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32. もふもふしいモノ。

長かったので31話・32話の2話に分けて更新しています。

最新話からお越しの方は31話よりお読みください。

今回は日常回ですのであまり問題は無いかと思われます。




 1階に降りてエントランスへ向かう途中の中庭まで差し掛かると、くらくらしていた頭が大分すっきりとなり、エリィは小さく息を吐いた。


「大分顔色が良くなったな」


 ヨシュアと変わってエリィの隣を歩くヴィスタは、心もち彼女の顔を覗き込むようにして言った。一見さわやかな笑顔ではあるが、彼本来の意地悪そうな笑顔を知っているからこそ、なんとなく胡散臭く感じて、エリィは軽く眉をひそめる。


「随分と機嫌は悪そうだが」

「気のせいですわ」

「機嫌を直せ。何か望みがあるなら言ってみるといい。リズの願いなら何でも叶えてやるぞ」

「は?」


 エリィは思わずそう言ってヴィスタを睨んでしまった。嘘つきと罵らないだけでも我慢した方だとエリィは唇を真一文字に結ぶ。エリィを困らせた昨日のヴィスタとは違うと分かっているのに、どうしても腹が立つのは、やはり同じ顔がそこにあるからとしか言いようがない。


「私が何かしたか?」

「……いいえ、今のところは」

「虫の居所が悪いのか」

「そう言う事にして、放っておいていただけると助かりますわ」

「あ」


 プイっとそっぽを向いたエリィの肩越しに何かを見つけたように、ヴィスタは短い声を上げた。その声に気を取られてエリィがヴィスタの見る方、中庭へと視線を移すと、植え込みの手前に小さな白い子猫がガラス玉の様な目でジッとエリィ達を見ていた。


「猫、リズは好きだったよな」

「え、ええ」


 さっきまでムカムカしていたのが嘘のように、ささくれだった心さえ雲散霧消していた。自然と口元が緩み、エリィはその場にしゃがみ込んで手のひらを前に差し出し、指を上に向けてチョイチョイと曲げ、子猫の気を引く。


「猫ちゃ~ん、おいで~おいで~」


 エリィが文字通り猫なで声で声を掛けるも、子猫は警戒しているのかなかなか近づいてこない。相変わらず窺う様なきらりと光る瞳でエリィ達を見たままだ。


「殿下、何か食べ物持ってませんか?」

「ん~……ないな」

「ですよねー」


 ガックリとエリィが肩を落とすとヴィスタはおかしそうにくつくつと笑い、エリィのすぐ横に並ぶようにしてしゃがみ込んだ。


「すっかり機嫌が直ったな」

「あんな可愛い猫ちゃんの前で怒ってるのもおかしいですもの」

「やはり怒ってたのか。何もした記憶は無いのだけどな」

「まぁ、そうですわね。あ、あの猫ちゃん抱かせてくれれば怒るどころか殿下に感謝しちゃいますわ」


 しゃがんだままふざけたようにエリィがそう言えば、ヴィスタは少し考える様に顎に手を当てた。そして本当だな?と念を押す様に言うと、おもむろに石畳の脇に生えている矢や茎が太く背の高い雑草を1本抜き取った。

 その雑草の茎に生えている葉を、ヴィスタは綺麗に取り払い、上の花だけ残す。その無残な形になった雑草の下の方を持ち、子猫の居る様に差し向けた。

 チッチッと舌を鳴らしながらヴィスタは子猫の注意を引き、その上部の花の部分をポンポンと地面を軽く叩くようにして弾ませる。そうすれば子猫は少しだけ目を見開いた様にその花の部分をジッと注視した。心なしか花がポンポンと地面をバウンドするたびに、子猫の顔が上下に小さく揺れているように見える。ヴィスタはそれに気づくと、今度はその雑草を右に20cmほどサッと横に動かした。それを追うようにして、ワンテンポ遅れて子猫の顔もそのまま雑草の方へと向く。それを確かめるとヴィスタはニヤリと口の端を上げて笑った。

 そのままその場所で再び雑草をポンポンと小刻みに地面でバウンドさせると、子猫は腰を引いてお尻は高く上げたまま頭を低く下げた。雑草のリズムに誘われるかのように、子猫のお尻が左右にフルフルと動いている。


「いいか、見てろ」


 小さな声でヴィスタは言うと、再び雑草をサッと左へ戻した。すると子猫は堪えきれないようにピョコピョコ飛び跳ねるようにして距離を詰めた。そのまま短い前足をバンザイでもするように大きく挙げて、後ろ足でピョンピョンジャンプしながら一生懸命雑草の先の花を獲ろうと必死になっている。その瞳は爛々と輝き、口は半開きのままウニャウニャ文句でも言うように小さな声を漏らしていた。


 ひとしきりその雑草でじゃれてやり、様子を見て雑草を掴ませてやれば、子猫は寝転がる様にして前足で花を挟み込んで、後ろ足で懸命に茎の部分を蹴っていた。ヴィスタはそのまま子猫を両手で救い上げるようにして持ち上げると、エリィの方に差し出した。


「ほら、リズ」


 前世でも今世でも動物に触れることがめったになく、特にそんな小さな子猫を触るのが初めてのエリィは恐る恐る指を伸ばして子猫の顔をくすぐってみる。すると子猫はエリィの指を新しいおもちゃと勘違いしたのか、前足で挟み込み、指の先をカプリと噛むと後ろ足で何度も蹴りつけた。


「いたっ、ったたたたた。いたいってば。あ、ほら。しっぽの毛が逆立って凄く太くなって凄く可愛いわ」


 エリィが大げさに声を上げると、子猫は一瞬キョトンとした顔でエリィを見て、それから再び先程と同じように甘噛みしながら何度も蹴る。その微妙な加減の痛さにエリィはくすくすと笑いながらはしゃいだ。ヴィスタはそんなエリィの左手を取ると、その掌の上に子猫をのせる。ヴィスタの手にはそれほど余る大きさではなかったが、流石にエリィの手には持て余し、エリィはそのままそっと膝の上に乗せた。そのまま指先で喉元を優しく撫でれば、子猫は気持ちよさそうに目を細めてグルルルと喉を鳴らす。


「ドレスに埋もれそうな小ささだな」

「ええ。このまま持って帰りたい位に可愛いですわ」

「良かったな」

「ホント、もう可愛い!ふわふわしてて暖かくって、凄く柔らかいの。マシュマロみたい」

「首輪も付いていないし発育も良いとは言えないな。恐らく、野良だろう。連れて帰って飼えばいい」


 楽しそうなエリィを目を細めて頬杖をつきながら満足そうに見てヴィスタが言った。だがエリィはそんなヴィスタの声を聞くと、我に返った様に表情を硬くした。


「連れて帰りませんし、飼いません」

「そうやって人に慣れさせる様に可愛がっておいて、野良に戻すのか?可哀想ではないか」

「あっ……」


 ヴィスタの言葉にハッとした様にエリィは子猫の喉を撫でる指先を離した。しかし子猫はもっと撫でてほしそうに両耳の後ろに前足を当てながら、体を大きくねじって仰向けになり、喉とお腹をエリィの方に向けた。


「何を意固地になっているか知らないが、飼えばいいだろう」

「でも……」

「何か問題でもあるのか?」

「私の方が先に死んでしまうから」


 悔し気にエリィがそう言えば、ヴィスタは少しだけ瞠目した後、エリィの肩をポンと軽く一つ叩いて笑った。


「ならば、こいつは私が飼おう。リズはいつでも会いに来い」

「え?」

「それならば気兼ねは無いだろう」

「でも、その……いいんでしょうか」

「名前は何にする?リズが決めろ。……ああ、ヤセとかチビとかにはするなよ?餌はたっぷりやるからな」


 未だにエリィの指を待ち構えて喉元を晒している子猫の喉を、ヴィスタが指先でそっと撫でる。そうすれば再び子猫は気持ちよさそうにグルグルと喉を鳴らした。


「じゃあ、モノで。……殿下、いえ、ヴィスタ様、ありがとうございます」


 全身真っ白の子猫にモノクロームからモノと名付ける。単色の単や一つと言う意味のある”モノ”はエリィにとって初めての、たった1匹のペットにつける名前には手前味噌ながらピッタリだと思えた。本当に嬉しくて、いつもならぞんざいな口調になりがちのヴィスタへの礼も、笑いながらすんなりと出た。


「気にするな。手懐けたのは私の責任でもある。それに、リズが嬉しいなら、私も嬉しい。……モノか。可愛い名前だな」

「可愛がってくださいね」

「ああ」


 2人で子猫をひとしきり可愛がっていると、エリィはふと強い視線を感じて顔を上げた。どこからかとキョロキョロと見上げれば、エリィの教室の窓からこちらを見ているノエルと目が合った。ノエルはエリィと目が合ったのに気が付くとニコニコと笑って手を振っている。それに手を振り返しながら、先程の何となく嫌な視線が本当にノエルだったのか訝しんでいるとそのもう一つ隣の教室からもう一人こちらを見下ろしている顔があった。


「あ」

「ん?」


 思わずエリィは声を上げる。それを不思議に思ったのかエリィの見る方にヴィスタも視線を上げて、その先を確認すると、少しだけ眉間に皺を寄せた。


「ドリエン公爵様のご令嬢、アニ―ニャ様ですわよ?」

「あ、ああ。知ってる」

「今にも呪い殺されそうな視線をビンビン感じるのですが」

「安心しろ、私もだ」

「あんな目で見られる理由がわかりません」

「私もだ」


 2人が少し青ざめた顔で俯きながら、子猫を撫でていると、離れたところから名前を呼ぶ声がしてエリィは顔を上げた。すると、廊下の先の方からヨシュアが不機嫌そうな顔で小走りに近づいてくるのがわかる。


「大変ですわ、殿下。ヨシュアの事すっかり忘れてました」

「……安心しろ、私もだ」


 未だに降ってくる強い視線の為か思上げられず、かと言って不機嫌そうなヨシュアが近づいてくると言うのに、そのままで居る訳にもいかず、2人はのろのろと立ち上がった。


「エリィ、エントランスで待っててって言ったじゃないか」

「ご、ごめん」

「殿下も、そう僕はお願いしたはずですけど」

「す、すまない」

「一体何やってたんですか。またなにか不埒な事でも――」

「ち、違うの!」


 注意からそのままヴィスタへの文句に変わりそうな気配を感じて、エリィは慌てて声を上げ、ヨシュアの前にモノをずいと突き出してみせた。


「私がどうしてもこの子を触りたくて、殿下に捕まえてもらったの」


 そのままヨシュアに歩み寄って、証拠とばかりに彼の鼻先につきつければ、ヨシュアは一瞬目を丸くした後、途端に顔を緩ませた。


「お前可愛いなぁ。よしよし、こっちおいで~よ~し、よし」


 モノをかっさらうようにエリィから奪うと、ヨシュアは頬ずりでもしそうな勢いで可愛がり始める。その余りにも激しい豹変ぶりに、ヴィスタは驚いた様にヨシュアを凝視していた。


「お前うち来るか~?そうかそうか~来るか~」


 モノを撫でくり廻しながらヨシュアはこれでもかと言うぐらいの猫なで声で言う。が、モノのほうはそのヨシュアの愛情表現がしつこすぎるのか、彼の手から逃れようと必死にもがいているように見えた。


「あ、あのね?ヨシュア?」

「ん?コイツ連れて帰ればエリィも嬉しいだろ?このまま連れて帰ろう」

「いや、ちょっと待って、ヨシュア。その子はね殿下のペットだから。ね、殿下?」


 モノが苦しげな表情で助けを求めている様にしか見えなくて、エリィは必死にヴィスタに目くばせをした。


「あ、ああ、そうだ。私が飼う事にしたんだ。すまないな」

「……本当に?」


 ヴィスタをマジマジと見た後にエリィへと視線を移し、ヨシュアは訝し気に尋ねる。それをエリィは全力で首を縦に振って応えて見せた。


「モノは殿下のペットになったの。会いたくなったら、殿下に合わせて頂くといいと思うわ」


 駄目押しをするようにそう言えば、ヨシュアは渋々と言った様子でモノをヴィスタへと返した。モノはヴィスタの腕の中に入ると安心した様に落ち着いて見せる。そうすれば、ヨシュアは不満気ではあったが納得をしたようだった。


「とりあえず、エントランスに馬車は用意できたから帰ろう」


 幾分肩を落とし気味に来た方向へと体の向きを戻しながらヨシュアが言えば、エリィは彼に近づいて慰める様にその背中をポンポンと叩いた。そして後ろに居るヴィスタを振り返り、苦笑してみせる。それにヴィスタも苦笑で返しながらも、モノの前足を軽く持って、まるでバイバイとでも言うようにエリィに降って見せた。


「殿下、ここまでありがとうございます」


 モノの可愛さにエリィが笑みをこぼしながら言えば、ヴィスタも柔らかく笑って小さく頷いた。





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