第十一幕 楚良王の故事
お久しぶりです。
今回の話は仁の国(国というか冷泉帝の語り)です。
「信の楚良王の故事は知っているか」
そう問いかけるは白亜の宮城の主、冷泉帝である。
仁の国の王が住まう居城は端的に言うと、華麗、の一言尽きる。
代々の王が派手好みであった為、改築改修装飾が繰り返され、それは他国の追従を許さないものになっていた。
また現在の王座に座する仁王冷泉もその華美な装飾に埋もれることのない存在感を放っている。
絹糸のような長い髪を緩やかにまとめ、肌は透きとおるようなきめ細やかさ、その容色は冷たい氷のような美貌で、まるで絵画から抜け出してきたような姿である。
その酷薄な唇から発せられる声も、響きの良い音楽のような調べである。
その身に纏うのは金銀の刺繡が施された美しいもので、冷泉にはよく似合っていた。
冷泉が座する玉座は謁見の間の最奥にあり、その前には階段が設けられ、数段高い場所から相手を見下ろせるようになっている。
王座の後ろは露台になっており、その遥か下は大広間になっている。
普段、冷泉はこの玉座に座していることが多い。
知る者は知っている。
この玉座が血に塗れたものだということを。
冷泉のそばに控えるのは、側近の莫垂である。
莫垂は背が高く、スラリとした涼しげな容姿をしている。
王座に座する冷泉帝と、その横に付き従う莫垂の姿は、まさに一枚の絵画のようであった。
その冷泉が、ふと思いついたようにそう口にしたのを、莫垂は視線だけで返答を返した。
信の楚良王、それなりに学を修めた者なら知らない者はいない。
彼の人は信の国の王制廃止、現在の議会制発足の原因となった人物なのだから。
信の楚良王。
彼の人はもともとは市井の生まれで王族でも何でもない。
彼が生まれた頃の信は荒れに荒れていて、その腐敗は信王の悪政よりきていると言われていた。
打倒信王の組織が生まれては消されていく、それを何度も繰り返される中で皆の願いを成就させ、成し遂げたのが楚良であった。
大衆から歓迎の声で迎えられ、楚良は望まれるまま王座に就いた。
それが、間違いのもとだとはその時はまだ誰も知る由がなかった。
楚良王が変わったのは、王座に就いてからそれほどの時間は要さなかった。
それはまるで、豹変と言っても差し支えないほどの変わりぶりであった。
それまで、人を守る為剣を手に取ってきた彼が、ただ人を傷つける為にそれを振るうようになったのだ。
それはまるで、壊れた歯車が止まる術を失ったかのように、坂を転がり落ちる速度を抑えられないかのように。
先王以上に、血を求め続けた彼を止めることが出来たのは……。
「楚良王の幼馴染だという男だった、という話だ」
義軍を組織し、楚良を追い詰めた、その幼馴染。
楚良王最期の時、対面したのはその幼馴染の男であったという。
「その時の楚良王の想いはどうだったのだろうか。己を倒しに来たのが古き友人だったというその現実に。その幼馴染の気持ちはどうだったのだろうか。古き友人をその手にかけなければならなかった現実というものは。殺す者と、殺される者。そこにあったのが憎しみではないとしたら。どちらの方がより辛いのだろうか。残す者と、残される者は」
冷泉帝のその口調は、まるで物語を綴っているかのようである。
「楚良王とその幼馴染との最期の会話の全容は、はっきり伝わっているわけではない。だが、楚良王はその時こう言ったそうだ」
腐る。
次第に腐っていくのがわかるんだ。
足元から、指の先から、じわじわと。
浸食されていく。
王を倒す為、真っ直ぐに前を向いていた時には感じなかった。
倒した後、自分には進むべき道がわからなかった。
道を、見失った。
立ち止まった途端、腐りだしていく。
怖い。
怖かった。
それが、何より怖かったのだ。
「彼は、王になるべき人間ではなかったのでしょう」
莫垂はそう結論づけた。
楚良王が次に目指すべきは簡単なこと。
善政を敷き、国に、民に、良い王を目指すべきだったのだ。
それが出来ないのであれば、いくら人に推されても、王になどなるべきではなかった。
王になるべきではなかった人間が王になった為、起こった不幸。
適性不適正というものが、世の摂理にはある。
乱世の英雄が平世の英王になるとは限らない。
王になるべき人間と、ならざるべき人間も当然いる。
「そう、王になるべきではなかった……」
冷泉は手に顎をのせると、薄い笑みを浮かべた。
「そう言えば、隣国の義王斉衡が殺されそうだ」
「は……」
「あれも、王には向かない人間だったようだ」
王になるには弱すぎた、存在。
その弱さが、人を傷つけることもある。
強さが、人を傷つけることがあるのと同様に。
口元に笑みを浮かべたまま、冷泉は莫垂を肩越しに見て言った。
「さて、わたしはどうであろうな?」
莫垂は返答を返さないまま、「冷血帝」とも呼ばれる己の主を静かに見つめ返した。
冷泉も特に返事は求めていなかったようで、また視線を下に戻した。
「……人の命を奪う者が次には奪われる者になるは当然の摂理、か。では、その連鎖はいつ終わるのか。人は、己にされると憤慨したり、慟哭するようなことがわかりきっていることを、相手には容易にしてしまう。それは、己だけは例外と捉えるか、それともわかってはいても止められはしないのか、どちらにしても」
冷泉帝は嘲笑うような声色で、囁くように呟いた。
「どこまでいっても人は、本当に愚かなものだな」
次回はまた義の国へ戻ります。




