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炎華伝  作者: 眞上 陽
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第九幕 月光の下で

相変わらずおっさんだらけ。

そんな中で葉容公子は一服の清涼剤です。

 空位の王になって欲しい、と望まれた。

 それは、お飾りの王になれとの要求。

 それを否、という選択は、葉容にはない。

 もし断固として拒否するのであれば、その役目は他の者に回るだけ。

 葉容の命は散って終いとなるのだろう。

 いや、だがそれもいいのかもしれない、とぼんやりと葉容は想う。

 母はとうになく、兄や姉も父により奪われた。その父はもういない。

 自分には何もない。

 守るべき人も、果たすべき役割も、何かを成し遂げたいと願う強い意志も。

 それなら、いっそ…………。


「はいはい、もう今日はここまでにしねえ? 小難しい話ばっかで俺もう飽きたわ。そこの坊主も許容量超えたみてえだし、おっさん達も疲れただろ。一日で全て片づけられるわけじゃねーんだから、今日はもう休もーぜ?」

 葉容が自分の中で結論を下そうとしたその時、そんな言葉で遮ったのは炎雷だった。

 その言葉に、李鳳と頑堅は頷き、いったん話は翌日へと持ちこされることとなった。

 この晩は、葉容は李鳳の、炎雷は頑堅での屋敷での預かりということになり、別れることにした。

 炎雷は別れ際、葉容の耳元に囁くようにして言った。

「全部を諦めちまう前に、よく考えてみな」

 言葉を投げかけられた葉容は言われた意味がわからず、問い返すように炎雷を見返したが、炎雷はにやりとした意味深な笑みを浮かべるのみだった。




 無言のままに連れてこられた李鳳の宮内の私邸は、驚くほどに質素であった。

 宮内に私邸を持つことを許されている者は少ない。大抵は宮外の自邸から通うか官舎で寝起きすることとなる。宮内の私邸を持つのは宮廷内でそれ相応の権威を持つ証、李家はそれが許された数少ない家の中の一つなのである。

 また、李家と言えば、義国でも屈指の資産を持つ大家である。いくら、王の居城である宮内でも、もっと華麗な装飾は許されているはず。まして、李家の家名を別にしても李鳳は王の信頼厚い能臣だったのだから。

 疑問を抱える葉容を連れ、李鳳は門を守る衛兵と軽く言葉を交わした後私邸内へ入った。

 私邸の門番にしてはやけに装備が厳重だった。

 ふと、別れ際頑堅が「李鳳殿がそういうのを好まんのは重々承知しておるが、此度の件で李鳳殿や葉容殿下に何かがあっては困る。守りはわしの方で固めさせてもらうぞ」と言っていたのを思い出す。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 そう言って出迎えたのは、人の良さそうな笑みを浮かべた初老の男女だった。

「紹介しよう、家宰かさいちょうりょうとその妻のちょうえいだ。何かあればこの二人に言うといい。……張永、後は任せていいか? 張良、今日の報告を。後でわたしの室へ来てくれ」

「畏まりました、旦那様」

「では葉容様、どうぞこちらへ。旦那様から連絡を戴いて、もう葉容様のお室は整えさせて頂いておりますわ。ご案内致します」

 そう促され、葉容は張永の後についていく。

「ここにいるのは、旦那様と張良とわたくしだけなのです。後は、通いの庭師と下女が二人ほど。ですから、葉容様がいらしてくれて本当に嬉しいですわ」

 張永は心底嬉しそうにそう言った。

「旦那様は一見冷たそうに見えても、本当はとても心根のお優しいお方。少し、この国の為にお忙しく過ごし過ぎているのが心配ではありますけれど……、さあ、着きましたわ。ここが葉容様にお使い頂くお室でございます」

 言われ、室内に入ると、そこには古い寝台と机、箪笥には灯り棚があった。いや、それしかないという方が正しいか。

 彩りと言えば、机の上に飾られた野草の小さな花くらいである。

 下手をすれば先ほどまで閉じ込められていた高位者用の牢の方が、まだ華やかであるかもしれない。

「葉容様が今までお過ごしされてきた場所から比べると、ずいぶん質素であるでしょうが、ご辛抱くださいませね。主である旦那様のお室もまた同じようなものなのですわ」

 張永はそう言って申し訳なさそうな顔をする。

「辛抱なんて……」

 確かに、今までいた環境から比べると格段に贅沢さは落ちるが、それを今まで居心地が良いと感じたことはない。

 かつて、今は失われた兄弟達のそばにその身を置いていた時以外は。

「葉容様、おなかはすいてはいらっしゃいませんか? お着替えはここにありますからね。お手伝いは必要ありませんか? 何か困ったことや入用なものがあれば遠慮なく仰って下さいね。それから……」


 一通りの世話を焼き終えると、張永は「今夜はゆっくりとお休み下さい」と言って室から出て行った。

 葉容はすることもないので、寝間着に着替えると寝台に横になった。

 寝台こそ古いが、寝具は清潔で良い匂いがした。

 灯りを消して室が暗くなると、月明かりが差しこんでくる。

 室内が淡い月光の光で満たされる。

 葉容は閉じていた目をゆっくりと開けた。

 まったく眠れる気がしなかった。

 当たり前かもしれない。

 こんな状況ですぐに眠りに入れるほど、葉容は胆が据わってはない。

 明日にはまた今日の続きがある。

 早く寝なくてはならない。

 明日には結論を出さなくてはならない。

 いっそ眠れないのならそれを考えようか。

 だけど……。

 葉容がそんなふうに、ぐるぐると思考を巡らせていると、どのくらい経った頃なのか、カタリと物音がした。

 葉容は息を顰め、寝たふりをした。

 静かな足音は、ゆっくりと葉容に近づいてきた。

 ぎゅっと目を閉じていると、やがてそっと手が葉容の髪を撫でた。

 葉容を起こさないようにと撫でるその手は、とても優しく温かかった。

 一瞬張永のものかとも思ったが、その手の大きさから、それは李鳳のものだと窺い知れた。

『本当はとても心根のお優しい方』

 そう、張永が言っていたのを思い出す。

 手は優しく葉容の頭を撫でている。

 葉容は、何だかとても安堵した気持ちになった。

 そう言えば、頭を撫でられたのなんか、いつ以来のことだろうか。

 こんなに安心したような気持ちになれたのは、どれくらいぶりのことだろうか。

 空位の王。

 葉容はそれになるつもりはなかった。

 が、それを望む李鳳の手を取れば、空位の王になれば、この安堵はずっと続くのだろうか。

 もしそうならば、己は李鳳の望むものになっても良いのかもしれない。

 かつて、幸せだったあの頃のように、また再び戻れるのであるとするならば。

 たとえ名ばかりの王であろうと、自分はきっとそれを手にするのだろう……。 

 いつしか葉容は、その手に誘われるように深い眠りに落ちていった。

 葉容が完全に眠り込むのを見届けた後、その手の主は静かにその室をあとにした。




「ハッ、何が悲しくってこんなおっさんと二人で酒なんぞ呑まにゃならんのだ」

 炎雷はぶつくさ言いながら手酌で酒を呑んでいたが、それも面倒になったのか直接酒瓶に口をつけて呷り出した。

おとこが腹を割って話すには、酒を酌み交わすのが一番だて。がっはっはっはっ!」

「酌み交わしてねーだろよ、おっさん。これだからおっさんは、ったく」

 確かにそれぞれ酒瓶抱えて独自に呑んでいるので酌み交わしてはない。

 そんな二人の足元にはすでに大小いくつもの酒瓶が転がっている。そのくせ、酔った様子はまったくといってない。

 頑堅は豪快に笑いながら、腹にうちでは冷静に炎雷を観察していた。

 片膝を立て、ゆったりと酒を呷る姿は、悠然としていて確かに人を惹きつける何かがある。

 粗野のようでいて、下品というわけでもない。

(李鳳殿は炎のようだと言っておったが……)

 頑堅には燃え上がる炎というよりは、冷酷な非情さを併せ持つ野生の獣の王のように感じる。

 人によって見方が違うのか、いくつかの面を炎雷が持ち合わせているのか。

 それはこれから見極めていくしかないことなのだろう。

 しかしそれはそれとして。

「うーむ、今夜は本当に月が綺麗じゃのう。酒がすすむわい」

「おい、おっさん」

「いいかげん、おっさんはやめてくれんか」

「おっさんは俺を怨んでいるか?」

 ぴた、と頑堅は口元に運んだ杯を止め、炎雷を見やった。

 真意を窺うような視線を向けた頑堅に、炎雷はにやりと笑みを浮かべてみせた。

「おっさんは臣下ってだけでなく、あの王様と親しかったんだろう? 語ってる口調や声色でわかるもんさ」

(こやつ、よく見ておるわ)

 粗暴そうに見えて、それだけではないというわけか。

「怨んでおったら、どうするのだ?」

「別に? 単に確認しただけだ」

 炎雷は喰えない笑みを浮かべたまま言った。

「ふうむ。怨みか。そうだな、怨んでもおかしくはないな。しかし……」

 頑堅は顎に手をあて、唸った。

「不思議よの。そういう気がまったくわかんのだ。……斉王・衡はわしの幼馴染でな、わしがあやつの学友として選ばれたのがきっかけじゃった。本来わしの家は貴族の端の端にやっと引っかかってるくらいの家格でな、こんな大司馬になったり衡の学友に選ばれたりするような立場ではなかったのだがな。また、衡は出来の悪い四男坊で、どこか見放されていた部分もあってなあ、何だかんだでそういうことになったわけよ。衡は親にも兄弟にも相手にされず、わしを兄のように慕ってくれおった。わしもあいつが本当の弟のように可愛かった。紆余曲折の末、衡が王座について、公子らが生れて、あの頃は本当に幸せだったわ」

 目を閉じると、頑堅は噛みしめるようにそう言った。

「しかし、結局わしは気がついていなかっただけの愚か者よ。それがわかったのは、燵太子の事があった後じゃった。わしは悔いたよ。衡の心の深い傷に気がつかなかったことに。わしは腹立たしくて仕方がなかった。衡が次第に壊れていくさまを、ただ何も出来ずに見ていることしか出来なかったことに。もう、手遅れだったのだ。誰も衡のあの狂気は止められはせんかった。誰にも、わしにも、……衡本人でさえも」

 そこでふうっと息を吐くと、頑堅は手にしていた杯をぐいっと飲み干した。

「だから、衡のことは、悔しくも哀しくもあるが、何よりほっとしておるよ。……あやつはやっと、止まることが出来たのだから。誰を傷つけることもなく、誰に傷つけられることもないところへいけたのだから……」

 ほっとしたのも事実ではあるが、それだけではない。人の心はそれほど単純には出来ていない。

 だが。

「まあ、今は先のことを考えねばな。もう後悔するのだけはごめんじゃて。わしはあまり複雑なことを考えるのには長けてないが、李鳳殿は違う。李鳳殿をわしは信頼しておる。わしは、李鳳殿が決めたことに協力し、尽力するのみだ」

「俺も後悔は遠慮したいがな。正直おっさんがそこまであの石頭に心酔する理由がわからん」

 炎雷のその言葉を受け、頑堅はがははっ、と笑った。

「石頭か! それは言い得て妙じゃのう。しかし、李鳳殿ほど国のことを思い遣るお人はわしは他には知らんわい。私事を捨て、この国に対する真っ直ぐな姿勢! 頭が下がる思いだわな。わしはあれほど純真な人間は……」

 頑堅はさすがに酔いが回り始めたのか、赤ら顔でとうとうと語り出す。

 炎雷は変わらずの様子で酒瓶を空けながら、ぼそりと呟いた。

「……俺は、あれはあれである意味歪みまくってると思うがな……」

 

 月の光の下、二人だけの深夜の酒盛りはまだまだ続くようであった。

 







また次回よろしくお願い致します。

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