第十四幕 亡羊の嘆
因みに李鳳と李学生は、姓は同じですが血縁一切なしの関係です。
「李学生、冢宰李鳳閣下によるお召しにより、ここに」
李学生は平伏しながら、何故今ここに己が呼ばれたのかを、混乱気味の頭で整理しようと努めた。
しかし如何せん情報が足りなさ過ぎる。
直属の上官に冢宰からお呼びがかかっていると言われた時には、何の冗談かと思った。
そう伝えた上官自身も訳がわからぬといった表情をしていた。
当然だろう。
如何に変人との呼び名が高かろうと、李学生は仕事上でヘマをしたことも、その逆に目に見える手柄を立てたこともない。
百官の長である冢宰に直々に呼び出される理由はどこにも見受けられないのだ。
「顔を上げよ」
そう声をかけられ、李学生はゆっくりと上身を起こした。
顔を上げ目に映ったのは、義国王斉葉容、義国天官長冢宰李鳳、義国夏官長大司馬頑堅。いずれをとっても錚々たる顔ぶれである。
少なくとも、一介の散官如きが直に相対する相手ではない。
李鳳の横には見慣れない男の姿があったが、これが最近噂に聞く炎雷という男なのだろう、と李学生は当たりをつけた。
突然その姿を現し、武官の長である大司馬と行動を共にしている得体の知れない男の正体をいつかは知りたいと思ってはいたが、それは今この場で問題視するものではない。
また、李学生は頑堅の少し後に控えている頑頼の姿を見止めて、心中で舌打ちをした。
(ここから、漏れたのか)
話が右の耳から左の耳へと素通りするだけの単細胞だと思って油断し喋りが過ぎた。
李鳳は使えると思った人材は身分・官位の上下に拘らず、重用すると聞く。
今回は自分の目でそれを見極めようという、その場なのだろう。
本来であれば立身出世のまたとない機会。
しかし李学生は露ほどもそんなものは得たいとも思っていない。
(さて、どうすれば上手くすっ呆けられるものか……)
李学生は、深く息を吸い込むと、頭を冷やして次の展開を待った。
最初に声をかけたのは李鳳である。
「李学生、そなたの噂を耳にした。ずいぶんな博学の持ち主だと聞いている。また、いろんな役立つ情報も持ち合わせているとか」
「いえ、滅相もございません。わたくしなど、子供の児戯にも等しいような考えしか持ち合わせておりません。とても冢宰のお役に立てるものではないかと存じます」
「謙遜なら必要ないぞ」
「いえ、謙遜などと。本当のことを申し上げたまでです。どこのどなたからお耳に入れられた根も葉もない噂かは存じませぬが、たまたま己の知らぬことを耳にした時、その相手が大きく、知恵者に思えるまでのこと。その者も、そう感じただけかと思われます。本来の博識者の前に出たら、わたくしなど鼻で笑われる程度のもの。誓って嘘偽りなどではございませぬ。どうか、お聞き届けを」
そう言うと、李学生は深々と頭を下げた。
伏せた顔の下で、李学生はギリッと歯を喰いしばった。
(本当に、冗談じゃない)
出来るだけ近くで、物事に推移を眺めているのは楽しい。記録されたものは所詮記録、記録者の私情を完全に排除できるわけではない。直接その目で見られるのであれば、それに越したことはない。
しかし、それはあくまで完全に第三者でいられることが前提だ。
当事者になりたいというわけでは決してない。
李学生が求めるのは、実際に起こったことを知り、その原因や過程を分析することであり、自ら選び、開拓する道ではない。
しかも李学生が見るに、ここ六国の動きから、些細な紛争はあれど六国が入り混じる本格的な争いがほぼなかった安寧の時期は過ぎ、近々戦乱の世になる可能性が非常に高いと思われる。
だから、李学生はこの義の国が本格的に不味くなったら、さっさと逃げ出せはいいと考えていた。
愛国心などこれぽっちも持ち合わせてはいない。
引き留める家族もいない。
だから、そう安易に思っていた。
しかし、事の当事者になれば、そうそうそういうわけにもいかなくなる。
戦いの道であれば、勝ち続けることが必至となろう。時には負けることがあっても、それは計略の範囲内、想定でのことでなければならない。
そして、勝ち続ける道が容易ならざることを、李学生は過去の歴史から学んでいる。
(ああ、考えれば考えるほどに関わり合いになりたくはない)
たとえ、頑頼が李学生のことを漏らしたにしても、あの中身が詰まっているか怪しいほどの軽い頭から発せられた内容だ。精々が「あいつはものをよく知っている」くらいのものであろう。
だったら、しらを切り続ければ何とかなる。
この時、李学生はそう確信していた。
「李学生、李学生」
と、突然頑頼がその場にそぐわない能天気な声音で呼びかけてきた。
「……?」
眉根を寄せた李学生に、頑頼は何かを掲げて見せた。
その手にあるのは、どうやら小さな鍵のようである。
手に持つ部分が少し特殊な細工が施されたそれは……。
「……!」
その正体がわかった途端、李学生の喉がごくりと鳴った。
それは、義の国の漏洩厳禁の禁書や、義国の裏の裏の内情まで書かれた史書や、大事な案件等を記した書などが収められている書庫の門の鍵であった。
その扱いは冢宰である李鳳や、春官長大宗伯など、限られた人間しか持つことを許されないもののはず。
本来はその鍵の形状すら李学生の知るところではないが、執念で調べ上げた。
だが、李学生がどんなに望んでも入ることは叶わなかった、李学生にとっての宝の山である場所への入口の鍵が、すぐ目の前にある。
(欲しい)
目が釘付けになる。
喉から手が出るほどにそれが欲しかった。
「李学生よ」
そこで、李鳳は李学生の名を呼んだ。
「その鍵はそなたに預けよう」
「……!」
思わぬ言葉に、李学生は目を見開いた。
「ただし、そなたがその資格ある者として、その働きを示してくれたのなら」
(…………くっ)
すっ呆けるのであれば、これは諦めろということだ。
手に入れるのであれば、手の内を晒さなければならない。
そして、一旦取り込まれたら、途中退場は許されないだろう。
ならば、話は簡単だ。
鍵は、諦めればよい。
しかし、最初から手に入らない物と諦めるのと、手に入るかもしれない状況で諦めるのではわけが違う。
あれがあれば、より李学生の知識への探求心を満足させてくれるであろう。
人によってはたかがそんな、と笑うかもしれない。
しかし、ある者が人の心を、ある者が金銀財宝を、またある者が地位や名声を望むように、李学生のそれは少し他の者と違うだけなのだ。
望む心に違いはない。
それを、逆手に取られた。
今、どうするべきか。
恐らく、ここで鍵を諦めれば李鳳はそれ以上は追ってはこないだろう。
役立つ駒は欲しくとも、無理に従わせることは是とはしない男であろうから。
もちろん、状況によってはその選択も変わるであろうが、今はないとみてよい。
だから、この場の選択権は一応李学生の手にある。
何を取るべきか。
何を取らざるべきか。
何を諦めるべきか。
何を……。
ブチッ。
その時、李学生の頭の中で、何かが切れる音がした。
李学生、選択の時。
次回に続きます。




