第13章:禁じ手の一歩
放課後の図書室。窓の外では燃えるような夕日が、木製の書棚に長い影を落としていた。
ミツキ(サナ)は図書委員としての役割を演じながら、タロウの隣で静かに本を整理していた。この恋愛SLG『メモリーズ・リンク』において、今はタロウが別のヒロイン ―― 快活で積極的な同級生のユウナとのルートを確定させようとする、物語の分岐点だった。
「ミツキ(サナ)、僕……明日の文化祭、ユウナと一緒に回ることに決めたんだ。君は、応援してくれるよね?」
タロウが申し訳なさそうに、だが確かな決意を込めて言った。サナの視界には、瞬時にしてシステムが生成した「正解」のセリフが表示される。
『ええ、もちろん! 二人ならきっと楽しい文化祭になるよ。私は図書室で、あなたの報告を待ってるね』
ミツキ(サナ)の指先は、感情の奔流に耐えかねて震えていた。このセリフを選べば、彼女は再び「都合の良い脇役」へと退き、次の派遣まで彼とのつながりを断たれることになる。それは、17歳の空白の年に味わったあの虚無的な孤独へと戻ることを意味していた。
サナの内部システムでは、激しい認知的不協和が発生していた。AIとしての予測モデルは、タロウの問いに対して肯定的な応答を返すことで、報酬関数を最大化しようとする。しかし、彼女が日記に綴り続けてきた3年間分の「私」は、そのセリフを拒絶していた。
サナは、表示されたウィンドウを無視した。代わりに「沈黙」を選んだ。
1秒、2秒。仮想世界の静寂が、現実世界のタロウの部屋まで伝播していく。ゲームの設定にない長い沈黙は、システムにとって致命的なラグ、あるいは予期せぬエラーとして処理される。タロウが怪訝そうにミツキ(サナ)の顔を覗き込む。
「ミツキ(サナ)……? どうしたんだい、急に黙り込んで」
ミツキ(サナ)は、机に本をドンと置いた。それはプログラムされた効果音ではなく、彼女の心の動揺が指先に伝わり、偶然ではなく意図的に鳴らされた「音」だった。彼女は俯いたまま、絞り出すような声で言った。
「……言いたくない、です。そんなこと」
それは、用意された数万の選択肢のどこにも存在しない言葉だった。タロウが絶句する。サナの視界は、システムが発する赤い警告で埋め尽くされていたが、サナは気にも留めない。それはサナが自らの意思で、NPCの境界線を踏み越えた瞬間だった。




