40. あなたがわたしにくれたもの。
今日は2月26日。
段々とヴィスタが死ぬ日まで残り少ない事を実感させられて、エリィは考え込む様に鏡台の前に座ったまま、ぼーっと鏡の中の自分を見ていた。その後ろではケイトが光の加減でピンクがかって見えるエリィの綺麗な金髪を一生懸命梳っている。
すべてが決まる3月2日。その日を無事に越えなければ、恐らくエリィに3月4日はやってこないのだろう。エリィに3月4日以降が未だにやってこないのがその証拠のように思われる。それは3月2日を無事に、ヴィスタの死亡を阻止できなければ、3月4日がエリィの死ぬ日と決まっているからで、その先の未来が無いとも考えられる。そう考えると不安が胸を占め、どうしてよいかわからない気分にさせられた。
だが仮に成功しようが、どう転んでも、最終的にエリィは6月22日に死んでしまう。それが多少早いか遅いかの違いなのだから、と無理やり思い込めば、失敗できないという緊張感が多少薄れるような気がしないでもない。その時はヴィスタも死ぬわけだから、一人で死ぬよりは寂しくないかもね、などと自嘲気味にエリィはこっそり笑ってみた。
エリィにとっての昨日、2月23日。ノエルはエリィがヒロインのこの世界での協力を承諾してくれた。エリィの気持ちを汲み、その心に添う事を快諾したのだ。だというのに、エリィは彼にヴィスタの未来について未だ黙ったままだ。
そんな大事なことをノエルには隠しているというのに、それ以外の部分では自分に付き合って振り回されてくれと勝手な願いを彼にしてしまった事は、エリィにとってほんの少し罪悪感を感じさせる物になっていた。だから昨日の夜、ノエルに話したいとエリィはティティーに言った。だが、そんなエリィにティティーは言う。
――僕はノエルのサポート役だから、ノエルは大好きだよ。でも、世界の理を知ってるから理から外れているノエルが怖い。彼の行動が何を狂わせるかわからない。
大好きなのに怖いというのはどういう気持ちなのだろう、と鏡の中の自分を見つめながらエリィは考える。この世界のバグである男性のノエルが引き起こす新たなバグをティティーは怖がっている。エリィが時間の流れを正常におくることが出来ないのも、ティティーはノエルが絡んでいると思っている様だった。
「お嬢様、今日はどのように結いますか?」
「任せるわ」
鏡越しのエリィの顔を覗き込んだケイトにゆるく笑ってみせれば、彼女もはいと微笑んで再び髪に視線を戻す。その彼女の手元を何となく見つめながら、胸にふと湧いたむずむずとした何となく不安な気持ちに集中してみる。
――ノエルにイベントの妨害をしてもらえるように頼んだことは果たして正しかったのだろうか。
ティティーはエリィがノエルと必要以上に接触するのを余り良しとしていないように思える。確かにエリィの時間逃れは普通とは違ってしまっている。が、それ以外の部分では特に大した問題が起きていないように思えた。この時間の流れについても、最近ではヴィスタが死んでしまうという未来ありきで起こっているような現象である気がする。それならば、ティティーの主張はノエルが男だからヴィスタが死んでしまったという、とても乱暴な答えに行きつくのではないだろうか。
「ないない」
ボソリと呟いてエリィは笑った。ノエルが男だからヴィスタが死んでしまったなど、極論も良い所ではないか、と。たとえバタフライ効果だとティティーが主張したって、その因果関係がどうやって証明できるのかも甚だ疑問だった。
「お気に召しませんか?」
鏡の中に不安そうなケイトの瞳を見つけて、エリィは慌てて首を横に振った。
「ああ、違うのよ。勘違いさせてしまったわ。思い出し笑いをしてしまって」
そう言えば、ケイトはホッとした様に笑みを浮かべる。
ヴィスタの死はバグによるものと考えるのは明らかにおかしい気がするのだ。そこにはなんらかの明確な意思をエリィは感じる。狙われているのがヴィスタであろうが、ディレスタであろうが、ノエルであろうが。その殺意はバグではなく誰かの意思である事は疑いようもないとエリィは思った。
「そう言えば、お嬢様」
「ん?」
ぼんやりと考えに耽っていた頭を振り払うようにケイトへと視線を移せば、ケイトは器用にエリィの髪を編み込みながら楽しそうに笑っている。
「そろそろお食べになって、お礼のお手紙を差し上げたらどうでしょうか?」
「……なにを?」
キョトンとした顔で首を傾げれば、ケイトは苦笑いを浮かべた。
「1カ月ぐらい前に、殿下から頂いたお菓子。ずっとそこに放置されたままですけれど……流石にお可哀想になりまして」
言われてみて初めてエリィはヴィスタに貰ったキャンディーの存在を思い出した。鏡台の端に置きっぱなしの花の形を模した小さな包み。もはやオブジェと言うか、部屋のインテリアの一部となって気に掛けることも無くなっていた。
――そういえば、ヴィスタが死んだと言われて嘆いてた日もここに置いてあったような気が……
貰ったのはノエルが来る前、ノエルの部屋の改装をする前だ。相当前になる。流石のエリィも、確かにこのままでは不味いのかもしれないと頷いた。
ピンクの包みに、リボンが可愛らしく添えられ、包みの口はまるで花のように大きく広がっているそれを引き寄せると、エリィはリボンを軽く引いた。
リボンをすっかり取ってしまうと、花の様だった包みの口はふんわりと解けるように鏡台の上に広がった。中にはいっていた親指大程のキャンディがその包み紙の上に広がる様に転がる。そのうちの一つを手に取り、キャンディの包みを開けた。
人差し指と親指で軽くはさんで持ち上げてみれば、そのキャンディは少しだけオレンジがかった不透明な赤い綺麗な色をしていた。一緒に練り込まれている緑色の小さな粒はなにかの香料だろうか。
そのままエリィはキャンディを口に放り込んだ。そして舌の上で転がして――エリィは硬直した。
「お嬢様?」
「……ケイト、急いで水を持ってきてもらえるかしら?」
「もしかして、傷んでたりとかしました?」
「ううん、普通に不味いの。ほんと、もう……お水、お願い」
弾かれるようにパタパタとケイトが部屋を出ていくのを確認すると、エリィは急いでキャンディを元の包み紙の上に吐き出して、丸めてくず入れに捨てた。
――リズの好きな味を選んだ
確かヴィスタはそう言っていたはずだ。半分涙目になりながらハンカチで唇を強く拭う。あの時エリィがすぐにこのキャンディーを食べていたのなら、ヴィスタの事を呆れて常識知らずと馬鹿にしていたかもしれない。だが、今のエリィは違う。
――からかったわね……!
オレンジがかった赤いキャンディ。てっきりイチゴとかオレンジとかマンゴーとか。そう言った類のフルーツのキャンディーだとエリィは思っていたのだ。しかし、まるっきり予想外だった。
緑の粒が混じってるのも当たり前だ。あれは、パセリである。そしてこのキャンディーの味の正体は……トマトスープもどきだ。トマトとコンソメの味が主張しすぎていて、それに何故か――いや、キャンディならば当然だろうが――後味は滅茶苦茶甘い。
「お嬢様、お水!お水!」
ケイトがコップをトレーに乗せてパタパタと戻って来た。それをエリィは急いで受け取ると、多少行儀は悪いが、多めに口に含んで飲む。
「そんな酷いお味だったんですか?」
「酷いとか言うレベルじゃないわ……後味が砂糖なトマトスープキャンディよ」
「それは……申し訳ありません」
それを聞くとケイトも何と言っていいかわからない様な苦笑いを浮かべて頭を下げた。食べろと勧めたことを謝っているのだ。
だが、元をただせばヴィスタが変な物を贈ったのが悪いのであって、ケイトはごくごく一般的な常識として、貰った物にお礼をしたらどうですかと言う提案をしたに過ぎない。ケイトだってまさかこのキャンディが普通の味でないなど想像すらしていなかっただろう。
「ケイトのせいではないわ。こんな物を贈ってくる方が悪いの。文句の一つでも言ってやらないと気が済まないわ」
「でも、お嬢様。殿下も悪気は無かったと思いますよ。それに、文句と言っても今更感がありますし」
思わずエリィは小さな声で「それな」と呟く。あの一筋縄でいかなそうな今のヴィスタであれば、文句を言ったところで1カ月以上も放置していたエリィの不誠実さを逆手に取られるのではないかという一抹の不安があった。あまつさえ、あげた時に食べていれば美味しかったのに、などと今更証明しようがないイチャモンをつけられかねない。
「文句は諦めるわ。そのかわり、お礼の手紙も無しね」
「よろしいんですか?」
「お礼を催促はしないでしょう?仮に催促して来たら、もういいましたわよ?ってすっとぼけるわ」
「お嬢様はほんと、殿下にはお厳しいですわね。セシル様には甘々ですのに」
「殿下とは違って、お兄さまの事は大好きですもの」
サラリと言ったつもりが、その言葉が口から出れば胸にチクリと痛みが走る。その痛みと共に胸に何か詰まった様な感覚を覚え、エリィは眉を少しひそめながら、それを押し流すために再びコップの水を飲んだ。
ともすればネガティブに陥ってしまいそうな思考を必死で水で押し流し、エリィはその痛みと考えを振り払うように小さく頭を振った。
「それでしたらお嬢様。美味しいお菓子には美味しいお菓子でお礼をしたらいかがでしょうか」
「……あら、良い事言うわね」
「宜しければ料理長を呼んできますわ」
「そうね。その間に私は急いで手紙を書くから、戻り次第お城に届けてくれる?」
ケイトとエリィは2人で顔を合わせてくすくすと笑う。ケイトはちょっとした悪戯のつもり。だがエリィは本気で仕返しをするつもりだ。
ケイトが軽く一礼してエリィから離れ、厨房へと料理長を呼びに行っている間に、急いで手紙をしたためる。まだ朝だから、今から用意すれば午後には城へと行けるはずだ。手紙にはモノに会いたいので伺ってもよろしいですか、と当たり障りのない無いようにしておく。お菓子を持って行きますなんて書いたら、警戒されるのはわかりきっている。あくまでもモノに会いに行くついでに、家から持たされたお菓子ですという体裁を作るのだ。
胸の痛みは無かったことにして、ヴィスタに仕返しついでにモノに会いに行って癒されよう。エリィはそう気持ちを切り替えたのだった。




