29. やっぱり兄弟
2月にしては珍しく春の様相で暖かい庭を十分に堪能した後、エリィは暇を持て余したように屋敷内のあちらこちらに顔を出す。学園を休むのはいつもエリィが体調を崩している時だから、元気なときに休むのは本当に久しぶりだ。しかも、そんな時にこれほどまで長時間ヨシュアが側に居ないと言うのは初めてかもしれない。ヨシュアが寝てから既に2時間弱。セシルもヨハンも帰りは決して早くはない。短くてもあと4時間はエリィの一人の時間なのだ。とは言っても、シャロムがついているからまるっきり一人だっていうのは語弊があるかもしれないが。
しばらく、屋敷内の図書室をウロウロしたり、厨房を覗いて料理長にデザートを貰ったりと時間を潰してみるも、1時間もしないうちに何となく疲れて、エリィは自室に戻る。そのまま長椅子に腰を掛けると、
力を抜いて背もたれに体を預けた。
「お疲れですか?」
「うん、ちょっとね。家の中歩き回っただけなのに情けないわね」
「お休みにならてはいかがでしょうか」
「ん~……折角の自由行動なのにもったいないなぁ」
「余りお動きになられますと、また体調を崩されますよ」
「それじゃあ……ちょっとここで横になっちゃおうかな」
「お風邪を召されます。寝台でお休みになられた方が……」
「少しだけだから。ブランケットを取ってくれる?」
「承知いたしました」
上半身だけ横たえ、耳を下にするように肘掛けに頭を乗せれば、思いの外心地がいい。そうして力を抜けば、自分で思っていたよりもずっと疲れている事にエリィは気付いた。シャロムにブランケットを掛けてもらい、目を閉じれば、ゆっくりと気怠い眠気に包まれる。
「エイリーズ様がお休みの間に、少し外出させていただいてもよろしいでしょうか」
うとうとと微睡み始めたエリィに、遠慮がちにシャロムが問いかけた。それにエリィはだるそうに小さく頷く。
「私が戻るまでの間、お屋敷からは決してお出にならないようお願いいたします」
「ん」
念を押す様に重ねられた言葉に短く答えると、シャロムは少しだけ躊躇ったような気配を指せた後、失礼いたしますと小さく断って退室した。
***
それから何時間眠ったのだろうか。薄ぼんやりと目を開ければ、レースのカーテンが遮っていた明るい陽の光は、眠ってしまう前よりも長く柔らかく部屋の中に入りこんでいる。夕方、というにはまだ幾分時間は早そうだった。エリィは眠気を振り払うかの様に瞼をこする。そうすれば、小さい笑い声と共に前髪にふわっと息がかかった。
「やっとお目覚めだね?」
その声に驚いて顔の向きを変えて見上げれば、その視線の先にはセシルの柔らかい微笑みがあった。突然の事に状況が理解できず、急いで身を起こそうと枕にしていた肘掛けに手を置けば、なにやら生温かい。
「……こっ、これは」
確かめるように、その肘掛けだと思っていた場所を手でムニムニと触ってみる。するとそれに反応するように、セシルがくすぐったそうな声を上げた。
「それは私の足だよ。そんな風に触ったらくすぐったいだろう?」
「な、んで……」
寝入った時は確かに長椅子に横になった筈だった。頭の下には柔らかく弾力のある綿で包まれた肘掛けがあった筈である。が、目覚めてみれば何故か長椅子の上でセシルの膝枕。驚かないわけが無い。
「話があって早めに帰って来たのだよ。そうしたらエリィがうたた寝をしていたからね、待たせてもらった」
「ま、ま、ま、待たせてもらったって、この姿勢で、ですか」
「そうだよ。肘掛けが痛そうだったからね。何か問題でもあるかい?」
狼狽えてエリィが聞けば、セシルはにっこりと微笑んで見せる。なぜこの場所に座って居るのかとか、なぜ膝枕なのか、とかエリィが一番疑問に思っている事はまるっきりスルーする気でいるらしい。
「お、重いですわよね?ごめんなさい、お兄様。足がしびれたりしていませんか?」
取りあえずその状態から抜け出そうと、エリィが急いで身を起こそうとすれば、セシルはそんなエリィの二の腕の部分に手を添えて、その起き上がりかけていた体を押さえて元の位置に戻した。狼狽えながらセシルの表情を見れば、やはりにこやかに微笑んでいる。試しにもう一度体を起こそうとしたが、今度はピクリとも動かない。とくに二の腕部分が。
「お、お兄様?離して頂けないと起き上がれません」
「なら、そのままでいいのではないかな?私は一向にかまわないよ」
「えっと、でも、ちょっと密着しすぎかな~、なんて思ったりとか、そんな感じで」
誰のルートにも入らない、必要以上の接触は避けようと思い始めていた矢先に、膝枕というのはどうなんだろうとエリィは表情を引きつらせた。まるで恋愛イベントのようではないか。
と、そこまで考えてふと気づく。
――ノエル主人公のゲーム上でも、膝枕イベントってなかったっけ?
ノエルが臥せりがちのエリィの為に、滋養のある薬草を湖のほとりにある林へ摘みに行くイベントがある。あの時、疲れを感じたノエルが木陰で木にもたれてうたた寝をする選択肢を選ぶと起こるのが、セシルの膝枕イベント。あの時のセシルの台詞は何だっただろうかと記憶を探る。確か、目を覚まして慌てるノエルに言った言葉は……
――木の根が枕じゃ、痛そうだったからね。何か問題あるかい?
――い、いえ……。
そうして頬を赤らめるノエルと、右膝を立ててその上に腕を乗せ、もう片方の足に彼女の頭を載せたまま左手で彼女の髪を撫でる。そして、まるで何も気にもしていない風に湖の方へ視線を投げるセシル。木々の隙間から降り注ぐ光と、さわやかな風にふんわり揺れるセシルの髪。あのスチルにエリィは一目惚れしたのだ。この男、美しすぎる……!と。つまりこれは、イベントが発生してしまったという事なのだろう。そうでなければ、ただうたた寝していただけだと言うのに、体勢を動かされて膝枕状態にされても起きないなんてことはありえない。いくらなんでもそこまで爆睡していたはずがないのだ。
「兄妹なのだから、遠慮する事は無いだろう」
「兄妹でも、ち、近すぎたりしませんでしょうか、はい」
「一緒の寝台で眠ることに比べたら普通ではないかな」
至極真っ当な切り返しをされて、エリィは何とも言えずにセシルの顔をじっと見る。そんなエリィの視線に、セシルはやはりにっこりと笑って返した。どうみても笑顔でうやむやにする気満々の様だ。どうやら諦めるしかないとエリィは悟って、それならば一刻も早くこのイベントを終わらせてこれ以上好感度を上げるべきではないと思った。
「話、そう、お話があったんですよね?」
本来の目的を思い出させようと、セシルに下から人差し指を突き出してみせれば、セシルはああ、と短く言って頷いた。
「でも、人に指を向けては駄目だよ」
そう言ってセシルはその人差し指をエリィの手ごとと握りこむ。完全に捕獲されてしまったような気分になり、エリィは半眼のまま目を反らして小さく溜息をついた。
「今日、白鷺の塔に行くと言ったよね。……不審者らしき人物を見たと言う体で、団長をつれて行ってきたよ」
淡々とした口調でそうセシルは語りだしたが、その手はエリィの手をそれとなく引き寄せてエリィの人差し指にキスを落としたりしていて、酷くシュールである。だが、美形は何をやっても似合うと認めざるを得ないとエリィは気持ちの上では床ローリング状態だった。
「それで、どうだったんですか?」
努めて冷静な口調でそう尋ねれば、セシルは真面目な顔で一つ頷いた。
「白鷺の塔の屋上テラスの一角、一番見晴らしのいい薔薇の装飾を施された鉄柵、そこに細工があった」
その話に、エリィは信じられない様な思いで絶句した。
お茶会が決まったのは昨日の朝の出来事の筈である。そして、場所は庭に移されたはずだ。ならば、塔に既に仕掛けがされているのはおかしいのではないだろうか。
だとすれば、犯人は昨日の朝よりも前に塔でお茶会が行われるという事を知っていて、場所が変更になったことを知らずに細工を仕掛けた者という事になる。エリィが周りに注意を向けていたのは昨日の朝である以上、あの時、あの場に居た者は少なからず身内のお茶会と言う会話を拾っていたかもしれない。しかし、場所は庭という事も話していたのだから、あの場に居た者は無関係ではないかと推察できる。
「となると、昨日の朝よりも前にお茶会を塔の上ですると言う情報を仕入れていた者が怪しいね?」
「そうなりますわね。……いえ、ちょっと待ってください」
「どうしたんだい?」
「そう言えば私は夜会の日に、3月2日に殿下が塔から落ちて亡くなると言う先見を殿下ご自身に……」
確かに夜会の日バルコニーで、エリィはヴィスタに塔から落ちると言う未来を告げて忠告している。だとしたら何故ヴィスタが学園でエリィに塔でお茶会をすると言った事実が変わっていないのだろう。
「お伝えしたのだね?」
「え、ええ」
「ならば何故、殿下は知っていながら塔でお茶会を行うと言ったのだろう?」
「わかりません」
「なにかお考えがあったのだろうか」
「……お兄様、私殿下とお話がしたいです。できれば、今日」
「今日、かい?」
「ええ」
セシルは性急なエリィの頼みに少しだけ困惑したような顔をした。だが、エリィには切実な問題なのだ。エリィが今日を終えて次の日が翌日とは限らない。そして、その日が体調が良い日だとは保証できないのだ。現に夜会の次の日、エリィは体調を崩してしまい一日寝台の上だった。あの日、ヨシュアとノエルは城へと行っている。体調さえ万全であれば、エリィもその時一緒に行けたかもしれない。そうすれば、その時にもお茶会の話が聞けたのかもしれないのだ。それを考えると、体調が良いのであれば、その日のうちに情報を仕入れておくのは重要だと思った。
「……そうだね。私が殿下にお会いしたいと手紙を書いても良いが、私よりもエリィの手紙の方が届きやすいのではないかな」
「そうですわね。シャロムを使いにやれば話が早く通りますね」
「と、言う訳だ、シャロム。城まで使いを頼むよ。それとケイトに私とエリィが外出する旨を伝えて馬車の用意を頼んでくれ」
「承知いたしました」
部屋の隅の方にセシルが顔を向けて言えば、シャロムは一歩前に出て一礼をした。エリィはシャロムが居るであろうことをすっかり失念していた為に、突然現れたその気配に驚いてビクリと肩を震わせた。
「それと、もう少し気配を消さないようにしてやってくれ。エリィが驚く」
「……お邪魔かと思いましたので」
「そ、そう言う気の回し方要らないから!帰って来てるなら帰って来てるって教えて」
遠慮がちに答えるシャロムに、エリィはあたふたと慌てながら答える。だが、膝枕されたまま、そして右手をセシルに捕らわれたままであるエリィが言っても説得力が皆無であろうことは否めなかった。
「では、行ってまいります」
「ああ、よろしく頼むよ」
セシルが追うように頷けば、シャロムは足早に部屋を出て行った。廊下の方から何やら声がするのは、恐らくケイトに指示を出しているのだろう。
「お兄様、出かける支度もしなければなりませんし、そろそろ離していただいても……」
「そうだね」
セシルの同意を得て、再び体を起こそうとしたエリィは、やはり少しも体が起こせない事に気が付く。特に二の腕のあたりが。
「ええっと、お兄様?」
「なんだい?」
「起き上がれないのですが」
「……それは困ったね」
エリィは心底困ったような口調で言うセシルの顔を見上げて確認する。やはり、清々しいぐらいの笑顔だ。試しに抑えられている左肩を力いっぱい突っ張ってみるが、ピクリともしない。苦笑いを浮かべて再びセシルの顔を見上げるが、やはり返されるのは爽やかな笑顔だ。全く困った様子など見えない。それどころか、捕えたままのエリィの右手の人差し指を軽く食む様にして唇に挟んだ。
「お、お兄様、離して」
「そんなに起きたいのかい?」
ふと見れば、先程までの爽やかな笑顔はすっかりなりを潜め、伏し目がちな流し目をエリィに投げかけながらセシルは意味ありげに笑った。そして咥えたままのエリィの指を舌先でチロリと舐めた。
「なにしてんのさ」
降ってわいた声に驚いて、その声の方を見れば、そこには廊下へと続く扉を開けて、その扉にもたれ掛かる様にして腕を組みながらエリィ達を見るヨシュアの姿があった。ヨシュアは不機嫌そうな雰囲気を醸し出しながらも、にっこりとした笑みを浮かべている。
「エリィは離して欲しそうだけど?」
ヨシュアが無邪気そうな微笑みでセシルにそう言えば、セシルは小さく肩をすくめて笑い、エリィから手を離した。そのタイミングを逃さないように、エリィも急いで体を起こす。
「ヨシュア、起きたのね。おはよう」
「もうティータイムの時間だけどね。おはよう、エリィ」
「それでは、私も外出の支度をするかな。エリィ、準備が出来たら迎えに来るよ」
まるで何事もなかったかのように、セシルは優雅に立ち上がるとエリィの肩の上から自分の上着を拾い上げた。その時初めてエリィは自分の肩にセシルの上着がかかっていたのに気づく。上着の暖かさを失った上半身はひんやりとした空気を感じた。午前中は暖かすぎるぐらい暖かかったと言うのに、いつの間にかまた冬の寒さが戻って来ていたようで、それにいち早く気付いたセシルが己の上着をエリィに貸したのだという事は容易に想像できた。
「お兄様、上着、ありがとうございます」
部屋を立ち去ろうとしているセシルに向かって慌てて声を掛ければ、セシルは小さくウインクしながら手を上げ、そのまま廊下へと去って行った。
「その気持ち悪いぐらいベタベタな兄妹関係は恋愛関係とは言わないわけ?」
セシルの背中を黙って見送っていたエリィに、腕を組んだまま立っていたヨシュアは不機嫌そうに言った。
「ち、違うわよ」
「どの辺が」
「どの辺も何も、全部!……かな?」
エリィが両手に握りこぶしを作って力説すれば、ヨシュアは半眼でエリィを睨んだ後、大きくため息を一つ吐いた。
「で、どこに行くの」
渋々とヨシュアが話題を変え、エリィがその話題に乗っかろうかと口を開きかけた。だが、ヴィスタの所へ行くと言いかけて、ヴィスタの話題を出したが為に不機嫌になってしまったヨシュアを思い出し、急いで口を噤む。折角許してもらったばかりだと言うのに、また怒らせるのは得策だとは思えなかった。
「……何で黙ってるの」
なんて言ってよいのかわからずに、エリィは口を真一文字に引き結んで俯く。どう上手く取り繕ったとしても、こんなに急に城へ行くなどと言ったら、ヨシュアはきっとヴィスタの事を思い出すと思ったからだ。が、そんなエリィを見て、ヨシュアはまた一つ大きく息を吐いた。
「兄さんとデートだとか適当に誤魔化せばいいのに、そうやって黙ったら殿下に会いに行くって言わなくてもわかるとか思わない?」
「……ごめん」
「いいよ。僕に気を遣ったんでしょ。……ああ~もう!もういいよ!名前を出すなとか言ったの忘れて」
「え?」
エリィが驚いて聞き返せば、ヨシュアは少し背中を丸めて、足を交差させながら、照れたようにそっぽを向いた。
「僕のせいでそんな困った顔するんだったら、僕が我慢するからもういい」
「でも……」
「結局、言われなくても想像して腹が立つんだから、同じだって分かったし。あの約束は無かったことにして」
畳みかけるように早口で言うヨシュアは、心なしか唇がとがっていて、どう見ても照れ隠しの様な感じだった。それでもそれは、困ったエリィに折れてくれたヨシュアの譲歩の姿勢なのだろう。
「お兄様と殿下に会いに行ってくるの」
「そうか。僕は……いや、必要ないな。留守番しているよ」
「うん、わかった。そんなに長居はしないと思うけどね」
「気を付けて行ってきて」
「うん」
「……あ、そうだ」
ヨシュアは何かを思い出したように顔を上げると、足早に長椅子に座るエリィに近づくと、エリィの右手をサッと捕まえた。
「え、なに?」
「ちょっと、大人しくして」
そう言うと、ヨシュアはポケットから取り出したハンカチでエリィの右手を念入りに拭った。
「念入りね」
「いくら兄さんだろうと、不快は不快だからね」
「格好いいのに」
「僕の方が格好いいよ」
「大人の魅力であふれてるわよ」
「なら、僕の大人の魅力を確認してみた方が良いんじゃないのかな。寝台の上で」
まるでさっき迄のセシルの様に、エリィに流し目を投げながら怪しく笑うヨシュアはまさに魔性王子そのもので、エリィは小さく参りましたと言って頭を抱えるしかなかった。そして、セシルとヨシュアは普段のタイプは全く違えども、確実に血の繋がった兄弟なんだと納得したのである。




