EP 8
頂上決戦――怪物との対峙
昭和14年(1939年)冬。
ハワイ・ホノルル沖。アメリカ合衆国大統領専用重巡洋艦の特設会議室。
重厚なマホガニーのテーブルを挟み、日米のトップが静かに対峙していた。
「遠路はるばるご苦労だったな、近衛総理。……先ほどの君たちの艦隊の『パレード』、なかなか見事なショーだったよ」
第32代アメリカ合衆国大統領、フランクリン・デラノ・ルーズベルト。
車椅子に深く腰掛けたその巨体からは、世界を裏から操る圧倒的な権力者の覇気が漂っていた。トレードマークのシガレットホルダーをくわえ、余裕の笑みを浮かべているが、その青い瞳の奥は氷のように冷たい。
「ショーだと? 喜んでもらえて何よりだ」
幸隆は、最高級のスーツを着崩し、悪びれる様子もなくテーブルに両肘を突いた。隣には外務大臣の吉田茂が、葉巻をくわえたままふてぶてしく控えている。
「単刀直入に言おう。我が国の関税の壁により、君たちの国は今、深刻な外貨不足と資源の枯渇に苦しんでいるはずだ。ヨーロッパへの輸出(特需)で誤魔化しているようだが、それも長くは続かない」
ルーズベルトは、鷹揚に頷きながら「慈悲深い提案」を口にした。
「そこで、君たちに『救済措置』を与えよう。……満州からの即時撤兵、ならびに中国大陸における全権益の放棄。これを飲むならば、関税を元の水準に戻し、石油と鉄の輸出も再開してやろう。……餓死するよりは、はるかにマシな取引だろう?」
それは、大日本帝國に「無条件降伏」を突きつけるに等しい、極めて傲慢な最後通牒だった。
ルーズベルトは確信していた。日本にはもう後がない。ヨーロッパの戦争に巻き込まれないためには、ここでアメリカに屈するしか道はないと。
だが。
「……くっ、フハハハッ!!」
幸隆は、突然肩を震わせ、腹の底から吹き出すように笑い始めた。
「な、何がおかしい、近衛総理!」
国務長官のハルが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「いや、すまない。あまりにも『三流のハッタリ(ブラフ)』だったものでな」
幸隆は笑いを収めると、懐からハイライトを取り出し、シュボッとマッチを擦った。
「大統領。アンタの国が、我が国の人権宣言(ベアテの法案)のせいで、世論の猛反発を受けていることは知っている。……アンタは今、アメリカ国民の支持を失うことを恐れ、日本に対して指一本触れられない状態だ」
「……世論など、どうとでもなる」ルーズベルトが低く唸る。
「強がるなよ。アンタの足元が火の車だという証拠は、腐るほどあるぞ。……たとえば、そうだな」
幸隆は、吉田茂に目配せをした。
吉田が、鞄の中から数枚のペーパーを取り出し、テーブルの上に滑らせる。
それは、理研の地下室で『電子計算機』が吐き出した、アメリカ国務省の最高機密の翻訳文だった。
「スイスのジュネーブにある『ユニオン銀行』のダミー口座。……一週間前、そこを経由して、中国国民党(蒋介石)の裏口座へ『五千万ドル』の資金が振り込まれた」
「なっ……!?」
ルーズベルトの顔から、余裕の笑みが完全に消え去った。
「議会にも、世論にも完全に秘密にされた、大統領の独断による『他国の戦争への違法な軍事支援』だ。……もしこの口座番号と資金の流れが、ニューヨーク・タイムズのトップ記事になれば、アンタは間違いなく『大統領弾劾裁判』にかけられるぞ」
「き、貴様……なぜ、その口座の存在を……!!」
車椅子の怪物が、シガレットホルダーを落とし、顔面を蒼白にして身を乗り出した。
CIA(当時はOSS)すら存在しないこの時代に、なぜ極東の島国が、大統領の頭の中にしかないはずの最高機密を、一桁の狂いもなく把握しているのか。
「驚くのはまだ早いぞ、ルーズベルト。……先月、イギリスのチャーチルと交わした『太平洋上の石油ルート封鎖』に関する密約の電文も、ここにすべて揃っている」
吉田茂が、悪魔のような笑みを浮かべて残りの書類を叩きつける。
「ホワイトハウスの中に……いや、私の側近にスパイがいるのかッ!?」
「スパイ? そんなセコい真似はしていない」
幸隆は、紫煙をふうっと吐き出し、ルーズベルトの目を冷酷に見据えた。
「アンタの国が世界中の大使館とやり取りしている『最高機密暗号』は、今この瞬間も、すべて俺のデスクの上に『翻訳済みの新聞』として届けられているんだよ」
「暗号が……解読されている……!? 馬鹿な! 我が国の暗号機の構造は、悪魔でも解けないほどの……ッ!!」
ルーズベルトは、呼吸を荒げ、背もたれに崩れ落ちた。
軍事力で脅そうにも、世論が許さない。
裏工作で足並みを乱そうにも、すべての計画が事前に筒抜けになっている。
手札をすべて見透かされ、自分の弱点を完全に握られている。それは、政治家にとって「死」を意味していた。
「……アンタのカードは、すべてゴミだ。ハッタリで俺を脅せると思うなよ」
幸隆は、テーブルの上に身を乗り出し、震える超大国の大統領に引導を渡した。
「取引の条件を決めるのは、俺だ」
歴史上初めて、アメリカ大統領が完全に「敗北」を悟った瞬間だった。




