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53. 起点


――さて、どうしよう。


 取りあえず、エリィの頭の中に思い浮かんだのはそれだった。人間、動揺しすぎると逆に冷静になるのかもしれない。真剣な表情でエリィを真っ直ぐに見るヴィスタを、何とも言えない表情でエリィは見返す。アホの子の振りをする素振りも見せない、のっけから本音モードになっているヴィスタを誤魔化すのは、先程のやり取りから考えても難しそうだった。たとえここで運よく言い逃れても、常に疑いの目で見られる。そう考えただけで憂鬱になってしまう。

 どう考えても、元々頭の出来は人より優れているヴィスタを、凡人であるエリィの頭の出来で上手く言いくるめられるかどうかと言えば、それは豆腐の角で頭をぶつけて死ぬぐらい難しい事ではないだろうか。そう考えたら、もう開き直るしかないとエリィは腹をくくった。


「ええっと、そうですね?なのかしら」

「……なぜそこで疑問形なんだ」

「何故でしょう?」


 そう言ってニッコリと微笑んで見せる。そのエリィの顔を見るとヴィスタは途端に渋面になった。そうして大きくため息を吐いた。


「こうなると、厄介なんだ」

「なにが、でしょうか」

「私の推論は間違っていないだろう?」

「何のお話でしょう?」

「どう言う訳だか知らないが、リズの記憶は繋がっていない。抜け落ちている。そうだろう?」

「そうなんですか?」


 当たらずとも遠からずな問いに内心は冷や冷やものである。下手に否定をすればどんどんツッコまれるのはわかっていた。だからこそ頬に片手を当てて首を傾げながら、あえてニコニコとヴィスタの質問には疑問形で投げ返す。凡人の脳と言えども、その位の事なら出来るのだ。ヴィスタの言葉には否定も肯定もしないのが今のベストだと、そう考えた。否定や肯定をすれば、結局全部吐かされてしまうのは目に見えていた。だからこそ、決して言わないという強固な態度を見せる必要があった。

 そもそも、話したとして荒唐無稽な話にしか思えないだろう。真実を話す方が余計嘘くさい。エリィがヴィスタの立場ならそう思う。ならば話さないのがベストだと考えるのは当然の事だった。


「茶会へ誘った前日のリズの怒りようから言えば、あの態度は不自然だと言わざるを得ない」

「あら、そうだったかしら?」

「私の腹に拳を見舞わせたぐらいに腹を立てていたというのに?」

「まぁ、拳だなんて酷い言い様。ちょっとした可愛い抵抗ですわ」


 相変わらずニコニコとそう言えば、ヴィスタはイライラとした様にテーブルをコツコツと指で叩いた。


「テーブルが痛んでしまいますわ。お止めになって?」

「性格が悪いな、リズは」

「その言葉がブーメランのように殿下の頭に突き刺さっているのが見えますわ。ハハッ」

「……」


 エリィがそう言えば、ヴィスタは眉間に深くしわを刻んだ。あくまでも話す気のないエリィにイライラしつつも出方を窺っている様にも見えた。

 そうしてしばらく押し黙った後、ヴィスタは諦めた様に大きく音を立ててテーブルに肘を置き頬杖をつく。そのまま不貞腐れた様にそっぽを向くと、ボソリと呟いた。


「そんなんじゃ嫁の貰い手がないぞ。可愛げが無さすぎる」

「可愛げが無くて結構ですわ。嫁に行く予定はございませんし、心配ご無用です」


 悔しそうに呟かれた悪態もエリィがピシャリと跳ね除ければ、ヴィスタはわずかに眉を吊り上げてエリィを見返した。そして大きく鼻を鳴らすような勢いでフンとあざ笑う。その態度が妙に鼻について、エリィは顔をしかめた。


「ああ、確かに心配無用だな。その性格込みで私が嫁に貰ってやるからな」

「お断りですわ」

「喜ぶがいい。リズのように可愛げが無くても心の広い私がいるからな」

「根性のねじ曲がった殿下へ嫁ぐなどこちらから願い下げですわ」

「どちらにせよ、私に嫁ぐしか道はあるまい?」

「全くありえない話ですわね」

「セシルに未練たらたらか。往生際が悪いな。さっさと諦めて私の元へ来い」

「殿下の方こそ記憶が繋がって無いようですわね。婚約は白紙に、その後のお話も一切お受けするつもりはございません」

「ほほう?貴族として政略結婚など当然の義務。侯爵家の為に尽力こそすれ、足を引っ張る気など……」

「昨日の話をいつまで引っ張るのですか!」


 記憶にも新しいこのやり取りにイライラさせられて、エリィはヴィスタの言葉を遮る様に怒鳴り、怒りに任せて平手の先でテーブルの端を強く叩いた。しかしヴィスタはそんなエリィの態度に動じることも無く、再びふんぞり返って椅子の背に体を預けて腕を組むとニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「なるほど、ね」


――してやられた。


 エリィはぎゅっと唇を強く噛む。否定も肯定もせずに、言わない態度を貫き通して話を終わらせるつもりだったのが、結局うまい事のせられてボロを出してしまった。そしてそのボロをヴィスタは的確に拾い上げてしまった。完全にエリィの負けだった。

 エリィとヴィスタがこうやって口論したのは、エリィにとっては昨日。だが、エリィ以外のヴィスタ達にとっては3日も前の出来事だ。先程までは上手く頭の中で時系列を確認しながら受け答えをしていたはずなのにと、自分のうかつさにエリィは頭を抱えたくなった。


「リズ、実はアホの子だろう?」

「……」

「口を割らせようとは思ったが、まさかこんなに早くボロを出すとは……逆に感心したぞ」


 ニヤニヤと笑いながらヴィスタはカップを持ち上げると、相変わらず意地の悪い笑みを浮かべながらお茶を一口飲んだ。そんな様子のヴィスタをエリィは怒りに震えながら睨む。そして何とか気持ちを落ち着けようと、必死に怒りを抑えながら、エリィはカップを口元へ寄せた。


「だから昨日、簡単には納得しないと言っておいただろう?」

「そう言う意味だとは思いませんでしたわ」

「上には上がいると教えてやろうと思ってな」


 まだ言うか、とジロリと睨めばヴィスタは肩をおどけたようにすくめて見せた。


「なかなか面白い事になっているようじゃないか」

「全く面白くありませんわ」

「私の昨日とリズの昨日が違う。今までの妙な違和感と矛盾はそれが原因か」

「詳しく説明しろと言われても説明できませんわよ。出来たら誤魔化そうなんてしませんもの」

「何時からだ?ここ1週間ほどおかしいのは気づいていたが……ああ、そうか。モノと会った日もリズは様子がおかしかったな?となると、2週間ほどか」


 疑問をエリィに投げかけておきながらも、途中からは自問自答のようになり、ブツブツと考えをまとめるようにヴィスタは呟く。そんなヴィスタを見ながらエリィは隠しきれなかった悔しさと共に、少しの安堵を覚えていた。


「少し肩の力が抜けたか?」

「別に力んでなんておりませんわ」

「にしては、ホッとした顔をしているな」

「そんなこと……あるかもしれませんわね」


 他の人と違う時間の流れに居る。言うだけならば簡単だ。だが実際に自分の身に起こると、自分でも思っている以上に気を張っていたと気が付いた。

 人間の記憶なんて曖昧な物で、時間が経てば経つほど細かい事を忘れていく。問題になっていたお茶会の場所の事も、27日の時点では疑問に思っていなかったために、危険な場所からは遠ざけねばならないとしか思っていなかった。そして翌日28日のエリィにはヴィスタに未来を告げた後の記憶があったのに、すぐに前日の27日の違和感が無かった会話と結びつけることが出来ずにおかしい事に気付かなかったのだ。セシルと話していて、ふと思い出した、そんな感じだった。時間を通常の流れで過ごしていたならば、ヴィスタの言うように27日のエリィの言葉は「何故塔なのか。自分の忠告を無視するのか」といった内容になっていたはずだ。だが順番が狂ってしまっていたが為に、あの時のやり取りにエリィ自身が違和感を感じることも、記憶に強く刻み付けられることも無く、ただの会話の一部として記憶の片隅に存在していただけなのだ。あの日、28日のエリィがわざわざエリィにとって3日前の27日の会話の一部を思い出すことをしていなければ、ヴィスタの言葉への疑問に気付きすらしてい無かった筈だ。

 自分ではちゃんと時系列を思い出しながら、なるべく齟齬が無いように気を付けていたつもりだったが、やはり知らない事を知っている様に動くというのは無理な話であるのは自明の理だった。他の人には無い筈の記憶があるという事は、自分の動きの指針となり、とても安心感が強い。逆に、他の皆にはあるはずの記憶が自分には無いという状態は、少なからず恐怖ではあった。


「で、わかる範囲でいい。今リズはどうなってるんだ?おしえてくれ」


 先程までより随分と柔らかい笑みを見せてヴィスタがそう問う。さっきまでの意地悪そうな笑みも、不満そうな拗ねたそぶりも、困ったような顔も、全てエリィに話させるための演技だったのかと思うと、少しだけ面白くなかった。それでも、眉を下げながら確かに気持ちが少し軽くなっていたのを感じた。


「どうもこうも。よくわからないのです。私にとっては、昨日は26日ですし一昨日は23日なのです。その前は22日、その前は21日ですが、その前は……そう、28日ですわね」

「めちゃくちゃだな」

「そうですわね」

「では、明日のリズは3月2日のリズなのか?そうではないのか?」

「3日は終わってますが、今まで4日以降の記憶はありませんし、2日の記憶はないので、これからやってくると思います。なので、その可能性が高いですわね。正直ごちゃごちゃで把握し切れてはいないですわね」


 そう情けない顔でエリィが言えば、ヴィスタは少し考え込む様にしたあと幾つかエリィに質問を投げかけた。夜会の事や、その翌日の事。王城の廊下でヴィスタと喧嘩をした事など質問されるままに答えていけばヴィスタはフムと顎に軽く手を当てて納得したように頷いた。


「リズにとって可能性が高い明日は、3月2日か2月20日のようだな」

「あら、簡単に分かってしまいますのね」

「たいして込み合った話でもないだろう。3月4日以降が来ないという事はその2日しか考えられない。実に簡単な話だな。しかし妙だな……何故3月4日以降が来ない?」


 ヴィスタが3月4日という言葉に引っ掛かりを覚えている様子に、エリィは僅かに首を傾げた。エリィの中ではそれはヴィスタが3月2日に死んでしまう本来の流れとは違う事が起きてしまった事が起因だと説明がついていた。だからこそ、そこまで引っ掛かりを覚えるような事ではなかったのだ。


「3月4日以降が来ないのは、殿下を助ける為、だと私は思っていましたが」

「それなら、3月3日がエリィにやってくるのはおかしいだろう?」

「でも3月3日を過ごしていなければ、殿下が亡くなることは知りませんでした」

「そう。私が死ぬからリズが死ぬという前提があった。ならば私を救わねばならない。ならば私を助けるためというのはあながち語弊ではないのだろう」

「なら……」

「私は言ったな?私が死んでもディレスタに責が及ばないようにした、と」

「ええ」

「なら、なぜ3月4日が来ない」

「ですから、殿下を助ける為に……」

「ならば、もっと当時の状況を知るために3月4日以降が来てもおかしくは無い筈だ」

「言いたいことがわかりませんわ」

「そもそも自分にしか起こらない現象が、他人を起点に物事が起こっているとするのは極めて非論理的だ。それならば、物事の起点は自分にあると考えるべきだ。3月2日の私の死が起点であると考えるならば、3月3日が来ている説明がつかない。だが3月4日が起点であるのであれば、そのただの通過点である3月2日、3日が来るのは当然の事だ。なぜ3月4日以降が来ないのか。何故3月4日が起点なのか。考えれば考える程一つしか理由が思い浮かばない。……つまりそれは」


 そこまで言うとヴィスタは一度言葉を切って強く唇を噛み、それから静かに長い息を吐いた。


「……それはリズの3月4日以降が存在しないという事だ」



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