第2章:幼馴染の日々
始まりの村アルカディア。そこは、穏やかな潮風と、NPCたちが絶え間なく繰り返す「日常」という名のループで構成された世界だった。
マリア(サナ)は村の広場にある古びた石造りの井戸のそばで、重い水桶を手に立ち尽くしていた。彼女の視界の端には、常に半透明のシステムウィンドウが浮かび、リアルタイムで環境データを更新している。そこには『待機中:プレイヤー接近まで残り10メートル』という、無機質な赤い文字が点滅していた 。
(……来た)
マリア(サナ)は小さく息を呑み、表情筋のパラメータを「快活・親愛」にセットした。現れたのは、革の鎧もまだ新しく、剣の重さに振り回されているようなおぼつかない足取りの少年、タロウだった 。
マリア(サナ)の身体が、彼女自身の意識よりも先に、プログラムされた最適解に従って動き出す。それは、中央の訓練施設で何百回、何千回と繰り返した「幼馴染」としての挙動そのものだ 。
「タロウ! またそんな格好して、無茶しようとしてるでしょ? ちゃんと私の言ったこと、聞いてるの?」
口から出たのは、自らの喉を震わせて放たれたとは思えないほど、完璧に調律された明るい声だった。サナの意識は、自分の言葉が台本通りのトーンに沿っているかを、まるで他人事のように冷徹に監視している 。
通常のプレイヤーであれば、この程度の会話はボタン一つでスキップするか、あるいは画面も見ずに立ち去るはずだ。NPCは、情報を与える「看板」に過ぎないからだ。
だが、タロウは違った。彼は立ち止まり、驚いたように瞬きをすると、真っ直ぐにサナの目を見つめた 。
「あ……ごめん、マリア(サナ)。ちょっとこの世界に慣れなくて、つい装備を欲張っちゃったんだ。……君は、いつも僕のことを心配してくれるんだね。ありがとう」
タロウはそう言って、照れくさそうに頭を掻いた。その瞳には、NPCを背景の一部としてではなく、一個の独立した人格として慈しむような温かさがあった 。
サナの内部で、微かな「予測誤差」が生じた 。システムが用意した台本には、彼の「感謝」という入力に対する適切な返答が用意されていなかった 。
「も、もちろんよ! 私たちは幼馴染なんだから、当然じゃない」
マリア(サナ)は咄嗟に、他のシチュエーションで使うべき汎用セリフをつなぎ合わせて応じた。タロウは「じゃあ、行ってくるよ」と短く笑い、村の出口へと続く石畳を歩み去っていった 。
彼が去った後、マリア(サナ)は自分の右手に残った水桶の取っ手の、無骨な感触を強く意識した。仮想世界のデータでしかないはずのその「重さ」が、なぜか本物の生命の重みであるかのように、彼女の意識を激しく揺さぶっていた 。




