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EP 8

メディア・コントロールと電波ジャック

昭和11年2月28日。

反乱軍による帝都占拠から三日目。雪に覆われた東京の街は、異様な静寂と緊張に包まれていた。

「……腹が、減ったな」

警視庁を占拠していた青年将校の一人が、雪を被った窓枠に寄りかかりながら力なく呟いた。

彼らの士気は、急速に底をつきかけていた。決起直後は威勢が良かったものの、なぜか昨日からパタリと「活動資金」の供給が途絶えたのだ。

炊き出しの米を買う金もなく、協力者への工作資金も凍結され、後続の部隊も動かない。まるで、見えない巨大な手に首を絞められているような不気味な焦燥感が、反乱軍の若者たちを蝕んでいた。

その時である。

街角のラジオ屋の店先や、占拠した官庁の詰め所に置かれていた受信機から、突然、ノイズ混じりの音声が流れ始めた。

『――帝國臣民の皆様。私は、次期内閣総理大臣の拝命を受けた、近衛文麿である』

その落ち着き払った、しかし腹の底に響くような低い声に、将校たちは弾かれたようにラジオを振り返った。

   ◆

時間を少し遡る。

愛宕山にある社団法人日本放送協会(JOAK)。その第一スタジオは、異様な熱気に包まれていた。

「こ、公爵閣下! 戒厳司令部の検閲を通していない放送など、絶対に許可できません!」

軍から派遣されていた検閲官の将校が、顔を真っ赤にしてマイクの前に立ち塞がる。

だが、幸隆は咥えていたチェリーの煙を将校の顔に吹きかけ、冷酷に見下ろした。

「検閲だと? 誰に向かって口を利いている。俺は天皇陛下から大命を受けた身だぞ。俺の言葉を遮るということは、陛下の意志を遮るということだ。……貴様、それでも大日本帝國の軍人か?」

「なっ……! そ、それは……!」

「どけ。三流が」

凄まじい眼力と覇気に気圧され、検閲官はへたり込む。

幸隆は秘書官の結城に顎でしゃくり、放送技師にキューサインを出させた。現代の選挙戦で、街頭演説や政見放送の空気を完全に支配してきた「最強の幹事長」が、昭和のマスメディアをジャックした瞬間だった。

『……現在、一部の青年将校たちが帝都の中枢を占拠し、武力による政治の刷新を掲げている』

幸隆の声は、マイクを通して全国津々浦々のラジオへと届けられていく。

かつての近衛文麿のような、もったいぶった貴族の言葉遣いではない。短く、力強く、大衆の心に直接突き刺さる「現代政治家の演説スピーチ」だ。

『彼らは「君側の奸を討つ」と叫び、純粋な憂国の情で動いていると信じているだろう。だが、国民の皆様、そしてラジオを聴いている決起部隊の諸君に真実を伝えよう』

幸隆は、手元の原稿をあえてバサリと音を立てて床に捨てた。

『諸君は、騙されているのだ』

ラジオの前の国民が、そして占拠部隊の将校たちが息を呑む。

『諸君を扇動した黒幕は、安全な場所に隠れ、諸君に血を流させている。彼らの真の目的は国家の改造ではない。軍の機密費を横領し、私腹を肥やすための「権力闘争」に、純粋な若者たちを鉄砲玉として利用しているに過ぎない!』

幸隆の言葉は、急所を抉る刃だった。

『証拠はある。大蔵省の精鋭たちが、黒幕が不正に蓄財した裏帳簿と、大陸への不正送金ルートを完全に特定した。すでに彼らの口座はすべて国が凍結した。……決起部隊の諸君、昨日から活動資金が途絶えているはずだ。それが何よりの証拠である!』

警視庁や首相官邸を占拠していた将校たちは、愕然として顔を見合わせた。

「資金が途絶えたのは……郷田中将閣下が、俺たちを見捨てたからだというのか……!?」

「馬鹿な! 我々は捨て駒だったというのか!」

疑心暗鬼が、反乱軍の中で爆発的に広がっていく。

兵糧攻めによる「物理的な飢え」と、演説による「精神的な飢え」。幸隆の仕掛けた二段構えの罠が、彼らの大義名分を粉々に打ち砕いた。

『これ以上、無意味な血を流すな。武器を置き、原隊へ帰還せよ。そうすれば、私、近衛文麿が総理の権限において、諸君の純粋な罪を一等減じよう。……だが、これ以上帝都を脅かすというのであれば』

幸隆は、スタジオのマイクを鷲掴みにし、地を這うような低い声で宣告した。

『断固たる武力をもって、諸君らを「テロリスト」として殲滅する』

放送が終わった瞬間。

日本中の空気が、完全に変わっていた。

数日前まで軍部の暴走に怯えていた国民は、彗星のごとく現れ、軍部の腐敗を堂々と糾弾した若き宰相・近衛文麿の圧倒的なカリスマに熱狂した。

「公爵閣下……万歳……! 近衛新総理、万歳ッ!!」

スタジオの外に集まっていた群衆から、自然発生的に歓声が湧き上がる。

「……ちょろいもんだ」

幸隆はマイクから離れると、額の汗を拭うこともなく、ニヤリと悪魔のように笑った。

世論メディアは、完全に俺の掌の上だ。

   ◆

同じ頃。

陸軍省の一室でラジオを聴いていた郷田重吉中将は、怒りのあまり顔を土気色に変え、卓上のティーカップを壁に投げつけていた。

「こ、近衛の青二才め……! 貴族の若造が、軍の裏金システムにまで手を出したというのか……!!」

資金は凍結され、世論は完全に敵に回り、扇動した決起部隊の士気は崩壊。

すべての退路を絶たれた黒幕は、ついに自ら動かざるを得ない状況へと追い詰められていた。

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