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30. 上には上がいる。



 城に入り兵士の先導に従って王族の居住区への渡り廊下を歩いていると、向こう側からよく見知った顔の女性が、小脇に布に包まれた荷物を抱えて運びながらゆっくりと歩いてきた。

 彼女は伯爵令嬢のミレイユ。ミレイユは基本王家の宮廷医師である腕のいい医師だ。エリィはヴィスタの婚約者であったことからミレイユと縁があり、今ではエリィの主治医でもある。

 この世界では、魔力を持つ者の数はとても少ない。その少ない数の魔力保持者の中で、魔術師になる者、医師になるものに分かれる。魔術師は主に戦闘を担ったり、魔術の研究、そして魔道具の開発・生産を行う。医師を選ぶものは病人・怪我人の治療に始まり、薬剤の研究・病気の治療法の確立などを行っているのだ。医師は治療に当たるときも、薬を作るときも魔力が必ず必要になる。魔力が無いと何もできないのだ。前世のエリィからすればなんじゃそりゃ、と思う所だが、この世界がそう言う風に成り立っているのだから受け入れるしかない。

 その数少ない魔力保持者でもあり、医師でもあるミレイユの姿が近づくのを確認すると、エリィは表情を緩めて声を掛けた。


「ごきげんよう、ミレイユ先生」

「あら、エイリーズ様。ごきげんよう。こんな所で会うなんて珍しいですわね」

「ええ、本当に。先生は往診ですか?」

「そうなの。王女様がお風邪をお召しになったみたいで」

「……失礼、ミレイユ嬢。王女のご容体をお聞きしても?」


 エリィの背後からセシルは遠慮がちに割り込むと、ミレイユに王女の容体を質問する。その表情は心配そうで、王女に心を砕いている事がわかった。その表情を見てチクリとエリィの胸が痛む。

 ヴィスタの姉でもある王女は、セシルの婚約者だ。このまま何事もなくいけば、来年には婚姻を結ぶことが決まっている。そう、エリィがセシルの攻略ルートに入らなければ、セシルは王女と結婚するのだ。


「そんなに悪くはないですわ。少しお身体が熱いぐらいで、食欲もありますし。少し怠いっておっしゃってたぐらい」

「それは良かった。エリィ、すまないが私は――」

「いってらっしゃいませ、お兄様」


 セシルが最期まで言葉を紡ぐ前に、エリィはにっこりと笑って向き直って言った。何故なら、セシルのその言葉の先に続く内容が聞かなくてもわかるからだ。


「エリィ」

「王女殿下のお見舞いに行かれるんでしょ?私はヴィスタ様にお会いしないといけないし、帰りは馬車の所で。で、いいでしょうか」

「ああ、悪いね」


 セシルはそう言うと、ミレイユを先導してきた兵士に声を掛け、王女に取次ぎを頼む。もちろん形式上の物だ。王女はセシルが城に来た時は伺いなど立てずに、部屋の前まで通しても良いと兵士たちに言い渡している。そこから侍女に取次いで王女を訪問することが可能なのだ。王女はそこまでセシルに許している。王女がセシルにベタ惚れなのはもはや疑いようもなく、周知の事実なのだ。

 兵士に先導されて行くセシルを見送りながら、エリィはため息を一つ吐く。するとミレイユはくすりと笑った。


「相変わらず、セシル様はイイ男、ですわね」

「……自慢の兄ですわ」

「兄、ですか。エイリーズ様? 王女殿下とセシル様が一緒の所、ご覧になったことは?」

「昔、何度か。最近は同席することがめっきりなくなりましたわ」

「あら、ご覧になってみればよろしいのに」


 そう言ってミレイユは再びくすりと笑う。てっきり嫌味でも言われたのかとミレイユの顔をまじまじと見返せば、彼女は何を考えているのかわからない様な笑顔で可愛らしく首を傾げて見せる。


「そんな無粋な事しませんわ」

「本当の兄妹よりも仲睦まじい兄妹ぶりがみられますわよ」

「わかってますわ」

「あら、本当に?」


 ミレイユは再び意味ありげにくすくすと肩を震わせて笑った。その拍子に脇に抱えていた包みから薬瓶が一つ転がり落ちた。ミレイユはあっと小さく声を上げて慌てて空いてる方の手を差し出す。


「ああっ!」


 ガラスの小瓶が固い床に落ちそうになった瞬間、エリィも思わず声を上げた。割れてしまう!と思ったら、つい声が出てしまったのだ。が、その小瓶はすんでの所で止まり、奇妙なバランスを保ったまま宙に浮いていた。


「危なかったわ」


 ミレイユは優雅に片膝をついて、その浮いている薬瓶を拾い上げると、ホッと胸を撫で下ろしたようにため息を一つ吐いた。その様子を何とも言えない思い出エリィが見ていると、ミレイユはその小瓶をエリィに向かって差し出した。


「宜しかったら、こちらの薬を差し上げますわ」

「あら、何の薬でしょう」

「滋養強壮の薬ですわ。王女様にも処方してきた所です」

「そんな高価そうな物、頂いてもいいのかしら」

「もちろんですわ。驚かせてしまったお詫びです。これでエイリーズ様に発作でも起こさせてしまったら王太子殿下やセシル様、ヨシュア様にお叱りを受けてしまう所でした」

「まぁ、大げさね」


 くすくすと笑うミレイユにつられるようにしてエリィも笑うと、彼女は笑ったままその小瓶をエリィに握らせた。その小瓶を人差し指と親指で上下を挟むようにして、目の高さに持って行き、中を眺めると、そこには水のような液体が入っていた。


「無色透明な滋養強壮剤って初めて見ましたわ」

「開発に開発を重ねましたからね。たったそれだけの量で驚くほど効果がありますわよ」

「飲めば屋敷の周りを全力疾走ぐらい出来るかしら?」

「それなりに希少な薬剤ですから、無茶な使い方はお勧めしませんわよ?」


 悪戯っ子の様にエリィが冗談を言えば、ミレイユは笑いながらそれに返答した。彼女の言葉にエリィは頷き、その薬瓶を割れないよう取り出したハンカチに丁寧に包んでポケットに入れる。


「そんな貴重な薬剤なら割れなくてよかったですわ。さっきのは、先生の魔法なのですか?」

「ええ、そうですわ。割ってしまったらもったいなかったんですもの」

「便利でいいですわね。羨ましいわ」

「ほんと便利ですわ。動かしたり、飛ばしたり、弾いたり、燃やしたり。皆さんが使えればいいのにといつも思います」


 うんうんと言った感じで頷くミレイユをエリィは羨ましそうに眺める。ゲームでのエリィも全く魔法を遣えなかったのだが、エリィはもしかしたら使えるかもしれないと何度かこっそり試してみたものだ。折角魔法のある世界に生まれたと言うのに、魔法が使えないと言うのは非常に残念でならなかった。


「エイリーズ様、殿下がお待ちですのでそろそろ……」


 ミレイユとエリィが他愛もない話で盛り上がっていると、先程まで一歩下がって控えていたシャロムがしびれを切らしたように口を開いた。その言葉にエリィは彼の存在とやっと思い出したかのように苦笑いをして返す。


「ごめんなさい、ミレイユ先生。もう行かないと」

「あら、お引き留めしちゃいましたわね。申し訳ありません」

「いいえ、こちらこそ」


 ミレイユと別れて、兵士に促されるまま廊下を歩く。王族の居住区まで来ると、人気は少なく、所々にポツポツと見張りの兵士が立っているぐらいだ。そのまま歩みを進めれば、視界が開け、午後の柔らかな陽の光が当たる中庭に出た。その脇を通り過ぎて突き当りまで行けば、大きめの両開きのドアがエリィを出迎えた。

 先導の兵士がヴィスタの部屋の扉をノックすれば、やや間をおいて侍従らしき男が静かに部屋から出てきた。そしてエリィの姿を確認すると丁寧にお辞儀をして扉を大きく開けた。


「エイリーズ様のみお入りくださるようにとのことです。使用人の方は別室でお待ちいただくようにと」


 侍従の言葉に頷きシャロムに視線を投げれば、シャロムも頷いてエリィから一歩離れて控える姿勢を見せた。侍従はそのままエリィを部屋に入るように促し、エリィが部屋に入るとそのまま扉を外側から閉めた。背後で扉が閉まるのを最後までエリィは見て、扉の外から人の気配が去っていくのを確認して、部屋の内へ視線を向けた。

 ヴィスタは居室のテラスにほど近い場所で、窓に右半身を持たれかける様な姿勢で外を見ながら、お茶を飲んでいるようだった。ナロ―ショートカラーの胸元をラフに開けた白のシャツと細身のオフホワイトのパンツを上品に合わせている。その姿はラフでありながらも上品な気品を醸し出していた。


「そんな所に立っていないで座ったらどうだ」


 ヴィスタは窓の外から視線を外さずにエリィに着席を促す。みれば、促されたソファーの前には、しっかりとエリィの分のお茶も用意されていた。礼を述べてソファーに腰を掛けると、ヴィスタはそれを待っていたかのようにエリィに視線を向けた。


「遅かったな」

「申し訳ありません。そこでミレイユ先生とお会いしたので少し立ち話を」

「そうじゃない。私はリズが昨日のうちに来ると思っていた」

「と、おっしゃるって事は、私の伺いたいことをわかってらっしゃるんですね」

「ああ。お茶会の場所の話だろう?」

「話が早くて助かりますわ」


 昨日来ると思っていたというヴィスタの疑問をまるっと無視して、エリィは話題を少しだけずらす。何故なら昨日来なかった理由などヴィスタに話せないからだ。ヴィスタだってまさか、昨日のエリィは夜会の日の出来事を知らないエリィですなんて言われても混乱するだけだろう。


「私、忠告させていただきましたわよね?3月2日のお茶会で、殿下が塔から落ちて亡くなられるから、と」

「もちろん。覚えている」

「ではなぜ、昨日の朝、塔でお茶会をしようなどと言い出したのですか」


 エリィが責めるような口調で言えば、ヴィスタは何かを企んでいるような顔でニヤリと笑って見せた。そんなヴィスタを睨みつつ、エリィはお茶を一口飲む。


「そう言えばリズは文句を言いに私に会いにやってくるだろう?」

「……そんなバカげたことの為に?」

「実際、こうやって来たじゃないか」

「怒りますよ?」

「その言い方は良くないな。怒りますよどころか、もう怒っているではないか」


 眉を吊り上げて睨むエリィに、ヴィスタは肩を揺らしてくつくつと笑う。その様子には全く悪びれたところはない。


「では、逆に聞く」

「はい?」

「細工された塔から落ちて死ぬことがわかっているのに、何故その場所を避けなければいけない?」

「え?」


 ヴィスタの言っている事がわからずにエリィはキョトンとしたまま聞き返す。そうすればヴィスタはフンと勢いよく鼻を鳴らして再び窓の外に視線を投げた。


「わざわざ落ちる日も場所も決まっていると言うのに、その場所を変えて、先の見えない未来にすることに何の意味があるのだと言ってるんだ」

「それじゃあ……」

「未来を避けるにしても、敵の動きを見るにしても、わかっている事実を大きく動かすというのはデメリットでしかない。騎士団長の方からテラスに細工があったとの報告も受けたが、あえてそのままにしてある」

「お茶会を庭で、と学園で言った私の発言はまずかったことになるのかしら」

「いや、構わないさ。ただ明日学園で、そうだな……昼食時のカフェで私に、人目をはばからないぐらい盛大におねだりしてもらおうか。やっぱり塔でお茶会がしたい、とな」


 再びエリィに視線を戻したヴィスタは意地悪そうにニヤニヤと笑う。どうやらエリィはヴィスタの目論見にまんまと嵌ってしまっていたようだった。たとえ昨日のエリィがヴィスタに忠告をしてあることを知っていたとしても、結局この流れになっていただろうことは容易に推察できる。流石は腐っても腹黒王子だっただけはある。


「庭で、と言ったのはリズだしな。簡単におねだりが通ると思うなよ?私は精一杯渋ってやるから」

「……なんでそんな面倒なこと。素直に了承してくださいな」

「それでは面白くないだろう?せいぜいしなを作って私に媚びるがいい」


 場所にしても、エリィを苛める方法にしても、何て頭が小狡く回るんだろうとエリィは悔しくて歯噛みした。あの時、やけにすんなり庭への変更を了承したのを訝しんで置くべきだったと後悔してもし足りない。言いたいことは色々あったが、どうやってもヴィスタの言い分は間違ってはいないのだ。

 塔を避けることによって新しい何らかの仕掛けや襲撃があった場合、完全に、完璧に対応することなど難しい。それならば予めわかってるトリックの上で騙された振りをするのは最も賢いやり方だ。しかも、そのまま決行することによって、犯人がその様子を窺いに来る可能性は極めて高い。少なくとも、誰が罠に引っかかって死んだのかを確認しようとするはずだ。


「そんな意地悪をされたら悲しくなってしまいますわ」


 大仰にため息をついて頬に手を当て、エリィはわざとらしく困った顔をしてみせる。だがヴィスタは一向に堪えた様子が無い。


「上には上がいると、教えてやろうと思ってな」


 少し目を伏せながらカップを口に運ぶ様はとても優雅で、穏やかな表情からはとてもじゃないが嫌味を言っているようには見えない。だが彼は、確実にエリィに嫌味を言っているのは間違いがない。なにせ”上には上がいるって教えてあげる”はエリィが散々ヴィスタに言ってきた言葉なのだから。


「殿下に先見の結果を教えた事、激しく後悔しているところですわ」

「相変わらずつれないな。ヴィスタ様が心配なんですぅとか言ってしな垂れかかって、媚びの一つでも売れば手加減してやらなくもないぞ」

「そんな気持ちの悪い真似、できません」

「では可愛らしくキスの一つでもすれば――」

「お断りです」

「即答するな」

「明日、殿下を納得させればいいんですね?」

「簡単には納得しないからな。覚悟してろよ?」

「そちらこそ、覚悟なさっててくださいね」


 ぐぐっとカップに残ったお茶を行儀悪く一気飲みすると、エリィは立ち上がる。事の真相さえ聞ければもうこの場所に用はないからだ。そスしてくるりと踵を返し部屋を出るために歩き出した。そんなエリィをヴィスタは楽しそうに、そして意地の悪そうな笑顔でニヤニヤと眺めていた。



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