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43. 手を引く想い、目隠しの愁い



  ノエルやヨハン、不可解な様子のヨシュアと別れて、エリィはヴィスタと共に王族の居住区へと入る渡り廊下を進んだ。その2人の後ろを、ヴィスタの護衛騎士であるイオルとダレンが黙ったままついてくる。とはいっても、何故かかなり距離をおいていて、これでは護衛の意味があるのかとエリィが首をひねって首を捻れば、それに気が付いたのかヴィスタは少し笑って立ち止まった。


「あの2人には話が聞こえない程度に離れろと言ってある」

「ああ、先程までお父様と一緒でしたものね? なにか内密な話でもしていたんですか?」


 そうエリィが問えば、ヴィスタはさも可笑しそうに口元に拳を当てて肩を少し揺らして笑った。


「ヨハンが一緒の時は言わなくても近づいてこないな、あの2人は」

「そうなんですか?」

「側に居れば小言しか言われないからな」

「あら」


 エリィが口元に手を当てて苦笑いすれば、ヴィスタは「私もヨハンの小言は聞き飽きたよ」と小さく肩をすくめて見せた。そしてチラリと渡り廊下の先に少しだけ見える中庭の方に目をやると、ヴィスタは一瞬だけ真顔になり、そのあと再び表情を緩めてエリィを見た。


「頬は痛むか?」

「いえ、それほどでもないです。まともに当たったわけではないので。少し冷やせば腫れるほどでもないんじゃないでしょうか」

「そうか」

「殿下に来て頂いて助かりました。ありがとうございます」


 そう言ってエリィが頭を下げれば、ヴィスタは小さく首を横に振った。


「いや、礼などいい。私は私の都合で迎えに出ただけで、単なる偶然だ。迎えに出ようと思わなければもっとひどい事になっていたかもしれない。間に合った、とは言い切れないが、止めに入れてよかった」

「都合、ですか? ……なにか急ぎのお話でも?」

「ヨシュアに見つかれば、私と会う前に自宅に引き戻されると思ったからな」

「え?」


 意味深なヴィスタの物言いに、エリィは眉をひそめて訝し気に見返す。ヴィスタは相変わらず笑顔を浮かべてはいるが、その瞳にはいつものような楽し気な雰囲気は無く、至極冷静な光があった。いや、あえて冷静になろうとしているようなそんな雰囲気すらあった。


「今頃ヨシュアは私に対して怒り狂っているんじゃないかな。ノエル殿にも――やんわりと非難の目を向けられたよ」

「……どういう事ですか?」

「リズの周りは真綿ばかりだな。そのうち窒息するぞ」

「意味がわかりません」


 口元から笑みを消して、ヴィスタは腕を組みながら核心を避けるような物言いをする。そんなヴィスタの行動や言葉に、エリィは不快感を募らせて、ますます眉根を寄せる。


「特にヨシュアは駄目だ。あいつはいつも先回りしてリズの目を塞いでしまう」

「何が言いたいんですか」


 語気を強めて言えば、ヴィスタはチロリとエリィを一瞥して唇を一瞬ぐっと引き結んだ。


「私は最後までリズの側にいる。だから逃げないで欲しい」


 そう言うとヴィスタはおもむろにエリィの手を取ると、些か強引に再び歩き始めた。訳も分からず困惑した表情を張り付けたまま、エリィは手を引かれるまま、半ば引きずられるようにしてヴィスタの後に続いた。


 何か用事があって、中庭の先にあるヴィスタの私室に早く行くために、彼はエリィを急かして渡り廊下を歩いているのだと思った。少なくとも、エリィは最初そう認識していた。何か怒っているような、それでいて何かを恐れているような、そんな表情のヴィスタはいつもと全く別人のようだった。先程まであった不可解なヴィスタの言動への怒りの感情よりも、ヴィスタに手を引かれて歩みを進める度に、エリィの感情は戸惑いと不安が強くなっていく。

 どうしてよいかわからずに歩みを進め、中庭にかかる数歩前で、いっその事ヴィスタの手を振り払ってしまおうかと考えた時、不意にヴィスタがピタリと歩みを止めてエリィを肩越しに振り返り見た。


「どうかしたんで――」


 そう言掛けた時、中庭の奥の方から、軽やかな笑い声が聞こえてエリィはそのまま口を閉じた。樹木と植え込みに阻まれていて、もう数歩歩み出さなければその声の主の姿を視界に入れることが叶わない。それでも、その声の主はエリィの記憶にある人物の声と酷似していた。

 ヴィスタに握られた手が一瞬だけ強く握られ、エリィが口を閉じたままその手の先を見上げれば、ヴィスタも黙ったまま静かな瞳でエリィを見返していた。


 聞こえてくる軽やかな声は、ときおり女性特有の柔らかな笑い声となり、楽し気な雰囲気を運んでくる。その合間合間には、エリィがよく知る、低く心地よい男性の声がした。


 思わず踵を返そうとすれば、強く握られた手がそれを許すまいとするように阻む。半ばパニックになった様な状態で、腕を強く振れば、ヴィスタはその手を強引に引く様にしてエリィを抱き寄せた。


「ずっと避けていただろう?」


 耳元でささやかれた言葉に、エリィはカッとして手のひらでヴィスタの胸を打った。それでも、ヴィスタの腕は振りほどかれる事は無く背中に回され、ビクともしない。


「もう何年も、この光景に目を背けて。ヨシュアが目を塞ぐから現実も見れないままでいただろう」

「――なんのことだかわかりません」


 絞り出す様にそう言えば、ヴィスタはエリィを強引に歩かせる。そのまま3歩、進んだところで視界が開けた。とっさに目を反らそうとしても、既に遅く、エリィのその瞳は華奢でたおやかな女性の後ろ姿と、それに寄り添うようにして立つ、見知った大好きな背中を映していた。


「騒がなければ、この距離ならまず気づかれない。――それとも、あそこへ割り込んでいくか?」


 腕を組んでしなだれかかる女性と、それを甘んじて受ける筋肉質でいて、すらりとした体躯。この光景を最後に見たのは何時だっただろう。強く握った両手を口元に押し当て、エリィは俯き、エリィは激しく頭を振った。


「姉上は先月18になった。セシルは来月早々20になる。それに合わせて近々婚礼の日取りも決まるはずだ」

「……だからなんなんです」

「兄離れしろと、忠告しただろう」


 そう言われた瞬間、先程別れたヨシュアの顔が、あの時のヨシュアの目が頭をよぎった。


――同じ目だった。


 前世でのエリィの父親と、そして母親と。

 憐れむ目。

 同情する目。

 先にある痛みを捉えた苦痛の目。

 あれは、エリィがこの廊下の先で目にするであろう光景を知っていた故の目だったのだ。


 家に帰そうとしたのはアニ―ニャの事があったからだと、エリィは勝手に思い込んでいた。それに加えて、エリィがヴィスタに会おうとした事が不満だったのだと思っていた。だがよくよく思い返してみれば、確かにノエルは言っていたはずだ。


――そうしたらエリィを見かけて。で、ヨシュアが王妃様に席を辞するお願いをしていたら……


 ヨシュアはアニ―ニャの姿を目にする前に、席を立った。この廊下を進もうとするエリィを見かけたから、ヨシュアは慌てて王妃とのお茶の席を辞そうとしたのだ。その時はまだヴィスタの姿は無かった筈だ。だとすれば、セシルと王女の姿がこの中庭にあるのを知っていたからではないだろうか。


「私が動かなければ、ヨシュアに守られたまま目が塞がれている事にも気づかない。そうだろう?」

「……なぜ、見なければいけないんですか」


 諭す様に言うヴィスタに、エリィは押し殺したような声で答えた。それは、エリィが思ったよりもずっと小さく低い声で、その声にヴィスタは訝しげに眉をひそめた。


「リズが嫌がるのも、傷つくのも知っている。だが、もう覚悟を決める時だろう? あれは決定事項だ。私とリズの時とは違う。あの2人の間には婚約を解消すべき正当な理由は一つもない」

「だから、なんなんです」

「だから、現実を見――」

「目を塞いでいて何がいけないんですか。邪魔をするつもりなどありません。ただ見たくない物を見ないだけ。それがそんなに非難されることなのですか」


 両手で目を覆うようにして俯き、呟くようにそう言う。余計なお世話だと怒鳴り散らしたい感情を押さえようとすれば押さえようとするほど、声が震えた。


 いずれ死んでしまう身で、誰かの運命を変えるつもりなど無い。変えてはいけない。そう自分を戒めてきたつもりだ。セシルの事を兄としてではなく異性として好きだと自覚してからも、それは変わらない。この世界から居なくなることが決まっている人間が、遺り、生きていく人間の環境を大きく変える事なんてあってはならないのだと、ちゃんとわかっているのだ。


――だというのに、目を背ける事さえ許されないというのか。


 ヴィスタの理不尽な要求に、怒りで目の前が真っ赤になるような気がした。手で顔を覆っていなければ、感情に任せて怒鳴って、睨んで。その昂ぶりに任せるまま泣き喚いていたかもしれない。


「放っておいてください。放っておいて。邪魔なんてする訳が無い。ただ死ぬことしかできない私にこれ以上何を求めるんですか」


 掠れて震える声でエリィが言えば、背中に回されたヴィスタの腕に力が入り、まるで彼の胸に顔を押し付けられるような強さで抱きしめられた。エリィが身じろぎして押し返そうとしても、やはりビクリともしない。


「あの2人の婚約を解消させるなど、ヨハンですら無理だ」

「だから、何だというんですか。そんな事など望んでおりま――」

「いいから黙って聞け」


 耳元で囁くようにヴィスタが言う。その言葉には有無を言わさぬようなそんな雰囲気があり、エリィもその勢いに負けてそのまま口を閉じた。


「だから、何なんだ、と、言ったな?」


 一言一言区切る様にヴィスタが言う。エリィがそれに小さく頷き返せば、ヴィスタは深く息を一つ吐いた。まるで感情を抑え込むような少し震えた吐息に、少しだけ不穏な気配を感じ、エリィは思わず身を固くする。

 そうして少し沈黙した後、ヴィスタは覚悟を決めた様にコクリと喉を鳴らした。


「2日の茶会で、私を見殺せ。そうすれば私は私を狙う者に喜んで殺されてやる」


 とっさにヴィスタの言葉の意味が理解できずに、エリィは目を見開いたまま顔を上げようとした。しかし、ヴィスタはそんなエリィの視線から逃げる様に頭を抑え込み、胸に抱え込む。


「何を、馬鹿な事を……」


 信じられない様な事を言うヴィスタにエリィがそう返せば、耳元でくすりと笑う気配がした。からかっているのかと思い、自由な右手でヴィスタの二の腕を叩いて抗議をすれば、背中に回った腕に再び少し力が入った。


「私が死ねば、姉上は王に足る人物と婚姻を結ばなければならない。もちろん、セシルでも可能だろう。だが、恐らく……いや、十中八九、すぐにでも婚約は解消になるだろう。姉上を娶れば王になるのが確実と分かれば、国内の有力貴族だけでなく、諸外国より婚姻の申し込みがあるはずだ。きっと父上はセシルを選ばない。国益を優先させるだろう。それをヨハンも受け入れるはずだ」

「お忘れですか? 殿下が亡くなれば私も死ぬのです。そのような世迷い言は意味がありません」

「何も手を打っていないわけが無いだろう。大丈夫だ。私が死んでもディレスタ侯爵家には何も責は及ばない。私を気にせずとも問題は無い」

「問題あるに決まってるじゃないですか」


 脱力して呆れた声が出る。何をバカな事を先程からつらつらとのたまっているのだと、ため息が出る。


「私は死ぬんです。その私が周りの人間の人生を振り回すなんて、していいわけが無いでしょう」

「リズ、それは思い違いだ」

「どこがですか。私が死んだ後も生きていく人たちに迷惑掛けるような事、するつもりはないんです。皆には笑って、穏やかに。このまま私に煩わされずに生きていって欲しいんです。殿下にも、お兄さまにも。時々、懐かしいと思い出してくれれば、それで――」

「それが思い違いだと言っているんだ」


 エリィの言葉を遮ってヴィスタは静かに言った。そのまま、背中へと強く回していた腕を解き、エリィの上腕に手を添えて少しだけ体を離して視線を合わせる様にして覗き込む。



「私は、出会ったあの日から――ずっと振り回されている」



 そう言って、切なげな色を瞳に浮かべて近づいてくるヴィスタの顔を、エリィは戸惑った様に見上げていた。







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ブクマ・評価・感想等いつもありがとうございます。

これからもよろしくお付き合いお願い致します(*´▽`*)

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