くほど明るい。何だかんだ言っても、何とかなるだろうという楽観的な気持ちもないわけではなかったが、何よりもヴィスタのその表情や言葉、態度がエリィを安心させるのに充分だったというのが本音だ。だからこそ、エリィも変に思い詰めることもせずに済んだのだ。
「情報を、もちろん提供してくれるのだろう?ここ最近の、いや未来である3月3日も含めて。リズが何をして、どこへ行って、誰と会って、なにを話したのか。思い出せるだけ思い出して、話せること全部教えてくれ。それと、3月4日にもし何か予定があったのだとしたら、それも合わせて」
ヴィスタのその言葉に頷き、エリィは思いだしたことを取り留めも無く話していく。エリィの話をヴィスタは頷きながら聞き、時には質問を交え、時系列をまとめるように確認をしていく。そしてひとしきり話し終えると、神妙な表情をして頷いた。
「何かわかりました?」
「まぁ……なんとなくは」
「なら教えてください。私にも知る権利がありますよね?」
「もちろんそうだが……。いや、終わってからはなそう」
いったん開きかけた口を閉じ、ヴィスタは突然黙秘を始めた。エリィが抗議をする様に強く睨んでもどこ吹く風だ。
「私の事なのですから、私には話すべきだと思いますわ!」
手の先でテーブルを強く叩きながら言っても、ヴィスタはチロリとエリィを見て視線を反らすだけ。いっその事このティーカップの中身をぶちまけて癇癪でも起こしてやろうかと過激な考えに支配されそうになった時だった。
「探しましたよ、殿下」
そう言ってヴィスタの背後、そしてエリィの視線の先から現れたのはヨシュアだった。ヨシュアは一瞬だけエリィの方を見ると、気まずそうにすぐに視線を反らしてヴィスタの方を見た。その態度にズキリとエリィの胸が痛む。
一方的にキスをされたのはエリィだ。だが、ヨシュアを傷つけたのもエリィなのは間違いなかった。それをわかっていても、ヨシュアの態度に傷ついてしまう自分が情けなかった。
「随分と遅かったな」
「そうですね。王城に寄っておりましたので」
「……」
「ご自分で釈明なさってくださいね」
わざとらしくテーブルに突っ伏すヴィスタを窘めながら、ヨシュアは学園へ戻る様に促す。その間、エリィへと視線を向ける事は無い。明らかに避けられている、と言ったそんな様子を見ていられなくて、エリィもカップを両手で包み込みながら視線をテーブルの上に彷徨わせていた。
そんな2人の様子を訝しむ様にヴィスタは伺い、そして何か思いついた様に口を開いた。
「そう言えば、ヨシュア。見合いの話が上がっているそうだな」
その言葉に弾かれたようにエリィが視線を上げれば、そこには綺麗な顔で笑うヨシュアがいた。
「ええ。ありがたいことに、良いお話を頂いてます」
「そうか。これから婚約だとすると、来年明け早々の婚姻の予定か?姉上の降嫁の日も決まったことだし、慶事が続くのはめでたいことだな」
「ありがとうございます」
ヨシュアはその笑みを崩さぬまま軽くヴィスタに頭を下げた。対するヴィスタもニコニコと、わざとらしい程の笑顔を浮かべている。
そんな和やかな中、エリィだけは違っていた。ドクンと一回胸が大きく鳴った気がして、エリィは思わず胸を押さえる。突然奇妙な浮遊感と共に、一瞬眩暈がした。そして息がつまるような感覚の後、体中の血管がドクドクと音を出し、手が震えた。背中の方に体中の熱が集まっていくような感覚を覚え、と同時に背中以外の熱が一斉に奪われるような感覚。平衡感覚が急に失われたように、ぐらりと体が傾いだ。
そんなエリィの様子に最初に気付いたのはヨシュアだった。胸に手を置き、眉間に皺を寄せて目を閉じているエリィに気付いて駆け寄ろろうとし、だが声を掛けるのも駆け寄るのも何故か一瞬躊躇した。そんなヨシュアの様子に気付いたヴィスタがエリィへと視線を戻せば、エリィの体が大きく揺らいでいたのだ。そのままエリィが堪えるようにテーブルに手を付くも、テーブルまでもエリィの体と共にグラリと傾いた。
「リズ!」
斜めになったテーブルからカップが滑り落ち、テラスの床に派手な音を立てて叩きづけられた。少し離れたところでケイトの悲鳴がエリィの耳にも聞こえる。本来ならそのまま、割れたカップの上へエリィも倒れ込むところだった。が、危うい所でヴィスタが床とエリィの間に滑り込む様にして抱きとめる。その間も息を止めてやり過ごさなければ耐えきれない痛みがエリィを襲った。
「発作か?」
額に脂汗を浮かべながらただコクコクと頷くエリィをヴィスタはそっと横抱きにした。直後、慌てたように駆け寄ってきたシャロムがケイトに医師の手配を手早く指示すれば、ケイトは大きく頷いてバタバタと走り去っていく。
そんな慌ただしい空気の中、ヨシュアは立ちすくんでいた。エリィの様子にいち早く気付いたのに駆け寄ることもできなかった自分に激しい自責の念を抱いていた。
「何を呆けている」
ゆっくりと揺らさないようにエリィを抱え上げたヴィスタが一言そう言った。その一言でヨシュアは弾かれたように小走りに邸内への入口へ近づき、ヴィスタが通りやすいように大きくドアを開ける。それを確認すると、ヴィスタは足早に、それでいてエリィをぶつけたりしないように丁寧に邸内へと足を運んだのだった。




