第三幕 義王斉衡崩御
気分悪くされたら申し訳ございません。
ですがこれは基本こんな感じの話です。
「李鳳殿! 李鳳殿はおられるか!」
どすどすと地響きを轟かせながら勢いよく扉を開け、そう大声を張り上げたのは、声に違わぬ巨漢の大男である。豪快な髭面に、前にせり出した太鼓腹、仁王像もかくの如しといった姿である。
姓は頑、名は堅というこの男は、義国夏官長大司馬の冠位にあるが、気さくで面倒見が良く、自らの地位を笠に着るようなこともないので、下の者よりずいぶんと慕われている。
頑家は義国の古参の名家であるが、頑堅は相手出自を問わず才のある者、努力を惜しまぬ者を取り立ててきた。
それが、国を良い方向へと導くと信じて。
また、その信念は李鳳にも言えることである。
その為、李鳳と頑堅は年の差はあれど、友好的な関係にあった。
「頑堅殿、よくぞ参られた」
李鳳は軽く頭を下げ、自分の倍以上の体格はある相手を出迎えた。
「李鳳殿! 王が、斉衡が身罷られたというのはまことか!」
「頑堅殿、いま少し声を抑えられて下さい。一応、人払いはしておりますが、まだ一部の者にしかこの旨は知らせておりませぬゆえ……」
「うむ…すまない。して」
「確かな事です。わたしがこの目で確認しておりますので」
「では、その死が侵入者によるものというのも……」
頑堅の問いに、李鳳は頷く事により答えた。
「斉衡……、あの馬鹿が!」
唸るようにそう声を絞り出した頑堅は、拳を壁に叩きつけた。
「だから言っていたのだ。本来王たる者は、宮廷の奥深くに室を整えるものだ、と。それを血の繋がった者が一番信用ならんなど、血迷いおって。あんな端に楼閣を造って籠城の真似事のような真似をしおるから……」
義王斉衡と頑堅は若き日よりともに酒を酌み交わす仲であった。
斉衡も誰よりも家臣として、友として、頑堅を信頼していた。
その頑堅をしても食い止められなかった、斉衡の愚行、いや凶行。
それは、身内殺しである。
斉衡には世継がいない。否、現在すぐに後を継げる者、といった方が正確であろう。
原因は斉衡にある。
斉衡は元々、賢帝とも愚帝とも評されない凡庸な王だった。
しかし、彼の長子・斉燵は非の打ちどころがないほど優秀であった。
よく学び、武芸を仕込めばこれもよく、礼にも通じ、温厚で思いやりもある。
しかも、斉燵は義国皇后祭妃が生んだ実子である。
本人の資質・血統ともに、これ以上はないと言ってもいいほどであった。
そんな太子に、斉衡も他の者に違わず、自身の子の成長を楽しみにしていた。
ただ、斉燵の成長に伴い、密やかな声が斉衡の耳にも入るようになった。
斉燵が義王になった時が楽しみだ。
太子が早く義王になればいいのに。
義では生前に位を譲る譲位の制度はない。斉燵が義王になる、それは同時に現義王である斉衡の死を意味する。
たとえそうであっても、本来ならそんなに目くじらを立てることでもない。それほどに優秀な世継ぎに恵まれたということなのだから。
誰かが斉衡の暗殺を企てているわけでもなく、斉燵は実子で何より父である斉衡を慕っている。
しかし、斉衡は平静でいられなくなった。
斉衡の中にそれまで眠っていた暗い疑心の芽が芽吹いたのだ。
実は、斉衡は本来王になるはずではなかった。
王の息子の中の末弟として、気ままに日々を過ごしていた。
何の不満も不安もなく、身の丈にあった幸せ。彼はその日々がずっと続くと信じていた。
しかし、平安な日々は突然壊された。
世継ぎである太子が、長兄が自刎したのだ。
それも、弟である次兄を殺害した上で。
初めから、そう仲の良い兄弟ではなかった。
理由は後継問題であった。
優秀で生母の位も高い次兄を跡に推す一派がいたのは確かだった。
しかし、跡目争いで殺しあうほど憎みあっているとは思わなかった。
斉衡は衝撃を受けた。
だが事はそれだけでは終わらなかった。
今度は長兄・次兄が亡くなったことで急遽時期王座の椅子が転がり込んできた三兄より命を狙われるようになったのである。三兄も上の騒動を見て疑心暗鬼に襲われたのだろう。自分が消えれば次期の王は四番目の息子である斉衡だ。ならば、いつ自分の命が狙われてもおかしくない。いや、きっとそうなるであろう。そうなる前に、先手に出なければ。
その暗い思念はかつての長兄のように、急速に三兄を蝕んでいく。
何度、命を狙われたかわからない。
だが、そんな日々は突然終わりを告げた。
斉衡を死に至らす前に、三兄はちょっとした事故が原因で、自ら命を落としたからである。
結果、最後に残った王の息子は斉衡だけになった。
斉衡は王になった。
しかし、それは斉衡が望んでいた未来ではなかった。
斉衡の望みは、ただ平凡に穏やかな気持ちで毎日を過ごしていくことだけであったのに。
その一連の経緯は、誰にもわからないところで深く、斉衡の心に傷跡を残していた。
傷はそのまま放っておけばやがて膿んで自らを蝕む毒になる。
ずっと潜んでいたその膿が噴き出す原因となったのが、自身の息子である斉燵の風聞であった。
誰にも見えない、誰にもわからないところで進んだその病は、突如最悪な形で姿を現した。
ある日、父王に呼ばれ、「父上」、と微笑みながら礼をした斉燵は己の身に何が起こったのか知る由もなかったであろう。
いきなり、その父に剣で切りつけられ絶命したのだから。
斉燵はまだ十七歳であった。
「な……何を、父上、何故……!? あ…兄上、兄上! どうか、兄上、ああ……!」
倒れた斉燵に最初に駆け寄ったのは、斉燵より二つ年少の腹違いの弟であった。
母は違えど、弟は優秀で優しい兄によく懐いていた。慕い、いつもそばに付き従い、先は国を背負って立つ兄の右腕に成るのだと、それが目標であり夢なのだと語っていた。
兄は頼もしいなと笑って、微笑んでくれた。
それが、弟の何よりの喜びであった。
その日も、いつものように、当然の如くそばにいた。
その目の前で起こった凶行であった。
「嬉しかろう、これで太子の座はそちのものだ」
「父…上? 何を……」
言われたことが理解出来ない。
この人は何を言っているのだろうか。
目の前の状況が現実のものとは思えない、と恐怖と混乱と、嫌悪と憎悪。そんないろんな色で濡れた息子の瞳を見た斉衡は、ぐしゃりと顔を歪めた。
「お前もか。お前もなのか。……ならば、お前も兄とともに逝くがよい!」
その言葉とともに、斉衡は兄の亡骸を抱いた弟を同じように切り捨てた。
斉衡が何を思い、何を見ていたかはもうわからないことだ。
その後は、堰崩れるような勢いで平穏は壊れていった。
まずは、斉衡のその行いを咎めた皇后祭妃が処刑され、その累は祭妃の親族方にも及んだ。
次は、兄とともに殺された弟の生母である側室の奏妃が牢獄の末、自刎。
斉衡を諌めようとした斉衡の実姉である公主は流刑。
身の危険を感じた斉衡の三男とその母君は謀反を起こす直前で事が白日に晒され、手酷い拷問の末息絶えたという。
何とか父王の乱心を治めようとした斉燵と母を同じくする公主は、身分剥奪の上、都から追放の処分が下されるも、刑の執行の前夜に自ら城内の池に身を沈めた。
まさに、それは地獄のようであった。
遂に、斉衡は自身の子供が十二に達したら男女の区別なく絞首と宣言するに至る。
これに対し、もともと身体の弱かった四男は一連の状況が病を悪化させたのか永久の眠りにつき、その母である苑妃は斉衡に呪詛の言葉を吐きながら、息子の後を追うようにして亡くなった。
後に残ったのは生母を早くに亡くした五番目の公子と、侍女から側室に召された妃より生まれたまだ幼い公主。それにまだ乳飲み子である六番目の公子だけであった。
すべてを殺してしまって、義王の跡を継ぐものはどうするのか。
それに、義王は自身がこの世を去った時、残っていた者に王座はくれてやるとのたまった。
その為に、十二の年までは生かしてやるのだと。
すでに、それは狂気の沙汰だった。
が、何故か斉衡の乱行はすべて血族、ないしはそれに連なる者限定であった。
家臣や民にはその刃は向けられない。
斉衡にとって、何よりの敵は身内にこそあったのである。
たとえそれが、過去の傷から膿んだ歪んだ真実であったとしても。
李鳳も頑堅も、その他の家臣も義王の凶行を止めようと苦心したが、留めきれるものではなかった。
なにしろ、斉衡は義の国の『王』なのだから。
そして、多くの者は恐れてもいた。今は自分の血族だけに向いているその刃が、いつかは自身の喉下に突きつけられることになるのではないか、と。
やがて、斉衡は城外れにある楼閣に籠もり、ほとんど外に出なくなった。
必要なことはすべて天官である李鳳か、幼馴染である頑堅へ。絶対の信頼を寄せるこの二人を通すようになっていった。
頑堅は、このままではいかん。どうにかしなければ。だがどうすれば……、そう悩みを募らせていた。
そんな中、齎された火急の知らせ、それが……。
『義王斉衡崩御』の知らせであった。
毎日少しずつ書き進めてますが、これ終わりまでいくんだろうかという遅さで進んでおります。ご容赦くださいませ。




