第十幕 知者の水と仁者の山
今回は早めに更新できました。
その日、信の喜家には二人の来客があった。
「やあ、子礼、賀陽。今日もいい天気だね」
にっこりとそう言って笑うその男は、がっしりとした体躯の大男であった。
「董将軍にかかれば、このどんよりとした空模様もいいお天気ですか。さすがです」
「はは、今日も手厳しいね、賀陽。変わらずにいてくれて嬉しいよ。そうだ、これは手土産だ。通りでうまそうな饅頭を売っていてね」
そう言うと、懐から取り出した饅頭の入った包みを賀陽へと手渡す。
「ああ、いいですね。ではお茶でも淹れますから待っててください」
賀陽は系統の違う笑みを返すと、お茶を淹れる為奥へと引っ込んだ。
男の名は董輝林、信の国が誇る若き将軍であり、喜子礼の古くからの友人でもあった。
その董将軍の腕には、小さな幼子がちょんまりとおさまっていた。
その幼子の名前は董花梨。
父とは似ても似つかない、可愛らしい女の子であった。
「こーちゃ!」
こんにちは、と言いたいらしい。
花梨は二歳になったばかりだが、まだ言葉はあまり話せない。それを補うのに余りあるほど、表情はくるくるとよく変わる。
今は嬉しそうに、にこにこと満面の笑みを浮かべていた。
「いらっしゃい、花梨。久方ぶりだね、輝林」
子礼も笑顔で出迎える。
その目は変わらず閉じたままではあったが。
「やあ、子礼。本当に久しぶりだ。会いたかったよ、本当に。もっと早くに訪ねてきたかったんだけど、なかなかに忙しくてね」
輝林はそう言って、はははと笑った。
「君達に変わりはないかい?」
「ああ、何も」
「それは良かった」
「たー」
父の語尾を真似るように、花梨はそう言って、きゃっきゃと笑った。
そんな花梨を見て、父とその友は穏やかな笑みを浮かべる。
「師匠ー? 早くお二人を中に通して下さいよ。お茶入りましたからー」
「ああ、賀陽が呼んでいるね。さあどうぞ、今日はゆっくり出来るんだろう?」
「ああ、そうさせてもらうつもりだよ」
「よー」
三人は子礼を先頭にして、屋敷の中を進んでいく。
子礼の足取りは確かで、傍で見ていたら目が見えないとはとても思えない。
屋敷の中を、完全に子礼は把握している。
座敷に通され、用意されていた座布団の上に腰を下ろすと、四人は賀陽が用意した茶と輝林が持参した饅頭とでしばらく雑談を楽しんだ。
「ところで、子礼はもう議会には戻ってきてはくれないのかい?」
「戻るも何も、一度も入ったことはないつもりだけどね。言われて、手伝いはしたことはあるけれど」
議会とは信の国を纏めている行政組織である。
かつて信の王制が崩れた時に、それを倒した民の手により作られた、信国独自の制度である。
兵・役人は基本的に志願制ではあるが、その頂点に立ち国の指導役となる「議会」と呼ばれる場に参加出来る者は、すでに議会の参加者の推挙か、信国の民の強い希望により参加が認められる。
目は見えなくても、博識で頭の切れる子礼に、「議会」からは何度も入会の申し出がされている。
しかし、子礼はその度に断りを入れている。
稀に、どうしてもと求められ、助言などをしたことがあるくらいだ。
「いつも言っているだろう。わたしは平穏に過ごしたいのだよ。国を動かす場には人が集まり、人にはそれぞれの思惑がある。そして、それは綺麗事ばかりではないだろう。わたしには、それがたまらない。わたしは、ここで見守っているだけでいたい。それは、輝林もわかってくれていただろう?」
「ああ、わかってはいる。だが、現実は綺麗事だけではすまない……」
「輝林?」
輝林の呟きに、どこか暗いところを感じ取り、思わず呼びかけた子礼に、はっとしたように輝林は苦笑いした。
「いや、すまない。わかってはいるんだけどね。色々とあって、子礼がともにいてくれたら心強いと思ってつい甘えてしまったよ。困らせて悪かった」
「輝林……、何かあったのかい?」
心配そうに声をかける子礼に、輝林は緩やかに首を振った。
「子礼の言う通り、綺麗事ばかりではなくてね。議会も一枚岩とはいかないし、他国にも不穏な空気があるようにも思える。……でも、自分で決めた道だ。本当にすまない、心配をかけて」
「いいや、こちらこそ応えられなくてすまない」
「いや……、ああ、これでは堂々巡りだね。では、この話はここまでだ」
「ああ」
「そうだ、子礼。皆で花見にでも行かないかい? 花見なら子礼も花の香りを楽しめるだろう?」
「そうだね……」
「花見ですかー、いいですね。俺頑張って弁当作りますよ。だけどその前にこれ、剥がしてもらえます?」
それまで黙って聞いていた賀陽は、そう言うと腕にコアラのようにしがみついた花梨を指差してそう言った。
「やー」
「ずっとこの調子で邪魔で仕方ありません」
「やー」
「悪い。それにしても、はは、本当に花梨は賀陽が好きなんだね」
輝林は笑いながら愛娘を賀陽から引きはがした。
「やー!」
花梨は抵抗を示したが、あっさりと引き剥がされる。
「むー」
「むくれないで、花梨、賀陽がおいしいお弁当作ってくれるというから、それを楽しみにしようじゃないか」
「べんとー?」
なだめる子礼に、こてっと花梨は首を傾げた。
「そうだよ、花梨。何が食べたい? 賀陽は本当に料理が上手だからね」
「やめてくださいよ、師匠。そんな本当のこと」
「あー! くまー」
「作れるか、そんなもの」
「うー? うまー」
「馬肉喰いたいってか」
「あー。こまー」
「お前適当に言ってるだけだろ。食いもんを言え、食いもんを。何食べたい」
「だんごー」
「了解」
そんな子供達の様子を見て、子礼と輝林は笑みを浮かべた。
こんな、穏やかな日々がずっと続けばいい、そう、思いながら――――――。
義の国では義王斉衡が暗殺されてから、目まぐるしい日々が続いていた。
義の国にとって大きな変動であったが、それは李鳳主導の下進められていた。
まずは、その暗殺者が斉家縁の者とされ、一斉処分が行われた。
処刑台に送られる者、流刑となる者。
ただ、多くは斉王その人が手を下していたこともあり、王家に連なる血筋の割にはその数が少なかった。
実際の下手人は、李鳳他、数人が知るばかりであり。
また、それにあわせ斉衡の第五公子・葉容がその王位に就くことになる。
ただ、まだ先王の喪中ということと、葉容が少年と呼ばれる年齢であることからそれはごく内々の儀式で完了された。
葉容の後見に就くのは、改めて天官長冢宰となった李鳳である。
それに際して、いくつかの人事も行われた。
頑堅の大司馬はそのまま留任であるが、斉家の関係筋が占めていた役職に新たな人材が配置されるとともに、李鳳はこれまで有能ではあるが身分や何やらで冷遇されていた官の登用に腐心した。
そんな人物達の中に紛れるようにして、記録された名簿の中には炎雷の名もあった。
前冢宰である乾隆は自身の望み通り。その職を辞すると出身地である田舎に隠遁する為に戻った。
これらはすべて、名目上とはいえ、葉容の承認の下に行われた。
後簡単な登場人物一覧出しますので、よければご覧ください。




