39. 親友
――なんて聞けばいいだろう。
まず最初にエリィが考えたのはそれだった。ノエルは生まれる前の記憶があると言っていた筈だ。そうであるならば、エリィと同じで、エリィが知りたいことを知らない可能性もあった。だが、病院で生涯を終えたエリィとは違って、ノエルにはエリィが持っていない情報を持っているとも考えられる。それに、ノエルにはゲームの内容をよく知るサポートキャラ・ティティーが居る。となれば、少なくともエリィよりは情報量が多いという事になる。
結論から言えば、とりあえず聞けよ、ってな事になるわけなのだが、何となく気恥ずかしい気持ちもあってエリィはつい口ごもってしまった。
「それで、何が聞きたい?」
「えっと、その……。この世界のヒロインがノエルじゃなくなってしまったんだよね?」
「そうだよ、俺は男だし。ヒロインはエリィ、君だね」
「それで、なんだけど。ノエルがヒロインの時と、恋愛過程で起こる事って言うか、イベントって一緒ってことでいいのかな?」
そこまで聞くと、ノエルはスッと目を細めて、エリィの心情を探るような、訝しむような目つきで見た。その目つきは、この世界のヒロインはエリィだと告げたティティーの物にそっくりで、エリィはなんとも言えない居心地の悪さを感じて、眉尻を下げながら戸惑った様に愛想笑いをしてみせる。
「ど、どうしたの?」
「生まれる前の記憶がある筈のになんでそれを知らないのかな、と思って」
その言葉に、このエリィがヒロインの世界の事はそれなりに有名であるのかもしれないと思った。だが、基本病院内で過ごしたエリィは外の情報には著しく疎かったと言っても過言ではないだろう。たまに母親にせがんで買ってもらったゲーム情報誌ぐらいでしか、エリィは情報を仕入れることが出来ないのだから、さもありなんと言ったところだろう。
「ごめんね。私、ノエルがヒロインの世界の事しか知らないの。だから教えて欲しくて」
「そうか……うん、いいよ。教えられる事なら教える。で、なんだっけ。イベント?」
「そう!お茶会イベントとか、お兄さまの膝枕イベントとか!」
「ああ、そう言う奴か」
ノエルは一人で納得したと言った面持ちでうんうんと頷いた。そしてチョコレートを一つ口に頬張ると、「ん~」と小さく考え込むように唸った。
「ダメかな?ノエルと私じゃ立場が結構違うし、私はあまり外とか出ないから、外で起こるイベントとかどうなるか知っておきたくて」
「それを知ってどうしたい?もしかして誰かを計画的に落としたいとかって言う事?」
エリィの心情を探るような、探るような目つきでノエルが聞く。そんな視線にエリィはなんとも居心地の悪い感じを受けて、眉尻を下げながら苦笑する。普通に考えれば、ヒロインが攻略を放棄するなんて言うのはまずあり得ないのだろう。だからこそノエルはストレートに真意を聞いてきているのだろうという事はエリィにも理解できた。
「ううん。違うよ」
「俺は別にエリィがそう思ってても構わないけど」
「違うの。逆よ、逆。誰のルートにも入りたくないから、イベントを回避したいわ」
「ふむ」
エリィの言葉を聞いて、ノエルは少しだけ口を尖らせるようにして眉間に皺をよせ、腕を組んだ。
「回避か……そうだなぁ。俺の時と同じのもあれば、もちろん違うのもあるよ。今の段階で気を付けるとしたら、明日の夜会でフィリオ―ルと踊らない事。これ守ればまずフィリオ―ルのルートは潰れると言ってもいいね。後はヨシュアとヴィスタ殿下の事で喧嘩をしないとか、部屋のソファーでうたた寝をしないとか……こんな感じの話をすればいいんだよね?」
一つ一つ思い出す様にノエルは顎に手を当てながら言う。対してエリィは最初のフィリオ―ルの話では真面目に小さく頷いたものの、その後に続く言葉を聞いて表情を曇らせた。すでに過去となってしまっている未来で、エリィはフィリオ―ルと夜会では踊っていない。そんな話にもなっていないのだから当然だろう。だが、あとの2つについてはこなしてしまっている事は明らかだった。
「そ、そう……」
頭を抱えたくなるような思いを何とか堪えて苦笑いを浮かべると、ノエルは不思議そうな顔をしてエリィを見て首を傾げた。
「うっかりやってしまいそうで怖いわね」
「まぁ、ここの兄弟絡みの出来事はスルーしづらいのが多いよね。でも、エリィがそのつもりなら、決定的な出来事とかそう言うのは俺が妨害してもいいよ?エリィが知らないのなら、知ってる俺の方が動きやすいと思うし」
「本当に?」
思わず渡りに船、藁にもすがると言った勢いでエリィはノエルの提案にくいついた。その食いつきの良さに、ノエルは驚いて思わず少し身を引いたほどだ。
「ノエルには悪いとは思うけど、そうしてくれるととても助かるの。私、誰とも恋愛をしたくない。みんなの人生を振り回したくないわ」
エリィが一気にそう言うと、ノエルは真面目な顔をして一瞬押し黙った後、わかった、と短く返事をした。エリィの言葉の言外に”だって死んでしまうから”という言葉を読み取り、ノエルは少しだけ不機嫌そうに眉をしかめる。普段は概ねニコニコしているノエルの、その珍しい表情にエリィは戸惑い、どうしたものかと思案しながらノエルを窺い見た。
「の、ノエル?何か怒ってる?」
「……いや、ちょっと葛藤中」
「え?」
不満そうな声で答えたノエルの表情をエリィが再び見れば、彼は何かを考え込むような、それでいて少し拗ねたようなそんな表情をしていた。眉はひそめたまま、心なしか唇はへの字になっているようなそんな微妙な表情だ。
「エリィ」
「うん?」
「一つ約束してくれるかな」
相変わらず不機嫌そうな表情のままノエルは口を開く。その声音は表情からは想像もできない程真剣そのものだった。
「俺の前で”死んでしまうから”って言わないで欲しい。直接的にも、間接的にも」
「でも……嘘は言ってないわ」
「そうだよ。嘘じゃない。それを俺は知ってる」
「うん」
「他の奴らはいくら言われたって希望的観測に縋る。でも俺は違う。それが事実である事を知ってるんだ。俺はエリィが死ぬのを見てきたから」
「……うん」
「望まない未来の現実を知っている俺に、何度も現実を突きつけないで欲しい。だって俺には”きっとどうにかなる”なんて希望的観測を持ちようがない」
「……ごめん、なさい」
ノエルの言葉に乗せられた行き場のない悲しみの感情に気が付いて、エリィは申し訳ないような気持ちになって目を少し伏せた。
彼は知っているのだ。エリィが死ぬ未来はすぐそこまでやってきていて、それは確定されている事を。だからノエルは気休めの言葉を言わない。その気休めの言葉が、エリィを逆に傷つけることをノエルは知っているからだ。未来への希望を持ちたいのに、持てない現実とのジレンマに、エリィが持った言いようのない、叫びたくなるような、心の奥底に隠した慟哭を彼も知っているのだ。
「エリィ、俺は怒ってないよ。謝らなくていい」
フッと表情を和らげると、ノエルはエリィを安心させるようにその方をポンと軽く叩いた。そして情けない表情で顔を上げたエリィにいつも通りのニコニコした笑顔を向けると、チョコレートを再び一つとってエリィの口元へ運んだ。
「ほら、食べて。約束してくれるだけでいい。破ったっていいんだ。だってエリィが一番つらいのを俺は知ってる。これは俺のただの我が儘だから」
「……約束する」
そう言ってチョコレートを咥えれば、ノエルは少しホッとした様に小さく「うん」と頷いた。そんなノエルの目が少し潤んでいる気がするのは、エリィの気のせいではない筈だ。
そのままノエルはもう一つチョコレートを取り出すと、自分の口に放り込んで、潤んだ瞳を誤魔化す様に目を伏せてうんうんと頷いた。そして、そのチョコレートを食べ終えると再び口を開いた。
「みんなの人生を振り回したくない、だっけ」
「……うん」
「そのみんなの中に俺は入ってないんだよな」
ポツリと呟くように言ったノエルの言葉に、エリィはハッとした様に目を少し見開いてノエルを見た。
――皆の人生を振り回したくないから協力してほしい。
エリィが頼んだのはそう言う事だ。それはつまり、みんなの為にノエルに振り回されて欲しいと言っているのと変わらなかった。そんなノエルを軽く扱うつもりで言った訳じゃないと、とっさに言い繕おうとして、その視線の先にエリィは優し気な微笑みを見つけた。ノエルはエリィのその我が儘な願いに怒るでも失望するでもなく、仕方ないなといった雰囲気で笑って見せたのだ。
「ノエルを軽く扱っているわけじゃないよ?」
「うん」
「みんなも大事だけど、ノエルも大事だからね?」
ノエルの笑顔に妙に焦りながらも、エリィは取り繕うように言葉を重ねる。そうすればノエルはプッとおかしそうに笑いだした。
「俺は振り回してもわかってもらえるって、信頼してくれてるんだろ?」
「あ、うん。そう……かな」
「そこは”だって親友でしょ?”って言うべきところだろ?」
そう言って笑ったノエルは、エリィの頬を軽くつまんで引っ張った。その柔らかな痛みにエリィもつられたように笑う。
――言わなくてもわかってくれた。
それだけの事で、何故か胸がジンとして何とも言えない感覚が目頭に淡い熱を持たせた。鼻の奥がツンとして視界がやんわりとぼやける。そのまま零れた雫に、ノエルは慌てたように立ち上がり、キョロキョロと周りを見回した。そしておもむろに自分の服の袖を引っ張ると、その袖の端でポンポンと軽く叩くようにしてその雫を拭った。
「ごめん、痛かった?」
やけにオロオロしだしたノエルの仕草に、エリィは堪えきれなくなったように笑う。そうすればノエルは少しだけ驚いた後、安心した様に柔らかく笑った。
男であろうが女であろうが、やはりノエルはノエルなんだとエリィは嬉しくなったのだ。
「ノエル、女の子の頬をつねるなんてひどいわ」
そう言って笑えば、ノエルはウインクをしてニッコリ笑って見せる。
「皆には内緒だよ?俺、モテなくなっちゃう」
軽口とお決まりのノエルの人差し指で唇を2回叩くポーズもどこか楽し気でエリィの心を軽くさせた。そうして2人で楽しそうに笑っているところへ、ノックと共にヨシュアが顔を覗かせた。
「なに二人して笑ってんのさ」
「お、ヨシュア。ヴィスタ殿下から貰って来たチョコ食べてるんだけど、一緒に食べる?」
「このチョコ美味しいわよ」
ノエルとエリィが手招きしてヨシュアを呼べば、彼は幾分嬉しそうではあったが、少しだけ眉間に皺を寄せたままエリィ達の元へと近づいた。
「チョコは食べる」
「じゃあ何でそんな変な顔してるのよ」
エリィがヨシュアに問いかければ、ヨシュアはチロリとノエルを見て小さくう~んと唸った。
「それが、ですね」
「どうかしたの?」
「ノエル殿下」
「うん?」
「……コヴォルが物凄い怒ってますが」
「……」
「部屋の外で物凄い顔で待ってますよ。呼んでくるように頼まれまして」
ノエルは笑顔を浮かべたまま、その顔色を幾分青白くさせると、助けを求める様にヨシュアを見た。そんなノエルをヨシュアは再びチロリと見て、スッと視線を反らした。そしてエリィの手元にある箱からチョコレートを取り出すと、包みを剥がして無造作に口の中に放り込む。
「汚したテーブルクロスを下げている間に逃げ出したそうで?」
「いや、ちょっと朝食が用意できるまで時間を潰そうかと……」
「僕に言い訳されても困るんですが」
うん、美味しい。とかヨシュアはチョコの味に満足気に頷きながらも、サラリとノエルを突き放す。そうすればノエルは途端に眉尻を下げた情けない顔で口元を曲げた。
「ヨシュア、コヴォルを宥めてくれ」
「また、ですか?ノエル殿下ももう少しうまくやってくれないと非常に面倒なんですけど」
「頼む、ヨシュア」
ノエルが必死に言い募ると、ヨシュアはわざとらしく大きなため息を一つ吐いた。ヨシュアはヴィスタの学友であるとともに、ノエルを侯爵家で預かっている関係で、ノエルの学友という立場も取っている。見る限りではこの2人は結構馬が合っているのではないかと感じて、エリィは小さく笑った。
ゲームの時のノエルはエリィしか友達が居なかった節がある。それが男になった今はヨシュアと良好な関係を築いているように見えて、どこかホッとしたのだ。ゲームの中ではエリィの死で苦しむノエルは、それでも人の為に、ヴィスタやフィリオ―ルと言った攻略対象の心の傷を癒すことに尽力した。彼女はそうやって人の為に自分の気持ちを押し殺すいい子だったのだ。
――願わくば、私が死んだ後、ノエルを支えてくれる友達が沢山いますように。
それをエリィは願ってやまなかった。




