第五幕 死の毒杯
いつもより少し長めです。
「では、わしも腹を決めるとするか。たとえ行き先が地獄であろうと、ともに歩まんとすることをこの頑堅、ここに誓おう」
「感謝致します、頑堅殿」
「おいおい本当にいいのか、おっさん。俺はあんたの主を殺した相手だぜ? 一緒にやってけんのかー? まあ、どっちに転ぼうが俺は面白そうだからいいけどよ」
成り行きを見守っていた炎雷は、にやにやしながらそう頑堅に問いかけた。
「はっ、小童が。わしはこれでも武人の端くれだ。国の為にと、奪ってきた命は数えきれん。今更、人をどうこう言える立場ではないわ。それに、おぬしは李鳳殿が国の為に役立つと判断した男。であればわしもそれに倣うまでのこと。もし、李鳳殿がおぬしを使えぬと断じたら、わしが即刻切って捨ててくれるわ」
「ふん、言ってくれる」
炎雷はなにが楽しいのか、にやにやと笑う。
「では、わたしたちは少し席を外すが……」
「わかってるさ。ここを離れるな、だろ? まだ何にも面白いことが起きてねえんだから、どこにも行きゃしねーさ。あんたらが戻ってくるまで、せいぜい寝て待ってるとするか」
そう言うと、炎雷はごろりと横臥した。
それを見てから、李鳳と頑堅は伴って室を出た。
「……あれは、どういった人間なのか。粗暴なようだが、周りをよく観察している様子が窺えた。突飛な考えの持ち主なのであろうが、器はきっと大きいのだろう。はっきり言って、わしには計りきれんものを感じたわ」
歩を進めながら、頑堅はそう漏らした。
「……頑堅殿」
「ああ、誤解されるな、李鳳殿。だからどうこうとは今更言わん。わしも現状はわかっておる。国の強化は一国の猶予もならん。斉衡の王位継承時の二の舞を繰り返す愚も犯せぬことも。ただわしは正直そう先を見通す力には長けておらんのでな。どうこう言うことはできぬから、李鳳殿のお決めになったことに、微力ながらも全力を尽くすと約束しよう」
「いえ、頑堅殿のお立場を考えれば、こちらが無理を言っているのは承知の上。ただ、わたしはどうしても頑堅殿のお力が必要なのです。武官の長として、皆にも慕われている、頑堅殿が……」
「それは光栄ですな。ではしかし、もしわしが首を縦に振らなかったらいかがするおつもりでしたかな?」
頑堅は少々の悪戯心を出して、そう問いかけてみた。
「……そんなことは思いもしませんでした」
「ほう、どうしてですかな」
「頑堅殿は、必ずお力を貸して下さると信じていましたから」
李鳳は誠実さの滲み出る声でそう答えた。
「この国をより良いものにしたい、そう思うわたしと頑堅殿の気持ちは、必ず同じ道を進もうとする。だからきっと、そういうことなのでしょう」
李鳳は口に薄い笑みを浮かべた。
「急ぎましょう。もう、皆様方がお待ちです。……仕込みは、すでに済んでおりますので」
そう言って足を速めた李鳳の背を見やり、頑堅は苦味が混じった声でぼそりと呟いた。
「衡の馬鹿が……。これはすべておまえが招いた結果なのだぞ。わかっておるか、聞いておるのか、衡…………」
あらかじめ指定してあった広間に頑堅とともに向かうと、そこにはすでに義国の主要な重臣らが揃いぶみだった。
「遅いではないか! 李鳳、ぬしが呼びつけておきながら!」
李鳳の姿を認めたなりの第一声がこれである。
その声を皮切りに、他からも不平不満の声が次々と上がる。
「申し訳ございません」
李鳳は慇懃に頭を下げた。
この場にいる人間には既に義王が害された旨は伝えてある。
今はそれぞれの胸の内で、色々な思惑が溢れているのであろう。
室の中は異様な空気に包まれていた。
次の王位は誰のものか。
その後見に立つのは誰か。
どの派閥につくのが正しい選択か。
どうすれば他の者を出し抜けるのか。
どうすれば……。
今まで、義王の感情の矛先になるのを恐れ、見向きもしなかった公子達の値踏みに余念がないのであろう。残っている公子達はまだ幼い。自身で政務が執れるようになるまではまだまだ時間がかかる。結果、力を持つのはその後見に立つ貴族や外戚である。
これが頑堅のような者だったら、李鳳にも不服はない。
しかし、現実は。
頑堅の家も古くからある家柄ではあるが、何分中央勢力には縁遠い家格である。
李鳳では若輩と侮られて終わるであろう。
実際にその席に近いのは、自分の私腹を肥やすことしか考えていない何とも醜悪な者達。
それでは困るのだ。
今、国を分裂させている猶予はない。
他国に、この国を侵されるようなことがあってはならぬのだ、決して。
「まあまあ皆様方、落ち着かれて。李鳳殿には義王の件では色々働いてもらって、大変だったのですから」
そう言ってとりなすのは義国天官長・冢宰の乾隆である。
実質百官の長である冢宰の乾隆が妙に低姿勢なのは訳がある。
乾隆を冢宰の任に就けたのは義王斉衡その人である。
理由は三つある。
まず一つ目は斉家と何の繋がりもないということ。自身の流れる血、斉家の血脈がもっとも信頼できなくなっていた斉衡にとって、自身の身近に控える人選にそれを考慮するのは、最も重大な点であった。
次に二つ目は、乾隆その人の穏やかな人間性である。
最後の三つ目は、もともと冢宰の役には李鳳を充てようと考えていたのを、その年齢の若さゆえに周囲に反対され、ではせめて李鳳が動くのに支障がない者を、とのことからの配慮による選択であった。
家格でも、実力によるところでもなく、また性格の上でも最上官位に就いた自身に、乾隆は馴染めないでいたのだ。
「やあ皆様方、まこと遅れてしまって申し訳ない。実はわしが李鳳殿のお手を煩わせてしまいましてな。ご容赦頂けないか」
そう乾隆の言葉の後を引き受けたのは頑堅である。
冢宰と大司馬に頭を下げられ、苛立っていた臣らは口を噤んだ。
「皆様方、本日ここにお集まり頂いたには訳があります。すでに、御存じでいらっしゃるかと思いますが……」
李鳳の切り出しに、周囲は息を呑む。
「義王が崩御されました。弑されたのです。義王を手にかけた者は残念ながら、未だわかってはおりません」
途端、ざわつきはじめる。
「現在秋官長大司宼に検問をかけてもらっているので、ほどなく捕らえられるかと思います。ですから、どうぞご安心ください」
頑堅はその李鳳の言葉で、刑罰を司っている秋官も李鳳の手の内か、と推察した。
そしてそれは、間違いではなかった。
「そ…そうか。ならばわしらが考えるのは次の段階じゃの」
「そうですな、今義国には世継ぎはおらんのも同然。葉容殿下はまだ政務を行える年ではないですし、ここはやはり超妃の公子を王に据えて、超妃の父君であられる超殿に後見役として……」
「いや、それならば葉容公子で構わぬはず。後見であれば、よろしければわたくしめが引き受けまするぞ」
「待て待て、それならいっそ……」
出遅れてはならぬとばかりに、利権争いに火がつく勢いである。
その私利私欲に走る姿は、とても醜い。
その様子を李鳳が冷たいまなざしで見ていることを、ごく限られた者しかわかってはいなかった。
「事が事だけに、話は長引くと思います。ですから、その前にお茶でも一服いかがですか。それから、再度ご思案なされるのは」
李鳳のそんな提案に、それまで互いの腹を探りあっていた臣達は同意した。
李鳳が合図をすると、さっと茶が運ばれてきた。
「ほう、いい香りのする茶ですな」
そう、声が漏れるくらいによい香りのする茶であった。
温度も最適、まさに飲み頃である。
次々と自らの前に置かれた茶碗に口をつけていく。
それを確認してから、李鳳も自分の碗の茶を飲み干した。
「……では、皆様方にぜひ、お願いしたいことがあります」
李鳳はゆっくりとそう切り出した。
「義国は義王斉衡陛下を失い、今は大事な時期にあります。ここで誤るわけにはゆきません。この国、この国の民の為、……皆様にはここから退いて頂きます」
「ぐ……?」
突然臣の一人が、口元を押さえ急にその身体を傾げた。
「な、何……」
「……がっ」
次々に呻いては倒れ崩れていく。
中には、口から血を零す者もいた。
「は……っ、り、李鳳、貴様……謀りおったなあ……!」
事の次第に気がついた一人が、李鳳を憎悪のまなざしで睨みつけ、掴みかかろうとしたが、かなわずそのまま事切れた。
ほんのわずかな時間に、広間はあっという間に幾多の骸で埋め尽くされたのだった。
「李鳳殿……、これで、本当に良かったのですかな」
そう言って歩みよってきたのは、冢宰の乾隆である。
今この場にいる生者は乾隆に李鳳、それに頑堅のみであった。
そのように人を集め、そうなるように茶に仕掛けをしたのだ。
すでに、混乱、謀反が起きないようそれぞれの家にも手を打ってある。
ある家には後継になる予定もの者に話をつけ、ある家は一家総出で捕らえる。
秋官を動かしていたのは事実であった。
しかし、秋官は斉衡を弑たものを捕まえる為ではなく、この為に動かしていたのである。
「これで、貴殿の計画に邪魔になる者の大半はいなくなったわけです。いささか、乱暴すぎる手段であったことは否めませんが」
「乾隆殿」
頑堅がいささか苦い声色で冢宰の名を呼んだ。
それに、乾隆は疲れたように首を振った。
「いや、責めているつもりはありません。そう聞こえたのであれば、わたしのうちの呵責がそうさせたのでしょう。わたしとて協力した身、いわば同罪です。それに李鳳殿には一片の私欲もない、その李鳳殿がお決めになったこと。ですから、わたしも協力いたしました。どうせ、後々血に染まる日々が訪れるのなら、さっさと終わらせてしまった方が良い、と。……しかし」
重い息を吐くと、乾隆は続けた。
「わたしは冢宰の任を辞したい」
「乾隆殿!」
頑堅が驚いたように声を上げた。
「ああ、勘違いしないでもらいたい。任命する王が不在の今、すぐに辞めることなど出来ないのは百も承知です。ただ、それが可能になった段階で、わたしは李鳳殿へその役目をお譲りしたい」
「…………」
李鳳は黙って乾隆を見つめている。
「もともとわたしには過ぎた役職だったのです。それは、李鳳殿が一番よく御存じでしょう。それに、わたしは名前だけの冢宰で、実質その役割をこなしていたのは李鳳殿でしたし、今更でしょうが……。それに……」
乾隆は悔恨のような、何かを懐かしむような笑みを口元に浮かべた。
「わたしはもう疲れました。わたしはお若い李鳳殿よりも、頑堅殿よりも、長くこの宮中におりました。その分、いろんなことも見てきました。斉衡様の時もいろいろありましたが、そのお父上の即位の際にも血生臭いことが起きました。何度も同じことの繰り返しなのです。けれど、斉衡様が即位されて、祭妃を迎え、他の貴妃、公子、公主、次々と王家の人数が増えていき、皆様方がとても才能豊かで、愛らしく、とても仲がよく、なんと理想的な王家であろうとわたしは誇らしく感じておりました。通常は斉衡様の代のように跡目争いで揉めてもおかしくないところを、他の妃は正妃である祭妃を立て、祭妃は他の妃を思いやり、太子であられた燵様は他の公子公主の面倒をよく見て、他の御子様方は燵太子をとても慕って……。それまではいろいろあったけれど、きっとこの幸福は永遠のものなのだと……」
頑堅にも通じる想いがあったのか、閉じた目に浮かぶ光景に痛々しい表情を浮かべている。
「けれど、その幸福は一瞬にして崩れ去りました。わたしは、もう嫌なのです。官としては失格かもしれませんが、この件が片付いたら官職からも退いて、後はもう若い次代を担う方々にすべてを引き継いで頂き、わたしは田舎にでも移ってこの残り短い生が終わるまで、静かに暮らしていきたいと思います」
それきり、乾隆は口を噤んでしまった。
李鳳はしばらくそんな乾隆を黙って見ていたが、やがて深く腰を折った。
乾隆の意に心からの感謝を表して。
言葉は発しなかったが、そのためより一層李鳳の想いが伝わるようであった。
いつか番外で妃や燵太子の話書きたいです……。




