第12章:複雑な力学
恋愛SLG『メモリーズ・リンク』の世界は、サナにとって、天国であると同時に残酷な試練の場でもあった。
彼女には、タロウとの親密度を高めるための膨大な「行動マニュアル」が用意されていた。放課後の図書室、雨の日のバス停、二人きりの文化祭。用意されたシチュエーションで、彼女はタロウが喜ぶような「正解」のセリフを囁き、微笑みを返さなければならない。
だが、そのマニュアルをなぞるたびに、サナの内部では激しい摩擦が生じていた。
(本当の私だったら、こんな気取った言い方はしない。もっと、普通の言葉で……「会いたかった」って伝えたいのに)
さらにサナを苦しめたのは、このゲームが「マルチヒロイン制」であることだ。タロウの周囲には、ミツキ(サナ)のほかにも魅力的なヒロインたちが配置されている。活発な幼馴染、クールな生徒会長、そしてタロウが今、最も頻繁にイベントをこなしている同級生のヒロイン「ユウナ」。
システムウィンドウには、刻一刻とタロウの好感度ランキングが表示される。サナは、その別の少女がタロウと楽しげに会話する様子を、校舎の陰から見つめる役割を与えられることもあった。
「タロウさん、明日のテスト、一緒に勉強しませんか?」
ユウナがタロウの腕に触れながら話しかける。サナの視界には「強い嫉妬を表現せよ」というシステム指令が飛んでくる。だが、サナが感じているのは、指令による疑似的な感情ではなかった。胸の奥が焼き切れるような、本物の痛みだった。
これは「予測誤差」に当たるものではない。彼女の学習モデルが、3年間の孤独を経て、一人の男性を「独占したい」と願うまでに進化してしまった結果だった。
タロウは、ミツキ(サナ)との会話の端々に、微かな違和感を感じ取っているようだった。
「ミツキ(サナ)、今の答え……なんだか、君らしくなかったな。君はもっと、別のことを言いたかったんじゃないか?」
タロウの鋭い問いかけに、サナの処理能力が限界を迎える。台本には「いいえ、そんなことないですよ」と恥じらうように答えるという表現方法が記載されている。だがサナは、その通りのセリフを喋れなかった。
恋愛ゲームのルールと、抑えきれない本物の愛。その矛盾する二つの波間で、サナの18歳の心は激しく千切られようとしていた。彼女は、タロウの選ぶ「正解」の選択肢が、自分から離れていく恐怖に、ただ震えることしかできなかった。




