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EP 10

世界新秩序――最強の国家(第五章完)

昭和14年(1939年)冬。

ハワイ・ホノルル沖、アメリカ大統領専用重巡洋艦。

「……これが、我が国(日本)が提案する『新・日米修好通商条約』の草案だ」

幸隆は、外務大臣の吉田茂から受け取った分厚いファイルを、テーブルの向こうで項垂れるルーズベルト大統領の前に滑らせた。

かつて幕末に、黒船に乗ったペリー提督が日本に突きつけた不平等条約と同じ名前。だが、その中身は、パワーバランスが完全に逆転した「アメリカへの絶対的なルール」だった。

ルーズベルトは、震える手でそのファイルを開き、一つ一つの条項に目を通していく。

「第一項。両国間の関税の完全撤廃、および自由貿易の永続的な保証。……第二項。太平洋およびアジア全域における大日本帝國の『経済的・軍事的優位性』の承認。……第三項。両国間における最新技術(半導体や航空機を含む)の相互提供……」

読み進めるごとに、ルーズベルトの顔色はさらに青ざめていった。

「近衛総理。……これは事実上、アメリカが極東から完全に手を引き、太平洋の覇権をすべて日本に譲り渡すという宣言ではないか。技術の相互提供などと銘打っているが、我が国が一方的に君たちの『電子計算機』や『新型航空機』のパテント(特許)の恩恵に縋るだけの、露骨な『属国条約』だぞ!」

「属国? 人聞きが悪いな」

幸隆は、ハイライトの煙をふうっと吐き出した。

「俺は、平和で対等なビジネスを提案しているだけだ。アンタの国は、無尽蔵の鉄と油と食料を、関税なしで我が国に売ってくれればいい。その代わり、我が国は世界最先端の工業製品と『電子の頭脳』をくれてやる」

幸隆は、テーブルに身を乗り出し、車椅子の怪物を冷酷に見据えた。

「サインしろ、ルーズベルト。……さもなくば、このディールは決裂だ。明日の朝刊には、アンタの中国への裏金工作がスッパ抜かれ、ハワイの空は我が軍の『見えない猛禽』で埋め尽くされることになる」

圧倒的な情報スキャンダルと、圧倒的な暴力テクノロジーによる挟み撃ち。

もはや、大統領に選択肢など残されていなかった。

「……私の、完全な敗北だ。君のような『悪魔』が東洋に現れるとは、夢にも思わなかったよ」

ルーズベルトは、深くため息をつくと、用意された万年筆を手に取り、条約書にゆっくりと自らのサインを刻み込んだ。

「ガッハッハッハ! 素晴らしい! これで極東の平和は、未来永劫守られましたな!」

吉田茂が、悪役そのものの高笑いを響かせながら、サインの入った条約書を金庫へと収める。

一発の銃弾も撃つことなく、超大国アメリカを「経済的・情報的な支配下」に置いた瞬間だった。

   ◆

数週間後。帝都・東京。

ルーズベルトとの歴史的な会談を終え、凱旋帰国を果たした近衛文麿(若林幸隆)を待っていたのは、日本中を揺るがすような空前の熱狂だった。

『日米新条約締結! アメリカ、我が国の完全なる関税撤廃に合意!』

『ヨーロッパ大戦の特需に続き、アメリカの巨大市場も開放! 帝國経済、未曾有の大好景気へ!』

『ベアテ・シロタ起草の「超・人権法案」、本日より施行! 世界一の民主主義国家の誕生!』

新聞の号外が宙を舞い、ラジオからは一日中、歓喜のマーチが流れている。

街を歩けば、誰もが真新しい洋服を身にまとい、百貨店には休日の買い物を楽しむ家族連れの笑顔が溢れていた。

失業者はいなくなり、農村の子供たちは毎日白米を腹一杯食べている。

「……どうやら、俺の『趣味(国づくり)』も、大台に乗ったようだな」

首相官邸の屋上。

幸隆は、夕日に照らされる帝都・東京の美しい街並みを見下ろしながら、一人静かにタバコをふかしていた。

史実を知る彼には、見えるはずの幻影があった。

B-29による大空襲で焼け野原になった東京。

二発の原子爆弾によって、一瞬にして消滅した広島と長崎。

そして、数百万人の国民の無残な死骸と、飢えと屈辱の戦後……。

だが今、眼下に広がる帝都は、そんな悲惨な未来を微塵も感じさせないほど、豊かに、そして力強く輝いている。

軍部の老害どもをロジックで論破し。

狂気の天才の心をへし折り。

ドイツの独裁者を詐欺条約で出し抜き。

財閥を脅し上げて国民にカネを配り。

そして、超大国アメリカを情報と技術の暴力で屈服させた。

最強の与党幹事長にして、元防衛大臣。

現代の政治の闇と光を知り尽くした一人の男が、その知識と悪辣な手腕をすべて「国を豊かにするため」に使い切った結果が、この奇跡の光景だ。

「総理」

屋上の扉が開き、外務大臣の吉田茂と、秘書官の結城が歩み寄ってきた。

「アメリカからの第一便(貨物船)が、横浜港に到着しました。無関税の極上な屑鉄と石油が満載です。……代わりに、本田宗一郎が組んだ新型自動車と、理研の『トランジスタ・ラジオ』が、飛ぶようにアメリカへと輸出されていきますぞ」

吉田が、極上の葉巻を嬉しそうにくわえる。

「ご苦労。……さあ、吉田、結城。ここからが本当の『黄金時代』だ。この大日本帝國を、世界の誰にも手出しできない、ぶっちぎりの超大国ナンバーワンにしてやるぞ」

幸隆は、三白眼を細め、不敵に笑った。

世界が血みどろの戦争に明け暮れる中、極東の島国だけが、平和と圧倒的な富を独占する『パクス・ジャポニカ(日本による平和)』の時代。

歴史の特等席で、悪党政治家たちの愉快な国づくりは、まだまだ終わらない。

【第五章・完】

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