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夜の真ん中を飛んで行け  作者: 朝比奈和咲
4/5

白と黒と水の音

 横断歩道を、ひいといた?

「満月には気をつけて。常に黄色信号だから」

 少女は今度はにこりともせずに言った。

 そうだ。満月はそのまま黄色信号に化けるのだった。安全の青色に化けることはない。次に化けるのは赤色。

 横断歩道をひいといた? そんなことは今まで一度もなかった。

 だが、横断歩道で死んだ夢なら覚えている。満月の夜に長い長い横断歩道を歩いていたとき、ビー玉ほどの大きさに見えていた満月が私に向かって落ちてきたので、私は早く横断歩道を渡り切ろうと思い駆け出し、すると満月は途中で破裂し花火の火の粉のように散りながら落ちていくと(頭ん中サイレン発令中!)、呆気にとられて足を止めてしまった私の目の先に見えていた青色ランプの信号機にぶつかり、すると信号機の黄色と一体化し、青色は黄色信号に変わり、火の粉は全ての信号を黄色に変え(駆け足は一度止まると動かない)、あとは赤信号になる前に渡りきろうとしてスピードを上げたトラックに横から轢かれ、高く弾き飛ばされたが痛みもないので意識はあり、ああ、俺はまた死ぬのかと思いながら頭から地面に転落して(コンクリーーーーーート!)、グシャリ(アハハハハ!)という音とともに、夢から覚めたのだった。

 だけれども、その時は少女の姿はどこにもいなかった。

 横断歩道でなくとも、満月は私をどうしても最悪の方法で夢から覚めさせる。例えば、月の引力によって空高く引き寄せられ、突然無くなり墜落していったり、または満月が近づいてきて地面だけが満月に吸い寄せられ、足元が崩壊して私は落下し、全く身体が言うことをきかずやがて真っ暗闇の中突然固い地面に落ちて足からの嫌な音とともに覚めたこともあった。

 そしてそこには必ず私とともに少女の姿があった。少女は空を飛べる。必ず私の手をつかもうとして空高くまで引っ張り上げようとするのだ。

 けれども、いつか手を放すのだ。

 やがて私が死ぬときになると少女の姿はもうどこにもない。

 現実の世界に引き戻される。現実の世界で思い返しても、いつから少女に出会ったのかも覚えていない。

 あれだけ何度も出会っているにも関わらず、私は少女の顔を覚えていない。小顔で色白なことは見た目で分かり、表情もはっきりと読み取れるのだが、目や鼻や口は見えているのに、どうしても覚えることができない。

 そんな少女が、浜辺に描かれた横断歩道の向こう側にいる。前回と同じく少女の顔はあるのだけれど認識できない。しかし、今回は少女が現れた瞬間をいま、はっきりと覚えている。

 大変な進歩だと私は思えた。なぜなら、この少女が現れることが、現実と夢の完全な矛盾になるのだから。

 姿を見た瞬間、私はこれは夢だと思えるようにする。そして少女から逃げて夢から覚めるまで思い続ければいいのだ。 夢だ、覚めろ、夢だ、覚めろ、と。

 だけれども、私はそんなこと今までどうして学ばなかったんだ?

 いや、そんなこと前にもなかっただろうか?

 何を混乱しているんだ、私は?

「今度こそ、うまく渡り切れるはずよ」

 何かを知っているように、少女は言った。

「消えていった水の音はどこへ消えていった?」

 何かを知っているように、少女は言った。

「満月には気をつけて。常に黄色信号だから」

 そんなことは知っている、と私は思った。

 少女は私を見つめていた。私は口を開こうとした。

 すると、少女はゆっくりと最初の白縞を踏み、私を見ながら渡り始めた。黒縞を忌み嫌るように慎重に避けながら、白縞だけを踏んでこちらへゆっくりと近づいてくる。

 近づいてきても彼女の顔がまるで分からず、だけれども、どうにも彼女は怯えながら渡っているように見えた。

 怯えているなんて、どうしてだろうか、見ていると落ち着いた。

 青色の光が見え、少し上を向くといつの間にか信号機が何本もの細長い糸で空から吊るされていた。

 そして背後でトラックが過ぎ去っていく音が確かに聞こえた。

 振り返りそうになったが、少女から目を離したら死ぬ。今までの経験から導き出された答えの一つだ。

 あれ? ではどうすれば少女から逃げ切ることができるのだ?

 少女と私の距離はあと四本分の白縞となっていた。ふと足元見ると、いつの間にか私も白縞の上に立っていた。そして、まるでここが横断歩道の真ん中らへんのように感じられた。

 白縞が残り三本となったところで、少女は足を止めた。

 表情は青ざめていた。肩で息をするのがはっきりと見えた。

 私が考えていた想像とは何かが違っていた。

 襲われるだろう、と考えていた。が、まるで私が少女を襲っているようではないだろうか?

 そんなことはない。だって、この夢の中では初対面ではないか。

「なあ」

 こうして話しかけることも、久しぶりのような気がする。

 私の声に少女は驚いた様子を見せ、そして安心したかのような表所を見せた。まるで、拾われたばかりのようだ。

「大丈夫か? あまりにも顔色が悪い」

 少女は首を振った。

 信号がさも当然のように黄色に変わった。

 横断歩道が水平線まで伸びていた。海の波の上をゆらゆらと揺られながらも、縞模様だけはきちんと乱れていなかった。

 いつの間にか、縞模様の線の幅が広くなっていた。先ほどまで少女のところまであと少しだったが、今では遠い。

 赤色に変わった。

 糸が切れたように、満月が落ちてきた。

 逃げなければ。しかし、彼女から目を離したら終わる。後ろ走りするか、と咄嗟に思い付いた。

 少女はせき込み始め、息も切れ切れになり、その場で前のめりになった。喘息の発作に苦しめられているように見えた。

 満月は三つに分裂するのが見え、そのうち二つは横へ逸れていく。するとクラクションの音が向こう側から聞こえた。気が付けば横断歩道と垂直に交わるように、車道の中央線が引かれていた。

 何かを理解した。

 勝手に体が動いた。少女のもとへ。

 フロントライトの光が強くなっていく。くの字に折れた彼女の影が伸びていく。

 あまりにも遠い。間に合わない。

 届け。手を伸ばした。

 大型のトラックが視界に入った。

 こちらを見た少女は青ざめている。

 届け。届かない、無理だ。

 ちくしょう。ふざけるな。

 その瞬間、私はこの世界が夢なんだと、思った。

 絶対に届く。絶対に。


 何がなんでも助けてやる。


 時間が遅くなったのか、私の動きが早くなったのか。

 私は彼女の手をつかむと同時に思いっきり引っ張って、少女を助けようとした。だがトラックの衝突はもはや避けられそうになかった。しっかりと、私がどうなるか想像できた。

 不思議と冷静に、私は小さく薄くまる彼女を守るように抱きしめていた。身をかがめた彼女を上から覆いかぶさるように、できる限り彼女に衝撃から守れるように、と

 クラクションも鳴らさず、タイヤと地面がこすれる音もさせずに。

 思わず、強く抱きしめた。

「私と夜の真ん中を飛んで」

 腕の中で少女はそうつぶやいた。こっちを見て、顔色を変えて。

 鈍い衝撃音とともに、私は少女と共に飛ばされ、夜の空へ高く舞い上がり、やがて海のほうへ放物線を描いて上がっていく。

 上がりきると、次第に落ち始めた。

 それはおそろしいほどにゆっくりとなった。

 夢の世界なのだから、全く不思議ではない。時間が遅く進むようになった。それだけだと思った。たった、先ほども経験したことだ。

 少女は私の腕の中からするりと下へ抜けた。そして宙返りをして体勢を整えたかのように見えると、私よりさらに半身だけ高く飛び、私と対峙した。

 そして私に手を差し伸べた。

「さあ」

 私は知っている。少女の手を掴んだらどこまでも高く飛んで行けるということを。

 だが、いつか落ちなければ私は現実に戻ることができないことも、経験から知っていた。

 私は迷わずに首を振った。私は高く飛ぶことよりも、傷つかぬうちに落ちることを選んだ。幸い、下は海なのだから。

 彼女は私の拒否を受けて、悲しそうな顔をした。

「そして、またあなたは落ちていってしまうのね」

 私はもう落ち始めていた。

 もう手を伸ばしても、少女の手に届く距離ではなかった。

「どうして? 夜の真ん中を飛んでいけば、もうこんな目にも合わないですむというのに」

 ふざけるな。お前が私をこんな目に合わさなければ、それで済む話ではないか……。

「でもね、また会いましょう」

 会いたくもないさ、ちくしょう。

 哲学的にめいた夢の話か、解釈は人それぞれだ。だが、夢の話だ。誰も得しない、損もしないか。考えるほどバカらしいことは知っているさ。だけれども、考えるよりも身体が動くこともあるではないか。夢の世界でも身体が優先されるのか。いや、本能か。

 夢の世界だとわかっているから、こうしてハッピーエンドに向かえたのかもしれない。

 溺死へ。


 少女の姿が現実の満月と同じほどの大きさになった。

 夜の真ん中を飛んでいく少女を、私は落ちながら見ていた。

「消えていった水の音は、全て――」

 海に落ちた。背中から落ちた私は、大した痛みもなくそのまま海へ沈んでいく。

 口のなかに血液の味が広がっていく。


 海が消えた。私は、私は!

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