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44. 暴かれる気持ち、否定したい気持ち



 それは、こう、何て表現したらいいのだろう。前世と今世を合わせてエリィには初体験と言っても過言ではない。脳みそを揺さぶられるというか、目の前にお花畑が見えるというか、星が舞うというか、一瞬気が遠くなる。

 そんな初体験だった。


「……殿下、痛いです」


 淡い予感が無かったかと言えば嘘になる。だって、ここ乙女ゲーの世界でしょ!って思っているし、知ってるのだから、エリィがそれを予感して戸惑っていたのは事実だ。

 だが、実際にやってきたのは柔らかい感触でも、レモンの味でもなんでもなく、気持ちよくもなんともない。物理的に脳みそが揺さぶられた物理的な痛みだ。

 そもそも、現実的に接触する場所が違っている。

 しかも相手は平然とした顔をしている。


――なんなの、イケメンの首から上は鋼鉄製なわけ?


 物理的に痛いエリィの額に接触しているのはヴィスタの額。勢いは余りなかったものの、ゴンと脳内に響いた音は、普通にダメージの大きさを表していたのではないかとエリィは推察する。乙女ゲーの攻略対象ならばこのシーンは普通キスなのではないかと考えるのは当然だ。もちろん、エリィもそう思ってどうやって避けようかと迷っていた一瞬に額に一発食らえば呆然としてしまうのも無理はない。痛いと主張するだけでいっぱいいっぱいだった。


 額と額を合わせたまま、半眼でヴィスタを睨んでしまったのは抗議としては控えめすぐるくらいだった言えよう。


「目が覚めたか?」


 相変わらず真剣な口調のままで、ごくごく至近距離からヴィスタはそう言った。余りにも至近距離過ぎて、ヴィスタの綺麗な顔もぼやけてしまっているし、エリィが睨んでいるのも恐らくわかっていないだろう。


「これだけ振り回しておきながら、今更振り回したくないなどと――寝言は寝て言え」

「殿下こそ見殺せなどと、寝言は寝てから仰ってくださいませ」

「お前は先見などしなかった。それでいい」

「殿下の世迷い言は聞かなかった。そういうことに致します」

「まだ目が覚めないとはな。もう一度頭をハッキリさせてやった方が良いのか?」

「地位ある男性が無抵抗の婦女子に城内で乱暴を働くのは、我が国の品位を貶めるような国賊行為、と仰られた方がおりましたわよね? その言葉が殿下の頭にブーメランの様に刺さってるのが見えますわよ」


 そこまで言うと、ヴィスタは前かがみになっていた体を起こして額を離した。そうして、わざとらしい程大きくため息をついた。


「ああ言えばこういう。お前は本当に昔から全く思い通りにならないな」

「馬鹿なのは振りだけかと思いなおしておりましたが、その認識をまた改めないといけないみたいですわね」

「馬鹿はお前だ」


 ヴィスタはおもむろにエリィの左頬を指先で掴み、軽く横に引っ張る。その表情は先程までとは違って、とても柔らかい笑みを浮かべていた。


「『お前、大人になる前に死ぬらしいな』」


 初めて会った時と同じ言葉を言うヴィスタの顔をエリィは訝し気に見上げる。そこには、あの時の様な自分勝手で傲慢な気配は一つも感じられない。あえて言うなら、後悔に似た酷く悔しそうな声音だった。


「そうですわね」

「酷い事を言った」

「そうですわね」

「――長い間私の我が儘に突き合わせてすまなかった。償いたい」

「大げさです。それに、仕返しはその都度してますわよ?」


 エリィが口の端を上げて笑ってみせればヴィスタは何とも微妙な笑顔を返す。


「もしかして、償いたいから見捨てろとか仰ってます?」

「それも、ある」

「本当に馬鹿でしたのね」

「リズが喜びそうなことが他に考え付かなかった」

「随分と見くびられたものですわね」


 余りにお粗末なヴィスタの言葉に、エリィは呆れて言葉を失った。たかだか10にも満たない子供の時の戯れ言を自分の死で贖うなど、正気の沙汰とは思えない。いくら頭が切れる、頭脳明晰とか設定があったとしても、これは単純に馬鹿と評する事しかできない。勉強だけできるタイプの馬鹿。というか、このゲームのシナリオライターが馬鹿なんじゃないの!なんてエリィは心の中で悪態をつく。ヨシュアにしてもヴィスタにしても、ポンポン死ぬ死ぬ言いすぎじゃないだろうか。いくら死が話の中心のゲームだったとは言え、流石に呆れる。そんな風に思えば思うほど、エリィははらわたが煮えくり返ってくる気がした。


「ここはやはり、馬鹿だ、阿保だと罵るべきところなのでしょうか」

「なぜそうなる」

「当然でしょう?私だって死ぬのは嫌なんです。でも決まってて覆せる要素が全くないんです。生きようとしても無理なんです。そんな私の前であなたは掴める可能性のある生を、そんな下らない事の為に捨てると言う。馬鹿にするのも大概にしてもらえませんか? というか空気読めてませんね? 馬鹿ですか? 馬鹿なんでしょう?」

「馬鹿になどしていない」

「おまけに、その死によって私が幸せになると? その死を私が喜ぶと? 殿下の中での私はどこまでクズ人間なのですか」


 エリィがそう言えば、ヴィスタは一瞬だけキョトンとした顔をした後、すぐバツが悪そうに視線を反らして額を手で押させた。


「いや、そう言う訳では……」

「自分が死ねばお前は幸せに――なんて、そういう押し付けは迷惑です。余計なお世話です。そんなのただの自己満足じゃないですか。自分の幻想を私に押し付けないで頂けます? 流石にイライラしますわ。……こういうのなんて言うんでしたっけ? ああ、そうだ。一言で言うならウザイ、ですわ」


 責め立てる様に文句を言えば、立て板に水のごとく文句が噴き出ることに、エリィ自身驚きだった。未だかつて、人にここまで感情的に悪態をついたことがあっただろうか。前世から考えてみても初めてだったかもしれない。エリィに見たくもない現実を突きつけ、おまけに馬鹿な提案をし、頭突きをされた挙句更には人の死を喜ぶなどと言われたら誰だって怒って当然だ。


 ヴィスタはエリィが傷つくのを知っていながら、逃げないように迎えに来たのだ。ヨシュアやノエル、ヨハンの誘いを断り、わざわざここまで引っ張ってきて、エリィを傷つけるために見せた。そう考えると怒りの感情が後から後から噴き出してきて、抑えきれない様な気がした。


「プライベートな問題にまで平気で首を突っ込んできて、忠告してやった? なんなんですか、偉そうに。何様なんですか? ああ、そうですわね、王子様でしたわね。でもね、古今東西、殿下みたいな阿呆の事はこういうんです。馬に蹴られて死んでしまえって」


 完全に自分の箍が外れてしまっているのにエリィも気付いていた。それでも、悔しくてたまらなかったのだ。わざわざ何年も避けてきたセシルと王女の事を突き付けられて思い知ってしまったのだ。自覚したのはつい最近だとは言え、エリィはずっと何年も前からセシルが王女と会うのに同席するのが嫌だった。それはエリィが何年も前からセシルが好きだったと言う事に他ならない。そこから目を背けて逃げていたことを自覚してしまったのだ。痛い所を的確に突かれて、追いつめられて。

 前世風に一言で言うならば、ガチギレした。そんな感じだろうか。アニ―ニャに対してだってエリィはここまで感情的にはなれなかった。相手に合わせてオブラートで包んだ嫌味で、イライラしていたとはしてもすこしは余裕な態度でいられたはずだ。


「馬に蹴られる覚悟も決めずに逃げ回ってるのはお前だろう」

「邪魔するつもりもないのに蹴られる必要が無いでしょう? お兄様たちの結婚に反対なんかするものですか。お二人とも仲睦まじい上に政略的にも意味がある。万々歳ではないですか」

「そこに恋愛感情が無くてもか」

「先程も言いましたが、充分仲睦まじいではないですか。それに、貴族として政略結婚など当然の義務でしょう。私は我が侯爵家の為に尽力こそすれ、足を引っ張る気など毛頭ございません」


 売り言葉に買い言葉と言った言葉の応酬が続く。ヴィスタがチクチクと言葉で刺してエリィを追い詰め

る。


――セシルへの恋愛感情を否定しなくてはいけない。死んでいく自分は、幸せになるであろう王女とセシルとの婚姻を祝福しなければならない。


 そう、半ば義務感の様な己の言葉にがんじがらめになっていくのをエリィは感じた。自分の気持ちを認めるわけにはいかないのだ。セシルの未来を潰すわけにはいかない。そして、死に行く自分の為に、一時の感情の為にヴィスタを見捨てる事なんて出来る筈もない。


 ヴィスタがエリィを思っての言葉だというのは分かってはいた。だが、頷くわけにはいかなかった。それを理解しようとしてくれないヴィスタに酷く腹が立ち、どうしたらわかってくれるのかと歯噛みする。


「あくまでも恋愛感情などいらないと言うのか。リズの気持ちはどうなるんだ。姉上だとてリズの気持ちに薄々気づいているのだぞ」

「誤解なさっているようですが、私はお兄さまと恋愛しようだなんて思っておりませんので」

「では、これは恋愛じゃない。そうなんだな?」

「そうですわ。私とお兄様はなんでもありません」

「それでいいのだな? 貴族として政略結婚など当然の義務。侯爵家の為に尽力こそすれ、足を引っ張る気など毛頭ない。そうだな?」

「もちろんですわ」

「言質は取った。姉上を安心させるためにも報告するからな。今更意見を変えるなよ?」

「意見を変えるつもりも、邪魔をするつもりもありませんわ。どうぞ、ご自由に」

 

 ヴィスタを思い切り睨みつけながらエリィは吐き捨てるように言う。


 すると、ヴィスタは先程までの切なげな真顔から一変、油断のならない挑戦的な顔になり、ニヤリと笑って見せた。






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