35. 雷が落ちるのは外、落とすのは内
元の調子に戻ったヴィスタに安心して、エリィが再びモノの背を撫で始めた時、再び店のドアが勢いよく開き、誰かが飛び込んできた。それと同時に大きな雷鳴が轟き、エリィは思わず『ひっ』なんていう可愛らしくない短い悲鳴を上げてしゃがみ込む。すると、飛び込んできた人物も驚いた様に目を見開いて硬直した。
「何をしている、ダレン」
しゃがみ込んでしまったエリィの背にヴィスタは軽く手を当て、安心させるようにポンポンと叩きながら、店に飛び込んできた人物を彼は軽く睨んだ。ヴィスタの声にエリィが顔を上げてみれば見たことがある男がひきつった苦笑いを浮かべながらポリポリと頭をかいていた。
彼の名はダレン。ヴィスタの護衛騎士のうちの一人である。
「殿下、連絡もなしに学園を出られては困ります」
その2人の後ろからのんびり入って来て、逆にヴィスタを諫める様に厳しい表情でい言うのは、もう一人の護衛騎士イオルだった。
「ああ、お前たちもいたんだっけな」
悪びれもせずしれっと言うヴィスタに、イオルは片眉をピクリと動かしながら胃のあたりを押さえている。すっとぼけた様子のヴィスタの瞳をそっと窺い見れば、微かに喜色が現れている。昔からヴィスタはこの神経質なイオルと、とばっちり体質のダレンを振り回しているのだ。つい最近まではそれは素でやっている天然ものだと思っていたのだが、本性を知って以来、注意してみてみれば、どうみてもS気全開なのは疑いようがない。
「殿下に何かあったら、どうなるとおもってるんですか」
「うむ。お前たちの首が飛ぶのだろう?文字通りに、な」
「うううっ……」
再びすっ呆けるヴィスタの言葉に、今度はダレンが胃を押さえて前かがみになった。もう一度ヴィスタの顔を盗み見れば、やはり瞳の奥が笑っている。その余りの不憫さにエリィも同情を禁じ得ない。
「殿下、イオルの言う通りですわ。護衛も付けずに出かけては危な……」
そこまで言いかけて再び大きく響いた雷鳴にエリィは耳を塞いで、また小さく声を上げた。心臓がバクバクと激しく音を立てて胸を叩いているような気分になり、エリィはぎゅっと目を閉じる。
――だから雷は嫌なのよ。
心の中で悪態をつきながら、必死に気を反らす。エリィにとって雷はそこまで怖い物ではない。全く怖くないと言ったら嘘にはなるが、普通の女子がキャーと可愛らしく怖がるようなそう言った類の怖がり方は持ち合わせてはいなかった。だから大抵雷が鳴った時は短く息を吸い込むような悲鳴で硬直してしまうのが常だ。雷が怖い、と言うよりどちらかと言えば、突然なる大きな音と、その音に付随してくる地響きにビックリしてしまうのが嫌で、それを要因として起きてしまう発作が怖いのだ。
耳を押さえながら俯き、雷の忌々しさに舌打ちをしたくなった時、バサッと頭のからそれなりに重みのある物が被せられた。突然の重みに訝し気に顔を上げると、エリィの目の前に移動してきていたヴィスタがしゃがみ込みながら覗き込んでいる。頭の上の重みと、ほんのりとした温かさ、そして目の前にいるヴィスタの姿を見れば、エリィにも己に被せかけられている物がヴィスタのコートである事が容易に分かった。
「そうして居れば少しは音が小さく聞こえるだろう」
コートの上からポンポンとエリィの頭をヴィスタは叩く。ヴィスタにしてみればエリィに対して気を遣ったつもりなのだろうが、何故かエリィからすればヴィスタのその行動は、何となく子ども扱いされた様な、負けたような気がした。それでも、不機嫌そうに視線を少し反らしてありがとうございますと言えば、ヴィスタは一瞬だけ目を細めて面白そうに笑った。その一瞬の表情に見えた彼の本性を、エリィはチロリと一瞥した後、被っているコートの端を引き、目深にした。彼の面白がってるような視線から何となく逃れたかったのだ。
そうこうしている内に、馬を裏の小屋に繋ぎ終えたのかアレクがヨシュア、シャロムを連れ立って店に戻って来た。店に入るなり床に座り込んでいるエリィとヴィスタ、それに壁際に控えている護衛騎士を見て、ヨシュアは些か呆れたようでひきつり気味な笑顔を浮かべる。
「えっと、エリィ。取りあえず、雷大丈夫?」
何から先に聞こうかと数秒悩んで、ヨシュアは取りあえず座り込んでいるエリィに声を掛けた。護衛騎士のダレンとイオルは侯爵令息であるヨシュアを見て、黙ったまま深く頭を下げる。
「大丈夫、じゃない」
「まぁ、だよね。だから僕も急いで買い物済ませて戻って来たんだ。雨が降るのは予想してたけど雷まで鳴るとは思わなかったな」
「うん。もう用事済んだし、帰りたいわ」
「ああ、そうだね。っと……え~っと、殿下?」
ヨシュアはエリィの側まで歩み寄り、程近くにしゃがみ込むと、彼女の側に同じく座り込んでいるヴィスタへと顔を向けた。
「なんだ?」
「聞きたいことは色々ありますが、取りあえず、ですね」
「うん?」
「すぐ学園に戻っていただけますか?ええ、今すぐに」
「今日はこのまま帰城するつもりだが」
ヴィスタがそう言うのを聞いて、ヨシュアはさっと振り返るとイオルへと視線を向けた。イオルは幾分顔を青ざめながら胃のあたりを押さえて、勢いよく頭を下げた。
「申し訳ございません!学園にも城にも連絡できておりません」
「なにやってんのさ、2人もいて。どちらかはせめてフィリオ―ル様に連絡入れるべきだったんじゃないの?何のための護衛なのかな。ただついて歩くだけならペットにだってできるよね」
「はっ、申し訳ございません!」
「まぁ、ヨシュア。そう怒るんじゃない。2人とも反省しているじゃないか」
その元凶の癖に何を言う、と言った感じでヨシュアはヴィスタをギロリと睨む。ヨシュアが苛立つのも無理は無い。ヨシュアとフィリオ―ルは立場上ご学友なのだ。護衛等多く付けることが不可能な学園での出来事は主に少数の護衛とご学友が王太子であるヴィスタの側近として色々と動くことが多い。つまりは、学園内で起きたことの責任も彼らに掛かるのだ。エリィの事もあって、ヨシュアは大目に見られている部分がかなりあるとはいえ、目の前で起こっている事を放置するわけにもいかない。
「殿下はお静かになさっていていただけますか?」
「ヨシュア様、申し訳ございません。すぐにでもフィリオ―ル様にご報告に――」
「で、その前に殿下の馬車は?」
「え、えっと、殿下は馬にて飛び出されましたので、私どもも馬で――」
「この雨の中、馬で帰す訳?まさかね。まさか、ここに2人で突っ立ったまま、馬車の手配もしてないとか言う訳じゃないよね」
「「誠に申し訳ございません!」」
ダレンもイオルも顔面蒼白と言った面持ちで、何故か2人とも胃の辺りを押さえながら腰を90度に折り曲げて頭を下げている。彼らはヴィスタの護衛騎士であるはずなのに、何故かヨシュアにちくちくと怒られている様がエリィは不憫でならなかった。
「ヨシュア、イオル達は殿下の護衛なのだし、少し口を出し過ぎじゃないかしら?彼らの手落ちは私たちが助けてあげればいいだけじゃない」
「は?助ける?」
やんわりと嗜めるようにヨシュアの袖を引きながらエリィが言えば、彼は眉間に皺を寄せたままエリィを見た。その顔は信じられないと言った面持ちだ。
「エ、エイリーズ様!良いのです。叱責は当然の事であります!」
ダレンが慌てて声を上げれば、それに反応するように、再びヨシュアは2人をギリリと音が出そうな勢いで睨んだ。
「聞き間違いかな。僕、お前達にエリィを名前で呼ぶことを許したっけ」
「「誠に申し訳ございません!」」
「ヨシュアったら。それぐらい別にいいじゃな――ひっ」
再び轟いた雷鳴に頭を抱え込んでエリィが縮こまると、ヨシュアはため息を一つ吐いてシャロムの方を振り返った。
「シャロム、御者にすぐに出れるように扉の前に馬車を付けなおすよう言ってくれ。屋敷にエリィを送ってから、殿下を城までお連れしよう」
「承知いたしました」
ヨシュアの指示に従い、シャロムは直ぐに扉から出ていく。とは言っても、窓からは見えるほどの距離に控えている馬車が見えているので、容易にはさほど時間はかからないだろうと思われた。
「殿下、先に屋敷に寄らせていただきますし、通学用ですので狭い馬車ですが、同乗という事でよろしいですか?」
「ああ、もちろん。リズは早く家に帰した方がいいだろうしな」
「では、そのようにさせて頂きます。……ダレン、お前は殿下の馬を連れて学園へ行き、フィリオ―ル様にご報告を。イオルは先に城に戻り、事の次第を王妃様にご報告差し上げろ」
「まて。母上に報告する必要はな――」
「殿下の出欠席に関わる変更を報告するのは任務ですので!」
ヴィスタの言葉に被せる様にイオルが言う。その言葉に同意するようにヨシュアが頷けば、ヴィスタはがっくりと肩を落とした。
そうこう話している内に、シャロムが馬車の用意を済ませ店に戻って来た。それを確認するとイオルとダレンはヴィスタ達に丁寧に一礼をして雨の中に飛び出していく。強く振りつける雨の中行かせるのは不憫ではあったが、任務と言うのならば仕方が無い。
ヨシュアはビクビクとして及び腰になっているエリィをさっと抱え上げると、ヴィスタにも立ち上がる様に促した。言われるまま、膝の上で可愛がっていたモノを腕に抱え上げると、ヴィスタもヨシュアの後に続く。
「アレク、世話になったね。代金は後で届けさせるよ」
「またおいでくだされ。話し相手にも困っておるぐらいですからの」
ヨシュアがエリィの代わりに短く礼を言い、エリィがそれに便乗する形でひきつった笑いを浮かべて失礼するわねと言えば、ニコニコと人のよさそうな笑みを浮かべてアレクは答えた。そして何かに気付いた様に少しお待ち下されと言い、棚を何やらごそごそと可愛らしい耳当てを取り出して来た。
「お嬢様にこれを。防寒用じゃが、これを当てれば雷の騒がしさも紛れるじゃろうて」
アレクが差し出す耳当てをエリィは受け取り、そのまま軽く耳に当てる。耳当ての周りがほんのり暖かいのは、これも魔道具であるという事なのだろう。防寒用と言っていたことから、保温機能があることが言わずとも知れた。
「アレク、ありがとう。おいくらかしら?」
「いいんですじゃ。本当はミレイユに作ったのですが、可愛すぎると突き返されましての。お嬢様ならお似合いですじゃ」
「でも、何かお礼がしたいわ。なんだか悪いもの」
「気になさらんで下さい。また機会があれば、話し相手になっていただけるだけで十分ですじゃ」
「……ありがとう」
もう一度お礼を言ってエリィが笑顔を見せれば、アレクも同じように目を細めて笑ったのだった。




