26. ゲームとリアル
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「やっぱり死にたくないなぁ」
そう呟くと同時に涙が一筋ホロリとこめかみへと流れる。それを自覚すれば、泣きわめいてしまいたい気持ちが急激にこみ上げてきて、エリィは手の甲で乱暴に瞼を拭った。自分の命を諦めなければいけないと言う気持ちと、諦めたくない気持ちがせめぎあい、体のなかで渦を巻くように暴れた。
叫びたかった。
わめきたかった。
死にたくないと叫んで、喚いて。全てを滅茶苦茶にしたいような気分になった。
前世でのエリィは一生を病院の中で終えた。今のエリィよりも数倍体の弱かったあの頃のエリィの世界は、白を基調とした質素な病室と言う枠の中だけだった。外を覗けるのは手の中にあったゲーム機だけ。ゲームの世界だけがエリィの世界であり、希望だった。
華やかな色彩の、華やかな世界。あんなに憧れた世界の中にいると言うのに、今のエリィは前世のエリィと何ら変わらなかった。病気を抱え、華やかな色彩を自由に堪能することも出来ず、このゲームと言う決められた枠の中で決められた期間で死ぬのだ。
どうにもならないのはわかっていた。
それがエリィが生まれ落ちる前から決まっていた運命であるならば受け入れるしかない。受け入れた筈だった。だというのに、今更それを納得できないと思ってしまうのは何故なのだろうか。それもゲームの補正なのだろうか。死にたくない、何故自分が死なねばならないのかと嘆いた、ゲームでのエリィの思考に引っ張られているのだろうか。
「エリィ、入っていい?」
控えめなノックの音と共に見送りから戻って来た扉の外からヨシュアが問いかける。その声にエリィは返事をせず、寝返りを打って扉に背を向けた。今声を出せば、情けない声が出てしまいそうで怖かったからだ。
返事がない事を不審に思ったのか、ヨシュアは入るよと一言声を掛けて、静かにその扉を開けた。そして背中を向けて寝台に横になっているエリィの姿を見つけると、ホッとした様にため息を一つ漏らす。そのまま寝台脇の椅子に移動しようと近づいて、エリィの様子がおかしい事に気が付くと、ヨシュアは困ったような顔をして、寝台に腰を下ろした。
「何かあった?」
「……何も」
ヨシュアと目を合わせないようにして、エリィはシーツをじっと見つめる。相変わらずその目からは涙が零れていたが、それを隠すのも億劫に感じた。そんなエリィの頭をヨシュアはそっと撫でる。エリィを気遣っているのは、考えないでもわかった。だが、その好意が、行動が、果たしてヨシュアの本心からの物なのだと言う保証はどこにもない。
この引っ張られた感情の様に、ゲームで設定されているからヨシュアはエリィを気遣っているのかもしれない。そう設定されているから優しくしてくれるのかもしれない。そう思い始めると胸が締め付けられるような痛みを感じた。
前世でのエリィは、一日の大半が一人だった。狭い病室の中で寂しい時も辛い時も、ほとんど一人だった。両親に愛されていなかったわけではない。それはわかっている。両親はエリィの治療費を稼ぐために、それこそ毎日身を粉にして働いていたのだ。それが彼らの愛情だった。ちゃんとそれを前世のエリィは理解していた。だが、寂しかった。死の恐怖におびえる時もいつもほとんど一人だったのだから。
それを考えれば今のエリィは恵まれ過ぎるほど恵まれている。友達がいて、両親が居て。こうやって辛い時に側に居てくれる兄弟がいる。エリィにとっては甘く優しい人たちで囲まれた世界だ。
だがその優しさも甘さも、ゲームで決められたプログラムだとしたら?
エリィの頭を撫でるその優しい手も、ただの決められた行動にしか過ぎないとしたら、その行動に乗っかる感情もすべて決められた物でしかないのだ。
そう考えた途端、エリィは世界に一人だけ放り出されたような気持ちになった。嗚咽がこみ上げてきて、急いで口元を両手で押さえる。
6月22日にエリィが死ねば、彼らはあらかじめ予定されたように嘆き悲しみ、そして忘れるのだろう。だって、エリィの死はゲーム上のただのイベントなのだから。それはエリィがヒロインだろうがノエルがヒロインだろうが何ら変わりはない。それが、多くあるうちの一つのイベントであったのか、エンディングイベントであったのかの違いでしかない。
その結論に至れば、おのずとエリィは自覚せざるを得ないのだ。今のエリィは前世のエリィよりもずっと一人なのかもしれないと。
寂しくて仕方が無かった。涙が次から次に溢れて、こみ上げる嗚咽をもう堪えることが出来なくなっていた。
「エリィ」
ヨシュアが不安げに声を掛けるも、それに応えるだけの余裕がエリィにはなかった。口元を押さえたまま目を固く瞑り、嗚咽を上げる。そんなエリィに業を煮やしたのか、ヨシュアは口元を押さえたエリィの手を強引に引き剥がすと、仰向けにさせて、驚いて見開いたエリィの目を怒ったような目で見据えた。
「……こっちを見て」
低く掠れた声でヨシュアが言えば、エリィはピクリと肩を震わせた。
「僕はそんなに頼りにならない?」
静かにヨシュアが問えば、エリィは口を引き結んだまま、眉根を寄せ力なく首を横に振る。その仕草はヨシュアの言葉を否定した様にも、ヨシュア自身を拒否したようにも見えて、ヨシュアは不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
「何かあった?……聞くまで離さないからね」
逃げ道を塞ぐような言い方でヨシュアが言えば、エリィは顔を歪め、声を上げながら泣きだした。まるで子供の様に声が出ても、両手をヨシュアに抑えられているために口をふさぐことも出来ない。そうやってエリィが泣けば、ヨシュアは途端に罪悪感に駆られた様な表情になった。そしてその手を離すと、エリィを引き寄せ、そっと抱きしめる。
「何でそんなに辛そうなんだよ」
そう呟いたヨシュアの声は、泣いているエリィの声と同じぐらい辛そうで。それでも、エリィはヨシュアのその気持ちが本物なのか決められた物なのかが判別できないで混乱した。偽物かもしれないと思うと悲しくて、偽物かもしれないと疑っている自分が浅ましくて。どうしていいかわからなくなっていた。考えれば考えるほど悲しくて辛くて。自分の事ばかり考えている、自分の醜さが悲しくて。何を信じていいのか、何が本当なのか混乱するばかりだった。だから、直ぐ近くにあるその温もりに馬鹿みたいに救いを求めたくなったのだ。縋りたかったのだ。
「ヨシュア、私……」
「うん」
「……死ぬの。6月22日に、死ぬんだよ」
しゃくり上げながら、途切れ途切れにエリィがそう言うと、ヨシュアは何も言わずにエリィを抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
ずっと死ぬと言い続けてきた。大人になれないと言い続けて、達観した大人の様に皆に決まっている事だからと言ってきたのはエリィ自身だ。それが今になって、死んでしまうんだと泣いている。どう考えてもそんな自分が滑稽だとしかエリィには思えなかった。それでも何も言わずに抱きしめたままでいてくれるヨシュアに、エリィは縋って泣いた。もうそれが、偽物だろうと本物だろうとどうでも良かったのだ。そうやって縋らないと立つことが出来なくなってしまう様な、そんな焦燥感に囚われていたのかもしれない。
ひとしきり声を上げて泣いた後、エリィが泣き疲れ落ち着いてくると、ヨシュアはあやす様に背中を小さく叩いた。途端に、エリィは年下であるヨシュアに縋って泣いてしまった事に恥ずかしさを覚えてヨシュアの腕の中で頭を抱える。
「平気?」
酷く優しい声音でそう尋ねられれば、エリィは俯いたまま小さく頷いた。思わず大泣きしてしまった、その情けない顔を見せるのは、とてもできなかったからだ。
「喉乾いたでしょ、飲み物とってくるよ」
ポンと1回大きくエリィの背中を叩くと、ヨシュアは何事もなかったように立ち上がって部屋を出て行った。そのあっさりとした態度に、エリィは戸惑った様に首を傾げた。
そうして何分もしないうちに戻って来たヨシュアは、手にワインの瓶を1本とグラスを2つ持っていた。スタスタと全く躊躇いのない足取りで再び寝台のエリィのすぐ横に腰を掛けると、そのグラスを一つエリィに無理やり持たせる。そうしてワインを問答無用で注いだ。
「たまにはいいでしょ。飲みなよ」
そう言うと、今度は自分のグラスにもなみなみとワインを注いだ。そしてゆっくりグラスを回す様にしてワインの香りを楽しむと、そのまま口に運ぶ。
「ん。美味しい」
満面の笑みでワインの味を楽しむヨシュアに、つられるようにしてエリィも一口ワインを口に含む。
「……不味い。渋い。辛いって言うか、喉痛い」
眉間に皺を思いっきり寄せてエリィが言えば、ヨシュアはプッと吹き出して笑う。ヨシュアが美味しいと言ったから飲んだと言うのに、すっかり騙されたエリィは不満気に唇を尖らせた。
「美味しいじゃん?」
「全然美味しくないわよ。飲むんじゃなかった」
「この味がわからないなんて、エリィは子供だなぁ」
「年下の癖に」
エリィがそう言えば、ヨシュアは口の端を上げてニヤリと笑って見せる。そしてランプの光にかざす様にしてワイングラスをゆっくりと回した。その濁ったその液体は、血の様に赤くて、透明なグラスを回す度に薄く線を付ける。それを楽しむように、遊ぶようにして眺めるヨシュアを見ながら、エリィは再び一口ワインを飲んだ。
「やっぱり不味い」
「そんな不味いかなぁ」
「どれどれ」
ヨシュアはエリィにサッと顔を近づけると、その唇の端をペロリと舐めた。その突然の行動にエリィは驚いて、その唇の端を手で押さえた。そしてすぐさま、怒った様に眉を吊り上げる。
「何するのよ」
「味見」
「同じもの飲んでるじゃなの」
「いや、余りにもマズイって言うから、味が違うのかと思って。でも、美味しいじゃん?」
悪びれもせずにしれっとした態度で言うヨシュアが腹立たしくて、エリィは右手の拳を握ると、そのままヨシュアの二の腕に真っ直ぐ突き出して叩いた。
「何すんの」
「頭来たから」
「もっとして欲しいならしてあげるけど?遠慮しなくていいよ?」
「そんな事言ってないでしょ!」
苛立ち紛れに、手にしたグラスにエリィは再び口を付ける。どうしてもおいしいと思えないその味に、うんざりとしたように顔を歪めると、ヨシュアは嬉しそうに笑った。そのまま何も言わずに、ヨシュアはグラスをあおってワインを飲み干す。その唇が赤い液体でしっとりと濡れ、妙な色気を感じさせた。その色気に当てられた様にエリィがそっぽを向くが、ヨシュアはまるで気付かなかったように、ワインをグラスに注いで一気に飲み干した。
「……ねぇ、エリィ」
「ん?」
「僕を、好きになってよ」
ヨシュアのストレートな言葉に、虚を突かれたようにエリィは黙って視線を戻す。エリィの視界に入ったヨシュアの顔はとても不安そうに見えた。これもあらかじめ予定された表情なのだろうか。そう考えている自分に気付いて、エリィは軽く頭を振った。疑い出したらきりがない。考え始めればまた泥沼にどっぷり沈んでしまうのはわかりきっていた。
「心配かけてごめんね」
「僕、そんなこと聞いてないけど」
「ヨシュアが心配してくれてるの、わかってるよ。迷惑かけてごめん」
「迷惑、とか思ってない」
エリィの言葉にヨシュアは不満そうな態度を表に出しながら、グラスにワインを注ぐ。そして再びワインを呷る様にして飲んだ。それを見てエリィはくすりと小さく笑う。そして小さく呟いた。
「……誰も好きにならないよ」
あと4ヶ月で死ぬ身で、とてもじゃないけど恋愛などする気にはならなかった。たった4カ月しかないからこそ、彼らを巻き込んで彼らの生活を変えるようなことをしてはならないと思ったのだ。
「そっか」
ヨシュアは小さくそう答えると、それ以上言葉を重ねる事は無かった。




