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31. 歴史の授業は必須科目です。



――今日は、2月21日。イイ感じに体調が悪い。


 エリィはクラリとする頭を誤魔化す様に頬杖をついて指先で軽くこめかみを押さえる。ストーブで温められた教室内の空気が籠って澱んでいるのか、息苦しさや、えも言われぬ気持ちの悪さを感じる。教室の前では教師が楽しくもない建国の歴史を一生懸命熱弁している。軽く周りを見渡せば、必死にノートを取る者や、居眠りをする者、従者を呼び入れてお茶を入れさせている者や、近くの友人とおしゃべりをする者等、多種多様に満ち溢れている。

 軽く学級崩壊しているのだが、これでいいのだろうか。いや、いいのかも。なんてぼんやりと考える。

 平民やそれに近い身分の者ほど一生懸命勉学に励み、貴族位が高くなればなるほど逆にいい加減になっている。といっても、別に勉強が出来ないのではない。貴族位の高い者たちは学園で学ぶ大半の事は入学前に習得済みだからである。特に歴史など習得していない様な者は社交界で恥をかくから尚更だ。社交界デビューする14歳ぐらいまでには頭に叩き込むのは常識と言っても過言ではない。


 平民や、それに近い貴族は就学までの間に主に金銭面の理由で教育を受ける機会が無かった者が殆どで、その為に必死になって勉強するものが多い。もちろん貴族位を持ってる者は恥をかかぬように、平民はよりいい職に就くために、だ。


 チラリと横を見れば、ヨシュアが机に突っ伏して寝ている。昨日の夜エリィの横で寝ずの番をしてくれたのだから仕方が無い。廊下側の席を見れば、フィリオ―ルが凄く真剣に授業に聞き入り、教師に疑問をぶつけたりして困らせている。そう、困らせている。勉学に対してとことんまで追求しないと気が済まないフィリオ―ルは特に歴史上の不可解な行動をとった人物に対してはそれはもう裏を知りたがる。彼の「伺ってもよろしいでしょうか」は教師を恐怖のどん底に突き落とす。


「先生、伺ってもよろしいでしょうか」


――あ、ウィリー先生、詰んだな。


 エリィが苦笑いしてフィリオ―ルから視線を外せば、ふと斜め前のヴィスタと視線が合った。


「……なんでしょう」

「顔色が悪い。気分が悪いのか?」

「いえ、大丈夫です」


 ヴィスタはうろんげな視線でエリィをしばらく見つめると、その視線を今度は真後ろのヨシュアへと移す。そして机の開いてる部分をコツコツと叩いた。


「んん……?」


 その音に反応してヨシュアが少し顔を上げれば、もの言いたげなヴィスタの顔があった。何事かとヨシュアが眉をひそめれば、ヴィスタは親指でエリィをの方を見る様に促す。そしてそのままエリィの方へ顔を向けたヨシュアは、すぐに顔を曇らせた。


「……エリィ?」

「おはよう?」

「顔色悪いね。帰る?」

「帰らな……いえ、帰るわ」

「了解。――ウィリー先生」


 エリィに返事をした後、眠気を覚ます様にヨシュアは一度頭を振り、無造作に髪をかき上げた。そしてウィリーに声を掛けるとエリィを帰宅させる旨を伝える。ウィリーの許可を得ると、ヨシュアは手早く荷物を片付け始め、エリィもそれに倣うように机の物を片付けた。ヨシュアに促されるまま立ち上がれば、ふと意味ありげな視線を向けるヴィスタに気付いた。その瞳はあからさまにエリィの行動を訝しんでいる。


 最初にエリィの体調の悪さを見抜き、声を掛けて来たのはヴィスタだ。その言葉を無碍に扱い、それでもヴィスタはヨシュアを起こしてエリィに注意を向けさせた。そうしてヨシュアがエリィに声を掛ければ、それも無碍にしようとして、思い直したように急に素直に頷く。ヴィスタが不審に思うのも当然の流れだった。かといって、誰が聞いているかもわからない人が密集した教室の中、自分の行動をペラペラ話すわけにもいかない。それに、だ。今のヴィスタは、エリィが未来の事を告げる前、エリィに本性を現す前のヴィスタなのだ。つまり、エリィを騙せていると思ってる状態のヴィスタだ。一瞬、気遣ってくれたことにお礼を言おうかとも考えたが、その事を思い出して、ソレは瞬時に却下する。適当な言い訳をと思ったが、それをわざわざ考えてやるのも何だか癪に思えた。


――殿下にとって一番不快な返しって何だろう……。


 昨日(・・)の事があって、今のエリィにとってヴィスタは悔しいと言わせてやりたい人物ナンバーワンである。もちろん、今のヴィスタはまだ何もしていない。だがこの先の未来においてムカッとさせてくれた礼を、先払いで返してもらってもいいではないかと、エリィは理不尽にもそう思ったのだ。

 そしてエリィは訝しげに見ているヴィスタに向かって、いかにも何かを企んでいますよ的なニヤリとした笑いをしてみせた。

 ヴィスタは一瞬だけ呆気にとられたように目を丸くして驚き、その後口元に拳を当ててチロチロとエリィを見ながら何とも微妙な顔をしていた。それは、不快と言った表情ではなく、いかにも笑いをこらえているような表情だった。その表情はエリィがピクリと眉を動かす程にはイラつかせている事には全く気付いていないようだった。悔しがらせてやりたい相手に更に悔しく思う態度を取られたのだから無理もない。


「何やってるんだよ、エリィ」

「……別に」


 ボソリと小さな声で窘める様なヨシュアの声に、エリィも小さな声で不機嫌そうに短く返す。そんなエリィの態度にヨシュアは小さくため息を吐くと、呆れたような顔でエリィの荷物を受け取ってウィリーに退出の旨を告げ、一礼をした。エリィもそれに合わせる様にごきげんようと挨拶をする。そうして退出しようとする2人を止めたのはウィリーだった。


「そうだ、フィリオ―ル君。君も馬車まで付き添うといい。途中で倒れたりしたらヨシュア君だけでは大変だろうから」


 一見、親切な様に見えるウィリーの言葉に教室のあちこちから冷たい視線が投げかけられる。どう見てもこの流れで中断されているフィリオ―ルの質問を有耶無耶にする気が満々に見えるからだ。


「それならば、私が一緒に行こう」


 体の良い厄介払いをしようとしていたウィリーの言葉を、まるで気にも留めないようにしてヴィスタが立ち上がると、彼はがっくりと肩を落とした。生徒とはいえ王子であるヴィスタの意向を、何ら落ち度もない所で真っ向から拒否する事は、たとえ教師であると言えども難しい。


「あ、わかりました。殿下、お願いいたします」


 肩を落としたままボソボソと小さい声でウィリーは言い、ヴィスタに是と言う。それを確認してヴィスタは歩幅を大きくしてエリィの後ろからついて行き、教室の外へと出た。


 教室の外に出ればひんやりとした空気に晒され、エリィは深く息を吐いた。やはり教室内の澱んだ空気に少し酔ってしまっていたらしい。頭の重さと、眩暈に似た浮遊感はまだ続いていたが、息苦しさはかなり取れている。隣を歩くヨシュアとの間から斜め後ろを歩くヴィスタを見れば、彼は何かを考え込む様に窓の外を見ながらボーっとしていた。


「エリィ」

「うん?」

「控室に行ってシャロムに声を掛けて馬車を用意させてくるから先にエントランスに行っててくれる?」

「うん、わかった」


 エリィが頷くのを確認すると、ヨシュアはヴィスタにも声を掛ける。くれぐれも紳士的にお願い致します、とか微妙に失礼な物言いでエリィの事を彼にも頼むと、小走り気味に廊下の角を曲がって行った。




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