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42. 父の称賛、弟の辛酸



 ドリエン公爵とアニ―ニャが姿を消すと、ヴィスタは深く息を一つ吐いて兵士らを下がらせた。ヨハンは無言のままエリィに近づくと、足元に落ちている包みを拾ってエリィに持たせる。


「お父様、申し訳ありませんでした」


 エリィが俯きがちにそう謝ると、ヨハンはエリィの頭をポンと軽く叩くように手を置いてから優しく撫でる。


「確かにドリエン公爵に喧嘩を売るなど、いささか度を越えたはねっ返りぷりだったな」

「はい。……ごめんなさい」

「体の方はどうだ?発作の方は大丈夫だったようだな。打たれた頬は多少痛むだろうが、他に怪我をしたところは――無いようだな」

「はい、特にありません。あったとしても自業自得ですし……」


 そう言ってエリィが眉尻を下げれば、ヨハンはその鉄面皮を外す様に、目を細めて柔らかく笑った。


「そうだな。だが、良くやった」

「え……?」

「夜会の話も聞き及んでいる。血が繋がっていないというのに、恐ろしい程お前の気性はディレスタの気性(ソレ)に酷似しているな。流石、私の娘だ」

「おい、ヨハン。褒める所ではないだろう? 大きな怪我をしてからでは遅いんだ」


 話が変な方向にズレかけていたのを、ヴィスタが抗議の声を上げてなんとか戻そうとする。エリィ自身もてっきりヨハンに説教されると思っていたので困惑気味だ。


「ああ、それはもちろん。……エリィ? 次に同じことがあった時は、必ず避けた上で当たったふりをしなさい」

「へ?」

「は?」


 真面目な顔で諭すように言うヨハンに、エリィは口をポカンと開けたまま妙な返事をする。ヴィスタもヨハンの合図地に頷きかけながらも、その語られた内容に目を見開いて驚愕している。


「えっと、お父様……?」

「ん?」

「おっしゃる意味がよく分からないのですが……」


 頭の上にはてなマークが出そうなぐらい混乱した頭で問えば、ヨハンはしたり顔で頷く。訳も分からず、ヴィスタに視線を送れば、彼もさっぱりわからないという顔をしていた。


「兵士の前で、無抵抗の貴族令嬢へ一方的に暴力を振うなど、とても楽しいではないか。そういう機会があるならどんどんやりなさい。その代わり、当たっては駄目だ。怪我をしてしまうからな」

「た、楽しくはありませんが?」

「そうか? 自分自身が下衆であると衆目の前で証明してみせるとは、ドリエン公爵もなかなか思い切ったことをするなと、充分楽しめたぞ。思わず床の上に転がって笑いそうな位にはな」

「そんなに笑うような事では……。それに、私はドリエン公爵に頭を下げてしまいましたので、悪いのは私だと皆さん思うと思います。そのせいでお父様まで侮辱されたまま――」

「そうかな」


 ヨハンをバカにされたというのに、対して反撃もせず、エリィは心にもない謝罪を述べて頭を下げた。その行為はヨハンへの侮辱を肯定したことにも捉えられかねない。だというのに、ヨハンの瞳は機嫌がよさそうに輝いている。


「ヨハン、私は危ない事を勧めろなど一言も言ってないぞ」

「殿下。いい働きをした娘を褒めないなど、父親としてはありえませんが」

「普通は心配して、危険なことを二度とせぬように叱るものだろうが」

「心配はもちろんします。ですから次からは当たらないようにと――」

「お前とリズを一緒にするな。リズは普通の娘だぞ。お前の思考などについていけるか。普通に注意しろ。普通に」

「なるほど」


ヴィスタの抗議に、ヨハンは納得した様に一つ頷いた。そしてエリィの肩に手を置くと、視線を合わせるようにしてヨハンはその顔を覗き込んだ。


「謝るときは涙を目に溜めながら悲しそうに、そして謝らせた相手だけに一瞬だけ笑ってみせなさい。これぐらいはやって見せないとだめだ。いいね?」

「違うだろうが!」


 予想の斜め上を行くヨハンの注意に、ヴィスタは間髪入れずにツッコむ。屋敷では見たこともない程のすっ呆け加減のヨハンに、エリィも戸惑った様に苦笑いをしてみせた。


「いいかい、エリィ。お前は謝らなければならなくて謝ったわけではない。謝る必要が無いのに謝ったのだよ」

「でも、そうしなければ大事になってしまいます」

「そう、大事になって困るのは我が侯爵家ではなくドリエン公爵家だ。殿下のご不興を買ったわけだからな」

「……私が煽らなければ揉めませんでしたわ」

「そこはどうでもいいのだよ。問題は結果だ。結果、エリィはドリエン公爵の窮地を救ってやった」

「そんな大げさな」

「いいや。きっとドリエン公爵は今頃こう思っているだろうよ。糞生意気で青二才の宰相の娘に借りを作ってしまった(・・・・・・・・・・)、とね」


 瞳にはあからさまに喜色を浮かべ、ニヤリと口の端を上げて見せるヨハンは、その表情とは裏腹にゾクリと背中に何かを感じさせた。それでも、ゆっくりと頭を撫でるその手は酷く優しく感じる。


「まぁ取りあえず、頬は冷やした方が良いだろう。一旦私の執務室に――」

「エリィ!」


 城内にしては些か慌ただしすぎる足音をたてて近づいてくる気配が二つあった。その内の一つは近づいてくると、ヨハンの言葉が終わらぬうちにすぐにエリィに向かって声を上げる。その声に振り向けば、そこには酷く心配げな表情をしたヨシュアと、焦り顔のノエルが居た。


「あら、ヨシュア。ノエルも2人してどこかに出かけてると思ったら城に来ていたのね」


 エリィがそう声を掛けると、ヨシュアは途端に怒ったような表情をしてツカツカとエリィに歩み寄った。その反面、ノエルはどこかホッとしたような顔をしている。


「来ていたのね、じゃないだろ。怪我は?」

「あれ? もしかして見られてた?」


 意外そうな顔でエリィが返せば、それに応えたのは眉尻を少しだけ下げて苦笑を浮かべているノエルだった。


「俺たちは王妃様にご招待いただいて歓談中でね。ほら、丁度ここから見えるあのテラスでお茶を頂いていたんだ」


 ノエルは渡り廊下のひさしの合間から、北方向を少しだけ振り返る様にして城の3階のテラスを指さした。そちらを見上げれば、ヴィスタの母である王妃がこちらを見下ろしながら小さく手を振っているのが見える。ヴィスタはそれに気づくと、王妃に向かって軽く手を上げて見せた。


「そうしたらエリィを見かけて。で、ヨシュアが王妃様に席を辞するお願いをしていたら……アニ―ニャとなにか話し始めただろう?不安になって俺も王妃様に席を辞する旨を話していたら公爵がやってきて。話がまとまるのかと思ったら突然エリィを……だから、ヨシュアと2人で慌てて出てきたんだ」


 一足遅かったみたいだけど、とノエルは気まずそうに笑った。


――なんというご都合主義。これがヒロイン補正なのかしら


 目の前にいるヨハンを筆頭にしたヴィスタ、ノエル、ヨシュアを見てエリィは苦笑いを浮かべる。エリィがピンチになった途端、まるで示し合わせたかのように近くにいる攻略対象のヴィスタ、ヨシュアがその現場を発見した。おまけに義父のヨハンや王妃までこの現場を見ている。ノエルだけは偶然であろうが、それを省いたとしても王妃・王子・宰相とこの国の中枢の人物の目の前で、不運にもドリエン公爵はエリィに手を上げた。これではドリエン公爵は言い逃れがまるっきりできなくなる。

 エリィの運が良すぎるのか、ドリエン公爵の運が悪すぎるのかは定かではないが、流石にこの状況ではドリエン公爵が少し不憫に感じるぐらいだった。


「エリィ、早く帰って手当てをしてもらおう」


 そう言って、都合の良すぎる事の展開に半ば呆れながら突っ立っていたエリィの手を、ヨシュアは些か強引に引く。その突然の行動にエリィは思わずバランスを崩してふらつき、たたらを踏んだ。それを慌てて横から抱きとめる様にしてノエルが支える。そんなノエルをヨシュアは一瞬だけジロリと睨み、すぐにバツが悪そうに視線を外した。


 その様子に違和感を感じて、エリィがよくよく様子を窺えば、平然としているヨハンや心配げなヴィスタとノエルとは違って、ヨシュアは半ば怒った様な表情を崩さない。その上、今すぐにでもこの場から去りたいと言った雰囲気を隠そうともしていなかった。


「ヨシュア?」

「エリィ、行こう」


 再び強く手首を引かれて、エリィはつんのめる様にして2,3歩踏み出した。しかしそこで、ヨシュアの意思に反するように腰を少し落として、エリィは自分の手を少し引き戻す様にしながら足を踏ん張る。


「挨拶も無しに立ち去るなんて不敬よ? それに、私は殿下に会いに来たの」

「……明日出直せばいい。今日は駄目だ」

「何言ってるのよ。頬だって、これぐらいたいしたことないわ」


 まるで綱引きの様にお互い踏ん張って腕を引きあっていると、呆れたようなため息の後に小さい咳払いが響く。


「ヨシュア、殿下方の御前だ。少し控えなさい」


 ヨハンが静かにそう言うと、ヨシュアは強い瞳で見返したまま押し黙り、エリィの手を引くのを止めた。しかし、相変わらずそこから移動するのは許さないと言った面持ちでエリィの手首をつかんだままだ。


「ヨシュア、離してちょうだい」


 ヨハンの言葉に続くようにしてエリィも言うが、ヨシュアはその手を離そうとはしない。エリィには不可解な表情のまま、ヨシュアは視線を誰とも合そうとしないで渡り廊下横の植え込みの方へ投げている。


「ヨシュア、エリィが困ってる」


 苦笑しながらノエルがそう言えば、ヨシュアは一瞬だけ目を閉じて眉根を寄せたあと、どうしていいかわからない様な、まるで助けを求めるかのような、どこか所在無げな困り果てた視線をノエルに向けた。ノエルはそんなヨシュアの視線を受けると、相変わらず眉尻を少し下げた苦笑いを浮かべつつ小さく頷く。そうすればヨシュアはのろのろとエリィから手を外した。


「エリィ、俺も今日は帰った方が良いと思うよ。ヨシュアも心配してる」


 ノエルは数歩近づくと、まるで励ますかのようにヨシュアの肩をポンと一つ叩いた。そうすればヨシュアは耐えがたいように唇をきつく結び、俯いて、再び視線を植え込みの方へと投げる。


「残念だが、私はリズと約束をしている。帰宅も薬師局もヨハンの執務室も無しだ。手当は私の方で責任もとう。良いですか、ノエル殿?」

「……ああ、そうだね」

「では、私もそれに従いましょう」


 少しだけ困った様な表情を浮かべたままノエルは頷き、ヨハンもそれに倣って一礼をする。ただ、ヨシュアだけは顔を上げ、ヴィスタを睨むようにしてエリィのすぐ側に立ったままだった。


「不服そうだな、ヨシュア」

「……不服です」

「安心しろ、きちんと手当はするし、帰りもちゃんと送らせるぞ」


 機嫌が最悪なヨシュアと、まるで空気を読んでいない様な調子で笑顔を浮かべるヴィスタを、エリィは戸惑った様に交互に見た。いや、この場合は空気を読んでいない様な調子(・・)、ではなく、あえて空気を読まない振りのヴィスタと表現した方が良いだろう。


 それでも、ヴィスタと約束しているのは事実だし、エリィの方から面会を求めたのだ。いくらドリエン公爵とのことがあったからと言って、もう済んでしまった事だし、エリィには帰るつもりはさらさらなかった。


「ヨシュア、心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ?」


 ヴィスタの言葉尻に乗っかる様にエリィが念を押せば、ヨシュアは何故だかどこかで見た事あるような、エリィが酷く不安になるような、そんな悲しそうな顔をした。そのヨシュアの表情の既視感に、エリィは心がざわつくのを感じた。一体どこでそんな表情を見たというのだろう。表面では澄ました顔でいながらも、それが心に引っかかって、なかなか釈然としない。それでも、ぎこちなくエリィが笑ってみせれば、ヨシュアは渋々と言った様子でエリィから視線を外して一歩遠ざかった。


「……エリィ、僕はここで待ってるから。帰りは一緒に帰ろう」


 そう言ってヨシュアは酷く辛そうな表情のまま、エリィに微笑みかけたのだった。




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